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ベルクに隠した本

ベルクに隠した本

毎日メルマガを書いているんですが、読んだ本があまりにも突然に昨日が砕けていったので、何かを始めようと思いました。

新宿ベルクに本を2冊隠しました。

https://twitter.com/ccttaa/status/1379259504190128130?s=21


途中でやめる直売で爆烈に売れたので100円隠すどころじゃねぇぞ!と思い、ビールチケットでも隠そうかと思ったんですが、よく行くCoCo壱でスラムダンク読破したり、定食屋で美味しんぼ読破する感じで、ベルクに通いまくって2冊の本を読破してくれたらいいなと思いました。店内にあるスピーカーの上にノートと一緒に隠したので、なかなか高い所にあるので届かない人は、隣の人にちょいと声かけて取ってもらったりするといいんじゃないかと思いました。

あいたくてききたくて旅にでる 小野和子著
三行で撃つ     近藤康太郎著
この2冊を隠したんですが、小野和子さんの本を読み終えた頃のメルマガ2日分を貼ります

1月12日のこと 抜粋

360. 起きました。ちょっと仕事しようかと思ったらもう16時30分
361. 時間が過ぎるのが早すぎるのと、本が面白すぎる。
362. 近藤康太郎強化ウィークを経て、東北の民話を採集した本、あいたくてききたくて旅にでる 小野和子著がいい。これいいですよ。超エモいっすマジで鴨撃っちゃうよーってくらいによくてヤバい本っす
363. ↑三行で撃つ読んだ方ならわかるかもですが、マジで撃たれますよこんな文章書いてたら。Amazonの三行で撃つレビューが近藤康太郎に撃たれたがってる文体だらけでマジで面白いです。
364. でっ、あいたくて本もハイパーハードボイルド本も厚みが同じくらいで、善く、生きてる。あいたくて本と三行で撃つに通づるのは山奥の話というのと、猟が出てきたりする。
365. 他の接点で言うと、参考資料とか引用をディスってるのがとても面白い。ディスってると書くと言葉が悪いんだけど、次の文章を読んでください→まるでダメですというのが三行で撃つはとても多くて、その手法が出てくると読みながら疑心暗鬼になったりしてた。
366. あいたくて本は民話を山奥の老人から集める時の心がけがとても丁寧かつ嘘がない。嘘がなさすぎて大丈夫だろうかと思えるところがある。
367. それと東北の方言の老人が話す言葉に出来るだけ注釈を入れずに意味が伝わるように書く技術ってとんでもないことだと思う。
368. 著者は現在80歳をこえていて、30代後半から仙台からバスを乗り継いで山奥や田舎でアポ無しで民話を集めている。
369. 集め方がとても良くて1983年の2月ごろ私は仙台からバスに揺られて1時間程の山奥に来て歩いている。みたいな感じで始まって、色んな人の民話とか昔話とか個人的な事をジャンルレスに集めている。話を聞いた著者の感想が書いてあり、聞いた場所の雰囲気とかそこにいた人、思ってた全く関係ないこともたくさん書いてくれているので東北昔話民話集とは違う極めて良い風景が切り取られている。
370. 都市はどこ行っても都市だし在り方が東京似てる。山はどこ行っても山奥なんだけど在り方がどこでも似てて変に違う。本を読んでて思うのは地域や家族の繋がりが強すぎてかなり独自の生活風習があって、日本昔話見ているような感じと、何が宝なのか分からずかき集める感じは田中忠三郎が東北でボロを集めた時にも近いのかもしれない。
371. 簡単に東北を結びつけてんじゃねぇよ!とキスケ:からぶん殴られたり、成田の生キックが飛んでくるかもしれないけれど、ちょっとよじれてひねくれてスジが通ってるという1番厄介でカッコいいそしてぶつかりまくってる第3話の一部を抜き出します。

第三話  わたしの「友だち」

仙台からバスで一時間ほど南へ行ったところに小さな集落がある。
略 明子さんはここでずっと百姓をしてきた人であった。

「友だち」— 明子さんとわたしのつながりを、いまこういうふうに書いたけれど、口当たりよく、こんな言葉を使うと明子さんはひどくこだわってくる。そのこだわり方にきりきり舞いさせられながらも、それを通して、「土着」ということの意味を教えられてきたと思う。

