Blow the timber vol.前文

※この度出版する楽譜集の前文原稿です。

 シンプル・システム・フルート、いわゆる「アイリッシュ・フルート」は、今やアイルランド音楽の枠組みを超えて世界中の伝統音楽で演奏されています。この楽器の音色に魅了された私は、20年にわたり世界各地の伝統音楽へ広がってゆく様子を追いかけ続けてきました。

 シンプル・システム・フルートの魅力とは、モダン・フルートに比べて演奏スタイルの自由度が高く、伝統音楽の「声」をより自然に表現できることです。ヨーロッパのフルートの「進化」の歴史において、シンプル・システム・フルートは19世紀中頃にベーム式フルートに取って代わられました。19世紀当時、旧式のフルートは音程が悪く、音量が小さく、複雑な転調に完全に対応しきれない欠陥のある楽器としてみなされ打ち捨てられていきました。しかし、シンプル・システム・フルートは歴史から完全に消え去ったわけではありませんでした。20世紀になり、アイルランドの伝統音楽にその活躍の場が与えられたのです。

 20世紀後半のリヴァイバルの初期においては、本書に登場するJean-Michel Veillonがそうであったように質屋や骨董品店にあったアンティーク・フルートが演奏されていましたが、やがて需要の広がりとともに、新たに設計し再生産する職人が登場しました。

 ベーム式フルート登場を経て、発達した最新の音響工学の知識を経た職人たちは、旧式フルートの音程や音量を改善し、伝統音楽を演奏するのに最適化せました。現代の職人によるフルートは、懐古趣味の観賞用の楽器ではありません。19世紀までのシンプル・システム・フルートの進化の延長にある、時代の最先端の楽器なのです。そしてその音楽や演奏方法もまた日々進化しており、伝統音楽は音楽史において、最も「ホット」な音楽であると言えるでしょう。

 フルートの可能性において、シンプル・システム・フルートとモダン・フルートは同一線の価値基準の上には存在していません。モダン・フルートが調性の自由度や豊かな音量を追求しているのに対して、シンプル・システム・フルートはニュアンスや演奏スタイルの多様性を追求しています。どちらのフルートにも優劣はなく、それぞれに得意とする表現が異なり、縦軸と横軸のように異なる位相でフルート音楽の表現を広げているのだと私は考えています。

 私は、これからシンプル・システム・フルートは伝統楽器・伝統音楽という狭い枠を超えて、モダン・フルートと並ぶフルートにおける2つの潮流となるだろうと予想しています。本書はその演奏方法と演奏スタイルを表現する世界各地の第一級の演奏者に録音を依頼し、それをすべて採譜した楽譜シリーズです。本書を通じて、豊かに広がるフルートの演奏スタイルやテクニックに触れてみてください。シンプル・システム・フルートの可能性と魅力をより深く理解することができるはずです

畑山 智明

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