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若い人たちへの継承(by 上井草太郎)

TOP画像は台湾でFF会場への移動中、信号待ちをしているタクシーの中から撮った一枚です。日本語で言うところの「痛い人」とか「痛い格好」というニュアンスを中国語の「痛」で表現できるのか?と思いましたが、台湾人で「痛車道」という言葉を面白がれるというのは、日本語の「痛い」を理解しているということなのだろうか、と、由なしごとを思い巡らしたのがつい1ヶ月前。時の経つのは早いですね。

日本文化が自然に溶け込んでいる

去年入った新人はアニメタウンのスタジオで今日も塗りの修行をしています。さらに4月からは2名入る予定です。1人は美大卒。もう一人は新人というより、大ベテラン。
セル画ラボは、アニメ制作がデジタル化される以前から仕上げ会社でセルを扱っていたベテランの職人達の中に飛び込み、職人としての修行をしています。

アニメ会社には系列があり、使っている絵の具が違ったり、作法に多少の違いはありますが、基本的にはどの会社の仕事でも、お互いに下請け出来るようにフォーマットが統一されています。ですので、アニメのエンドロールを見ると、有名な会社同士がお互いの作品の仕事をしていることが分かります。

ガン○ムに見守られながら塗り作業する新人

30年前、スタジオがMac(PowerMac8100/80)を入れ、初めてのフルデジタル作品を深夜の放送枠用に納品するために日々悪戦苦闘していました。そんなデジタル化の初期の頃、思ったことがあります。
アニメは、作画、仕上げ、特効、撮影、編集、という作業を経て、一本のアニメになるのですが、それぞれの仕事場はひと目でそれと分かる特徴がありました。仕上げさんなら、絵の具や筆、バケツがあり、特効さんならエアブラシがあり、撮影さんは大きな撮影台、編集さんなら、スプライサーやビューアーなど、見た目も機能も違う道具が職人の前にでんと置いてあるわけです。しかし、Macで仕上げと撮影が出来て、編集もAvidなどを使い、いつか作画もMacでやれるようになると、どの現場も見た目は同じになってしまうのではないか、どの現場もMac、PCが置いてあり、区別がつかなくなる。そうなると、職分も厳密には分けられなくなって、横断して作業するようになると、無くなってしまう仕事もあるのではないか、と。
それ自体は悪いことではありませんが、AI化が無軌道に進んだら、なし崩し的に、日本のアニメ現場は溶けてしまい、いつの間にやら、どこか海外へでも流れて行ってしまうのではないか、と思います。

アニメが好きで、色々ありながらも現場で働き続け、ある程度の年齢が来た今、かつての私と同じように、この業界に飛び込んできた若い人をサポートして、彼ら彼女らが同じく、20年後、30年後も仕事ができていて欲しいし、せっかくアニメが日本を代表する文化となったのだから、絶やさずに育ててほしいと思います。
今は「確変」が起こっている時代だと思います。あと十年ちょっとで、アニメに関わらず、社会の多くのことが変わってしまうと思います。そんな時に、デジタルから一歩離れて、アナログなこと、フィジカルなことに今一度、目を向けることが、結果的に大事なことだったと分かるのではないかと考えます。デジタルから離れるなんて、非現実的だと言われるのは承知の上です。ビル・ゲイツも15歳までデジタルに触れさせなくていい、と言ってるそうですが(出典未確認)、大人も同じで、何かを守るために、ある部分は、デジタルから敢えて、距離を取ることもまた大事かもしれません。

セル画ラボでは、先輩たちにお声がけして、ご自分の感じてきたことを、新人たちにお話しいただく機会を度々いただいています。
それは貴重で大事な時間です。その片鱗にはなってしまいますが、こちらのnoteで少しずつ、お伝えして行ければと思います。

上井草太郎



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