たとえばこんなふうにである。
ある日、明子さんから電話がかかってきて、
「沢庵漬けにする大根干してっから、あんたのも干しておくか?」
と言う。うれしくなって、
「わーっ、うれしい、ぜひ、お願いします。でも、お金、ちゃんと払わせてね」と返事すると、彼女は気色ばんで声を荒げる。
「あんた、おれの味方なのか、友だちなのか?」
「味方と友だちと、どう違うの?」
「味方なら、金を払うなんて言わねぇ。あるものを分けて食う仲間が味方だい。友だちつうのは、線引いて付き合う人のことだ。外からいろいろ言うやつのことだ」
「そんなら、わたし、友だちのほうがいいわ。明子さんの味方になんてなれないもの」
「そんなら大根はやんねぇ。やんねぇ。やんねぇ」
「ええ。いいわよ。友だちで結構よ。」


凄い!そんで、作者が言う友達で結構よ!発言への苛立ちが電話の向こうから伝わり、都会のやつら!と括ってくると。言ってることはわかるんだけど、逆立ちしたって明子さんの共同体の味方になれないし、味方という言葉を口にしないで、そこからものを見ていきたいと。

その後ですよ凄いのが、これ→いつかはわたしが負けなければならない戦いなのかもしれない。だがわたしはいま負けたくないのではなくて、負けるだけの力が無いのだと思う。だから突っ張るのだ。


↑スッゲー!すげすげすっげ、すげスッゲー!


わたしはいま負けたくないのではなくて、負けるだけの力が無いのだと思う。
パチンコ行ってきまーす!負けとるやんけ!
いやー凄い。負けるにも度量ってもんがあってそこにすら辿りつけてないと。そこからさらに一悶着じゃなくて700悶着くらいあるんすよ。
充分じゃないっすか、負けるだけの力がないから突っぱねるだけでいいのに、次に明子さんに会ったら、やんねぇ3連発してたのにギャンギャンくれるのよ、この前の3連単なんだったのよと思いながら作者は貰っちゃう。そんで、わたしはお話を貰いまくるお話乞食なのよと可愛く言ってみせたら、明子の炸裂カウンター!乞食ってのは貰って食べてる人のことだろ、お話乞食でメシが食えてんのかい?とバチコン突っ込む。

明子さんはたたみかけて言った
「だってさ、おもらいで食ってるわけでもねぇのに、乞食だなんておこがましいちゃ」

わたしはもう、うなだれるしかなかった。

凄くねぇっすか!これからまた続きがあるってのがさらに凄い。
あいたくてききたくて旅にでる 小野和子 
これとんでもねぇ本ですよ。
明子すご過ぎるし、それにぶん殴られる著者も凄いというかその先の貫かれたひねくれ方とそれがよく見たらまっすぐだった。という素晴らしさ。
なんコレ!という感じです。近藤康太郎アロハで猟師本にも金じゃないお互いの信頼関係で物を交換しあうというような田舎ナイスな循環について書かれてるんだけど、そこに入っていってバトルして殴られてる全てを書いてあるのがいい。たまらなくいい。近藤さんも新聞記者だから道具も借りられてぬくぬくで作業できるんでしょ?という感想にキレて手作業だけで田植えから稲刈りするのがあるんですが、それに似ててキレまくって殴られまくって考えてる感じ最高よかよかです。


