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一生食パン生活したくない


用事があって出かけた日
疲れていても面倒でも私は晩ごはんを作る
なぜかと言うと誰も作らないから

旦那は普通にできるまで待っている
私がしんどいアピールするとやっと
「なんか手伝おうか?」と言ってくる
だけど旦那は料理はほとんどできない
正直子供にお手伝いを頼むレベル
皮を向いて、とか食器を拭いてとか

それでもいいんだけど
「なんか手伝おうか?」は、ほんとに手伝うという意味じゃなく
とりあえずそういっておけばいいという
反射的な定型文
「ただいま」「おかえり」とか
「ありがとう」「どういたしまして」とか
そんなタイプの定型文だから
大変そうだから今日は休みな的な
気持はたぶんない

「ご飯作るのが面倒なら作らなくていいよ」
「何か買って来ようか」
そんな言葉につい反抗してしまう
 「いつも面倒なわけじゃない」
(今日は疲れてるのわからない?)

「もう作りかけたから買わなくていいよ」
(いつも揚げ物しか買ってこないし
 量も少ないから結局何か足さなきゃいけないし余計面倒)

やれることを精一杯やってくれるいい旦那
そう思わなくてはいけないんだろうけど

 「子供が家から出たらもう作らなくていいもんね」だって
「私は食べたいものは作りたいよ」
「ごはん作るのがずっと嫌なわけじゃない
だけど飽きるときもあるんだよ」
「私が作らなかったどうするの?」
と聞いたら
「別に食パンをずっと食べればいいし」

私はそんな老後嫌だ
食事作りをしなくていいけど
毎日食パン食べる生活?私は無理
これって私が贅沢なのかな?

米炊いて、肉か魚でも買ってきて焼くなりすればいいしインスタントのお味噌汁だってあるでしょう?

食に興味がない人だから
作ってみようと言う意欲もないし
毎日同じものでもなんともない
確かにそれで楽させてもらった事も
あるけれど

食の考えが違うのって
この先の長い人生結構辛くないか?
子供には結婚相手に求めるポイントに
入れておけと強く言いたい

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