『出発点としての利己』雑感400_81
毎日の読書から、だいたい400文字の雑感を。
旅のスタートが高邁な理想である必要はない。(中略)利己を否定するところからは、リーダーシップは始まらないし、無私を強調しすぎると、旅は生まれつきの聖人だけが歩めるものとなってしまう。
利己的であることは、良いことか。悪いことか。私はどちらでもないと思う。利己は出発点であり、どこに到達するかとは関係がないからだ。
偉人の伝記を読むと面白い共通点がある。人類に対して偉大なことを成し遂げた人は、"結果的に"成し遂げている。そして、その出発点が、個人的な情熱であることが多い。
例えば、尊敬する京セラ創業者の稲盛和夫氏。その偉業は「稲盛和夫の技術(ファインセラミックス)を世に問う」という極めて個人的な情熱から始まっている。
今、あなたが最も力を注いでいることはなにか。それは、あなたの極めて個人的かつ利己的な"何か"からスタートしてはいないか。
利己は人生の強力な着火剤だ。社会のために生きる私たちは、自分のためにも生きている。利己の否定から、自分の足で立つ人生は歩き始められない。
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