文章の数字が消えてしまいましたがわたしは元気です。


1月13日(水)のこと372〜411

372. 森進一
373. おはようございます。
374. 作業場です。
375. あいたくてききたくて旅にでる 小野和子ホーキ!読み終えました。
376. ゆめゆめのサーカスすごいなぁ、イイハナシダナー ←F8ヨッシャーも伝わらないと思いますし、このまぐまぐメルマガはリットルとかグラムとか絵文字が打ち込めないので解説すると、pcで文字を入力してf8を押すと半角文字で表記される。それがガラケーに転用というか文字数少ない=データ少ないのでパケット代節約出来るので、嬉しいことをf8ヨッシャーと当時のインターネットオルタナティブスペースで書きまくっていた頃の事を思い出した。
377. いやー、F8ヨッシャー検索で2006年の自分のブログ読んでたら今と何一つ変わって無くて驚いた。いろいろ懐かしい。
378. 使われなくなったブログのコメント欄と、学芸大学のドコモショップの前にある電話ボックスのタウンページの459ページに手紙を挟んで文通をしてた借金取りと素人の乱というおかしすぎる二足のワラジ業だった。文通をしてた人がぬすっとというハンドルネームというか通り名で、天才!初めて書いた小説はぬすっととのやり取りを書いた。
379. そのぬすっとも宮城出身だったから、あいたくてききたくて旅にでる本興味あるかもしれない。
380. でっ、凄かったです、昨日ド熱く書いたけれど読み終えて後半もとてもいい。本って読める時と読めない時があって、読めない時はめくる気もしないし、読んでても違う事を考えてしまう。このあいたくて本も一切頭に入ってこないのも3つくらいあって、その時にぼーっと考えていたことがよかった。
381. 都市と田舎で考えると、東京と長崎なんて本当にわかりやすいんだけど、もっと解像度をあげて、実家がある諫早市に住んでたころ、長崎の街に行く事を長崎に行くと言ってた。長崎に住んでる人は長崎に行くなんて言わないし、東京育ちの人が地名としての東京を言わないようなものだ。
382. でっ、自分が上京してから合併吸収されて諫早市になった。それまでは多良見町だった。婆ちゃんの家は多良見町の伊木力というところにあった。多良見町もかつては、喜々津、大草、伊木力という3つの村が合併して町になった。
383. この前書いた木曜ラーメンはリアル諫早市というか中心部にあって、同じ諫早市だけど少し違う。アロハで猟師の近藤さんの田んぼは諫早市の飯盛と田結というところにあってこれまた全然違う。
384. 解像度を諫早くらいにして、伊木力と田結くらいそこからさらに山奥や海の人が少ししか居ないようなあたりに小野和子さんは1960年代から50年以上も話を東北で聴きに行ってる。小野和子さんが住んでるのは宮城県仙台市だから、感覚で言うと福岡に住んでる人が伊木力までバスに乗って話を聴きに行ってる感じだろうかと思えた。
385. 山下ヲモ 1911年(明治44年)生まれの私の祖母にそっくりというか出てくる民話の感じがとても似ている。婆ちゃんの家に泊まりに行くと寝るときにいつも昔話しをしてくれて、それは知ってる有名なのもあったし、創作話みたいなのもあった。
386. 本の感想を書かずに自分語りしたり関係なく蘇った記憶を書いてるのは、あいたくて本がそのようなスタイルで、東北の民話を集めただけじゃなくて関係のないような情景がたくさん描かれていて、そここそが良かったし、それをやってもいいんだなと思わせてくれた本だったから。
387. 三行で撃つで撃ち抜かれて、あいたくて本で生まれ変わるような後悔っぽいけど脱皮できた、さよなら既得権益自分というような感じ。
388. それが昨今の正しさだけで描かれている感覚更新して生きましょう本とは違う方向から殴られて、善く、生きるに繋がるところ、そして、作者の小野和子さんは読まずして、三行で撃つを体現されるほどに文章が上手いんじゃなくて、ギャンギャンに撃ち抜いてくる。
389. コスパが悪い。とにかく悪い。だからこそ、みんなが喜んで捨てていったから今があって、それとは全く違う地平というか、対象がないからこそ凄いんだと思った。
390. さまざまな人が、さまざまな生き方をしている。行ってみなければわからない。聞いてみなければわからない。見なれた道でも、ひとはそれぞれ違った歩き方をしている。この本は、そんな話がつまった、人生の小さな電話帳。
391. ↑この言葉は阿奈井文彦著 アホウドリの人生案内の裏に書かれた文句。この文句のような感じが、あいたくて本にも漂っているんだけど、アホウドリ本は取材対象が明確にある。キヨスクで働いてる人、長嶋茂雄と池田大作と同姓同名という、対象と中身がキチンとある。
392. しかし、あいたくて本は田舎の老人から民話を集めるという大雑把な感覚しかない。しかしそれは大雑把でもなんでもなく超繊細でもある。民話を聴きたいと著者に同行した人と一軒の家をいつものようにアポ無しで訪ねたら、戦争で死んだ息子に線香をあげてたところだった。息子が戦争で亡くなった時に夢に出てきた話をしてその老人は奥の部屋に行ったので、ドアを閉めたら、同行者に、「民話は聞かないんですか?」と聞かれたので「いま、聞いたでしょう」と答える。
