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世紀末アラウンド

 
 
1979年に生まれた。
 
小さい頃から“世紀末”というものを意識して育った。
その言葉からくる漠然とした恐怖、そして不透明な未来。
将来に明るさを持てなかった少年時代。

10歳になる年の1989年、昭和が終わり平成が始まった。
小学生ながら歴史の変化を体感した。
 

ある日、図書室で『ノストラダムスの大予言』を読んでから、その恐怖が具体的になっていった。
 
―九九九の年、七の月 空から恐怖の大王が降ってくる
 
見てはいけないものを見てしまった。
知らないくていいことを知ってしまった。
 

人類滅亡までのカウントダウンが始まった。
オゾン層破壊のニュースからは世界中の人たちが皮膚がただれていく様を。
湾岸戦争の映像からは核爆弾による第三次世界大戦の勃発を。
“恐怖の大王”という空を覆い尽くす得体のしれない大男を。
想像すればするほど、世界の終わりが近づいて来ている気がした。
 
なにより自分が消えていなくなるだけではなく、周りも全て消え失せるという絶望。
1999年までの人生。二十歳までの人生。
 
とはいっても、普段は能天気に過ごしていた。
ファミコンやったり野球やったり、ゾイドにミニ四駆で遊んだり。
ビックリマン、ガムラツイスト、カードダス、プロ野球カードを集めたり。
 
でも、ふとよぎるのが

「どうせ集めたところで二十歳で世界は終わる」
 
今の楽しさと、未来のない世界が混同していた。
 

さらに、誰がそんな事を言い出したのか知らないが、こんな言葉も流行っていた。
 
“紫の鏡”
 
これを二十歳まで覚えていたら死ぬとか呪われるとか。
なぜかみんな知っている“紫の鏡”。

普通の会話から何の脈略もなく
 
「紫の鏡~!はい、また思い出した」
 
と、誰かが言うこともよくあったし、その度に“1999年”“二十歳までの人生”という死へのタイムリミットを感じた。

成人式を迎えられないという1979年生まれの宿命。
 

中学に入る少し前からだろうか、テレビを録画するようになった。いや、その前から録画はしていたが、録画を残すようになった。好きな場面を繰り返し繰り返し観るようになり、テレビに夢中になっていった。バラエティに音楽、野球にサッカー。好きなものを全部録画して全部残しては何度も見た。
VHSテープは徐々に増えていき、お小遣いを費やすようになっていった。
テレビが自分の多くを占めるようになっていくのに対して、世紀末への恐怖は薄れていって、やがて消えた。
 
そしていつの間にか迎えた“一九九九の年、七の月”
何も変わらない日常が待っていた。
 
1000年代が終わり、迎えたミレニアム。
2000年代初めてとなる成人式も無事に出席することができた。
しかもハッピーマンデーが導入されてから初となる成人式で、従来の1月15日ではなく第2月曜日の1月10日というオマケ付き。
とても晴れやかな気持ちで過ごすことができた。
 

2000年、新時代。
 
目の前には明るい未来が広がっていった。

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