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実は私も、知らず知らずのうちに転落し、やむを得ず「下級国民」になりつつある:『下級国民A』赤松利市著【推薦文(日本語訳)】

赤松利市著『下級国民A』(CCCメディアハウス)の繁体字版が台湾の出版社「拾青文化 EUREKA」より出版されました。

繁体字版の冒頭には、台湾の作家、姜泰宇(敷米漿)氏による推薦文が収録されています。その日本語訳を本記事にて、全文公開いたします。

公開に際しまして、日本語に訳してくださった出版社とエージェントの担当者様と、ご快諾くださった姜氏に、心よりお礼申し上げます。

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今後、下級国民が出ないように

姜泰宇(敷米漿)/洗車作業員・作家

しかしこれは順応なのだ。諦めや自暴自棄というのではない。人間は環境の変化に、それが緩やかに起こるものであれば、順応してしまうのだ。
(赤松利市『下級国民A』)

このくだりを読み24時間経ってから、私はやっとこの文章から離れ、続きを読むことができました。さり気ない文章に見えますが、私のような人間は、再三、味わってきたことであり、私は自分がなぜ、今の自分になったのかを振り返っていました。私たちは、なりたい自分になれましたか? 今のあなたは、この理不尽な世界によってつくられてきたのです。

『下級国民A』を読み、私はずっと、ある種の既視感に悩まされていました。実は私も、知らず知らずのうちに転落し、やむを得ず「下級国民」になりつつあるからです。著者と同様、他者にいじめられ、隅っこでひっそり生きています。今の自分が求めているのは、いかにして現状を変えることができるかではありません。今の状態で何とか生き続けられるか、です。

とりわけ、本書にある次の場面が、身に染みます。それは、著者が多目的トイレでカレーパンを食べ、缶コーヒーを流し込み、暖をとる場面です。逃げるようにして食べる物と温もりを求め、一日の仕事が始まる時間まで待つのです。

生活苦にあった私は、期せずして同じ行動を取っていました。私自身の生活を振り返ってみると、まるで同じ日々を送っていたではありませんか。カレーパンは朝食店の蛋餅(ダンビン ※台湾式の玉子巻きクレープ。朝食の定番メニューの一つ)に代わり、缶コーヒーはアイスミルクティーに代わりはしましたが。ファストフードの朝食セットが自分への褒美で、職場の不快な出来事にひそかに文句を言いながらも、その状況を変えることができません。

他の人と比べると、いち労働者の私はずっと無力です。

モンスター顧客に頭を下げ、同僚には仕事を辞められたら困るので何か不満をぶつけられたら、我慢してなだめます。この世界の理不尽に抗いながら、なんとか生きているのです。ある日、私は自分に問いかけました。「もし、汗と汚れと水にまみれながらの、この洗車の仕事をやめたなら、自分には、他の仕事ができるのか?」。残念ながら、答えは思いつきませんでした。洗車の仕事が無理なら、トラックの運転免許を取り、その給料ならば家族を養うことができるかもしれない。妻にも相談しましたが、笑い飛ばされました。

妻にはなかなか言えませんでしたが、この社会で、自分にはできることがそんなにないのです。

この本の著者は娘の生活費のために、自分の出費を抑え、日本という高度格差社会(実は台湾や韓国も同様です)で、自分には向かない肉体労働をこなさなければなりません。自ら喜んでその仕事をしているのではなく、その選択肢しかないからです。その気持ち、私ならわかります。社会は我々に無限のチャンスを与えてくれるように見えます。しかし、そうしたチャンスを手にする以前に、私たちにはちゃんと生きていくだけの余裕などありません。巷に流行る自己啓発の言葉など、労働者である私達から見れば、他者に高閲を垂れる資格があると自覚している人による高慢な発言に過ぎません。

どうか私達の迂闊さを責めないでください。この社会で、私達はこのように生きるしかないのです。お金のない時には安い煙草を買い、昼はパンで空腹をしのぎ、嫌悪の視線にさらされても、自力でなんとかしなければなりません。仕事で血が滲んだ両手を見ても、服でその血を黙って拭き、作業を続けるしかないのです。そうしないと、どうなると思いますか?

『下級国民A』(台湾版は「美しい国? 日本が? 私が東日本大震災の復興現場で、作業員となった日々」の副題あり)は、東日本大震災以降の東北地方のとある真実と日本社会のリアルを私達に伝えてくれます。工事現場での実体験を通して、アジア社会に潜む一つの裏社会を見せてくれます。誰がこの環境に身を置いて、真実を伝えてくれるというのでしょう。そして、誰がこの本の主人公となってくれるというのでしょう? 一週間でも、そんな生活は我慢できないに違いありません。

肉体労働に従事している私は、この本に深く共感しています。

「おまえたちのような下賤の者を、あの方にお見せするのは目の穢れであるが、もしあの方が、この現場に足を運ばれるようなことがあったケースを想定し、厳重に注意しておきたいことがある。おまえらは作業に集中し、決して手を止めたり、顔をあげたりしないように。あの方を一目拝みたいだのと考えないように。いいか、厳命しておくぞ」
(赤松利市『下級国民A』)

この本で最も関心を引かれた一文です。力仕事をしている者を見下してはいけないと、人は誰しも自分に言い聞かせます。仕事で汚れ、匂うとしても、です。しかし、コンビニで会計をする列に並ぶとき、前の人の服が汚れ、夏場に汗の匂いがしてくるときなど、私達は思わず他の列に移ったり、あるいは少し距離を置いたりするのです。今ならば、マスクをしてよかったと思うことでしょう。

そんな差別などあり得ないと思いますか。引用の「あの方」とは、日本では誰もが知る女優を指すようです。彼女が被災地の視察に訪れるとき、現場の責任者は作業員たちをあのように恫喝したのです。美しい物事の裏には、汚れが存在しないわけではありません。みんながそれに気づかないふりをしているだけです。すべての人は催眠にかかっているのかもしれません。

すべてが清潔なこの時代、私達がすべての下級国民の存在をしっかりと正視できますように。

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