393. へっ?えっ?今のが民話なの?と思うような話もたくさんあるし、何処で何のスイッチが入ってるのかわからない。それくらい良いというか、雑味が入り混じっていて、その雑味を良く読んだら超繊細なんですよ。
394. なんで昔話は老夫婦が山に住んで子どもがおらず、山に芝刈りに行くのかの答えが書いてある。それは民話を集めまくることで、山に老夫婦多すぎじゃねぇか?なんで子どもが居ないのか?を集めて比べて考えると答えが出てくる。これは聴いてるだけではわからない事だし、口伝伝承は話してる本人もわからないからこそ、次の次のその次にお前を訪ねて誰かが来るかもしれない。今は読み解けないけれど、いつかわかる時がくるかもしれないという念のような感じで受け継がれ、ある時にふと、異なる視点の人が解明するような、そのきっかけになるようなことが意図せずばら撒かれているし、民話界の権威とかを拒否りまくってドチャクソに苦労しながら掴んでいった感がギャソギャソでたまらん感じの本です。
395. 雑味が残っているからこそ漂ってくる匂いがあって、そういうものがとても好きだから、この本の作られ方が良いんだなと思ったし、いわゆる本としてまとめられる時にこぼれ落ちるというよりも積極的にカットする所をたくさん残すことで、信頼とその人らしさが浮かび上がってきて、もうたまらん!という感じになってくる。
396. 民話を集めているという事で注目されテレビとかラジオとかでも収録することになって、取材班と同行して収録にいくとご馳走が並べられて、おめかしをした着物のおばあちゃんがいてそこで収録する違和感をキチンと書く。自分のやり方でなりたい事を拒否しながら決めて掴んでいってんのがとても良いし、かくあるべし!に反対しながらもう一つの雑味という王道を見つけて進まれている。
397. 著者の小野和子さん自身が85歳で戦争の話しの語り部として話す冒頭で「戦争のことは、何十年経っても簡単に思い出したり、語ったりできないのです。だから、話を聞くあなたたちの心のうちの覚悟を聞かせてほしい。知っている者が、知らない者にその経験を語って当然という暗黙の了解だけでは語れません。その互いの覚悟が通じ合わなければ、つらすぎるのです」
398. ギャオーーーン!痺れるぅ!エモエモのエモーー
399. 近藤です↑撃ちます。
400. そうなのよ、そうなの。聴くってことは生まれ変わるってことなんだと、自分自身の今までの古い価値観を捨てて生まれ変わる事業が聴くということ。事業ですよ。
401. たまらんすね。だから、この本と三行で撃つを読んだら体験、経験、見聞きした事が描けるようになるってことなんすよ
402. エモい
403. ↑近藤です。
404. 397凄過ぎるし、今週の図書新聞で美術評論家の福住廉さんが2020年の美術展覧会まとめで全く知らなかったダークアンデパンダン展について、詳細を書かないで褒めまくっていた。
405. なんなんだろうか?と思ったらチンポムのウシロ君やアーティストの松田修君らが主催したネットにもUP出来ないようなヤバい表現を集めて公開しない前提と口外しない約束という関係を作って見せるアンデパンダン展覧会がWEBとリアルで開催されてWEBでは一部しか見れずリアルで面白い本気が見れた素晴らしかったと。
406. 気になって仕方なかったので帰ってから検索しまくったら、観た時のレビューを福住さんがnoteに書いていた。そこには、契約書に詳細を書かないとサインしたから書けないし、批評家としてコレはめちゃ苦しいけれど、とんでもないものを頂いたから、コレはキチンと返さないといけないと。だからこその2020のベストとして書いたんだなと思うと素晴らしいなぁと、アロハで猟師の田舎ではお金じゃ無くて人間同士の繋がりみたなやり取りを都市でも可能にしててエモい
407. ↑近藤康太郎です。撃ちます
408. そうなんすよ、397で小野和子さんがこれから戦争の話するけど、受け取る覚悟よろしく!ってのを福住さんは実践してる。
409. 同じ感じで、音声チャットをLINEのオープンチャットでいくつかやってるんだけど、超ヤバヤバなのを投げてもそんなに反応がなかったり、渾身のメルマガ書いてもイマイチだったりするともうやめようかなと思うことも多い。しかし誰かからの反応よりも自分自身の記録として、習慣として身についているのでやり方は変わっても続けていきたい。
410. ありがたみをデザインしたいわけじゃないんだけど、聴く、見る、読む人の覚悟が知りたいし、それがあると思うからこそ書くし、バチコンな事を書くと決まった数人からは返事を頂いて、あそこまで書いてくれたから、私の違和感も書きますと書いてくれることがある。
411. でっ、話が長くなりましたが、からざ(yunboの高柳)さんから音のジンを作ったと音声が送られてきた。番組みたいになってて、音声チャットにあげられるのとは少し違う、みんなに投げるんじゃなくても個人間のやり取りとして誕生したこの超局所空間は小野和子さんや福住さんが言う丁寧なやられたらやり返せを体現しまくっていて、雑味と可能性があって最高の一歩が生まれてワクワクしてます。

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