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なかにし礼さんのご冥福をお祈りします

2011年に、勧修寺で行われた映画『天から見れば』の試写会に、直木賞作家で作詞家のなかにし礼さんがお越しくださいました。

まだまだ作品の出来具合に苦悩していた時でした。
さらに良くなるようにと、フィードバックなど感想をいただき、初上映会までにどうしたらいいんだろう!と、
悩んでいる私に、

帰り道に、こう伝えてくださいました。

「応援しているので頑張ってください」
と。

その後、新聞のコラムに掲載してくださいました。
ありがたい宝物になりましたので、転載させていただきます。

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ここに『無手の法悦(むてのしあわせ)』(春秋社)という本がある。
著者は大石順教(1888~1968)。

両手を失ってのち出家して、健常者には思いもよらぬ高い境地にまで達した優れた尼僧である。

寿司屋を営む家の長女、名は二葉よね、二人の兄がいる。
八歳の時、踊りの才能を見込まれて大阪堀江にある芸者置屋の養女になった。

養父の中川万次郎という人は芸事への思いが深く、踊りの覚えのいいよねを目に入れても痛くないほどに可愛がった。

それに応えるようにして、よねは十三歳で名取となり、妻吉という名で座敷に出るようになった。
 
十七歳になった年の六月、激しく雨の降る夜のこと、養父の万次郎が狂乱する。

妻が若い男と出奔したことで正気を失った万次郎は歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃・油屋十人斬』を観た夜、それを真似るようにして日本刀を振り回し、家のもの六人に斬りつけ、五人を殺し、妻吉の両腕を斬り落としたのだった。
無手となった妻吉はその後、多大な苦難に遭遇することになるのだが~詳しくは本を読んで頂きたい~ある日、ひな鳥にえさを与えるカナリヤの姿を見て悟る。
 
そうだ、口に筆をくわえて字を書き、絵を描くことを始めよう。
 
妻吉は出家し、大石順教尼となったが、彼女は口にくわえた筆によって、人生を切り開き、光明に出会い、法悦の境地にまで達したのである。
  
南正文(1951~)という日本画家がいる。この人も両腕がない。口に絵筆をくわえて絵を描く。その作品は数々の賞をとり、海外でも高く評価されている。
 
南さんは、小学三年の時、木工所である家の仕事を手伝っているうち、誤って機械のベルトに巻き込まれ両腕を失った。

自殺したくても、ナイフを持つ手がないという絶望。そんな南さんが人の縁で紹介されたのが大石順教尼だった。
 
順教尼は言った。
「誰にも付き添われることなく、電車やバスを乗り継いで、一人で週に一度通っていらっしゃい」
 
それが弟子になる条件だった。南さんは大阪堺市から京都山科の勧修寺まで、道行く人に声をかけて切符を買ってもらいながら、三時間かけて通いはじめた。

「筆を口にくわえて絵を描きなさい」
 
絵を描くことを得意としない南さんであったが、言われたとおり、口に筆をくわえて絵を描き、そして目覚めていった。
 
南さんが弟子になって二年後、順教尼さんは亡くなった。以来四十三年が経ち、南さんは立派な日本画家として活躍しているが、大石順教尼の魂の教えは南正文の画業のなかに脈々と息づいている。まさに復活といっていい。
 
大石順教尼と南正文、なんという魂の交流であろうと、私はもう呆然としてしまうのだが、この二人の師弟関係と南正文さんの作家生活を描いたドキュメンタリー映画『天から見れば』(入江富美子監督)が完成した。

四月二十一日、順教尼さんに縁の深い山科の勧修寺で特別試写会があり、観てきた。
 
腕のない南正文さんがどんな努力をして日常生活を生きているか、そして心に浮かぶ想念をどのようにしてキャンバスの上に描いていくか。
 
足で絵の具をあつかい、口で筆をくわえてだ。完成した絵の美しさ。まさに比類ない美しさだ。

一人でも多くの人に観てもらいたい映画だ。

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なかにし礼さん、
ありがとうございました。
 
 
▽映画はこちらからご覧いただけます。

 
 
◇ 入江富美子公式サイト http://iriefumiko.com/

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