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【祝4刷記念】近藤康太郎さんが選ぶ30冊:『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章術』

昨年12月の発売から2カ月。おかげさまで『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章術』の4刷が決まりました。今回は4刷決定を記念して、著者の近藤康太郎さんによる選書30タイトルを近藤さんの推薦文とともに公開いたします。

『「あらすじ」だけで人生の意味が全部わかる世界の古典13』(講談社+α新書)という著作もある近藤さんは、古典読みの読書家としても知られています。『三行で撃つ』では、その読書法についても惜しみなく紹介しています。その方法に照らし合わせてみると、納得いただける選書です。ぜひ、参考になさってください。

※選書と推薦文は梅田蔦屋書店さんで開催された『読書の学校×近藤康太郎「書くこと+食べること=生きること!」』フェアにて配布された冊子からの転載です。そのため、選書が「生」と「食」に偏っていますが、ご理解ください。


日本文学

■1冊目:『こころ 坊っちゃん』夏目漱石/文藝春秋 (文春文庫)より「坊っちゃん」

軽薄な江戸っ子、駄目なところがまた、愛おしい
天麩羅蕎麦4杯も食って団子食って野だに生卵ぶつけて食べ物をむだにしておいて、漁師や猟師を不人情と口撃する坊っちゃん。直情径行、政治的に振る舞えない町っ子の坊っちゃんは大好きなんだが、こういう軽薄なところが江戸っ子で駄目なんだなあ。自分で猟師を始めよく分かった。しかし、その矛盾も人間らしい。


■2冊目:『斜陽 人間失格  桜桃  走れメロス 外七篇』太宰治/文藝春秋 (文春文庫)より「斜陽」

生きているんだからね。インチキしているのさ。
わたしも、あなたも

「生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしいことのような気もする」。この文章が真にわかったのは、自分で百姓をし虫を大量に殺してから。猟師になり子鹿を殺してからだ。「とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ」。わたしも、あなたも。


■3冊目:『神聖喜劇 第1巻~第5巻』大西巨人/光文社(光文社文庫)

日本語文学の金字塔にして真の世界文学。
日本語が読めてこれを読まずにどうすんだ

戦争という極限状況にあって、生きることになんの意味も見いだせない我流ニヒリズムに陥った〈わたし〉が、この戦争を生き抜くべきだと転回する。生まれたからには、生きてやる。死ぬまでは、生きろ。戦後日本文学の金字塔である本書を読み終えるとき、わたし自身による、全力的精進の物語が始まるだろう。


■4冊目:『死霊 Ⅰ~Ⅲ』埴谷雄高/講談社 (講談社文芸文庫)

ある意味難解だが、
登場人物のギャグキャラたちが尋常じゃないハイテンション。
笑う

生きるとはなにか。食べることだ。他の生命を、殺すことだ。けものであっても魚であっても、野菜や米であったとしても。イエス・キリストは、復活してのち、なにをしたか。魚を所望された。魚肉を、むしゃむしゃと食べた。生きて、在る。そのことの本源的な罪、悲しさを描いてこれ以上の作品はない。


■5冊目:『野火』大岡昇平/新潮社(新潮文庫)

”戦場”を知らない人間は、子供である
銃や弾丸というものは、重いものだ。こんなのをもってやぶの中を歩く猟師とは、沙汰の限りである。ましてやそれが人を殺すためだったら……。この世でいちばん大切なのは、食うこと、生きること。いちばんくだらんことは、人を殺すこと。戦争。それが女房子供、村、国、革命、理想、なんのためであっても、だ。


■6冊目:『草のつるぎ 一滴の夏 野呂邦暢作品集』野呂邦暢/講談社(講談社文芸文庫ワイド)

明晰、簡潔、端正、余韻……。夭逝した文章の達人
自衛隊に入隊してその経験を描く本作で芥川賞をとった作家は、のち、1970年代ベトナム戦争反対の市民運動をリードした知識人から「自衛隊の是非についてどのように考えているのか」と追及されたことがある。作家は「食うために」と答えた。声高に主張しないが、野呂文学のすべては反戦文学であると、わたしは思う。


■7冊目:『風の歌を聴け』村上春樹/講談社 (講談社文庫)

「台所で書いていた」という大人気作家のデビュー作
ピザにチーズクラッカーにフライドポテトにビーフシチューに、主人公はデビュー作からよく食べる。もちろんビールも。村上作品の最上な部分は、すべてこのデビュー作にあると思う。生きるということ、食うということ、それはとりもなおさず、〈死につつある〉ということだ。


■8冊目:『会社の人事 中桐雅夫詩集』中桐雅夫/晶文社

中桐さんの詩を読むと、なんだか泣きたくて、でも生きたくなる
「日本中、会社ばかりだから、/飲み屋の話も人事のことばかり」。詩人の一節にぎょっとして、以来、いっさい人事や他人のうわさ話はしなくなった。しなくなったら、興味がわかなくなった。人と話が合わなくなった。人と合わなくなったら、自分の前の、生きてゆくスペースが広くなった。田と、野と、山と。


9冊目:『宮沢賢治童話集』宮沢賢治(ハルキ文庫)

「童話」なのに、子供のときは読めないものばかりだった。悲しすぎて
ベジタリアンの賢治は、楽しみで撃つ猟師に厳しい(「注文の多い料理店」)。生きるために撃つ猟師の悲しさ、因業も知っている(「なめとこ山の熊」)。「てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」。猟師のこの言葉を笑えるやつは、いるのか?


■10冊目:『自虐の詩 上・下』業田良家/竹書房

最後のコマ「完」に、著者の満足した脱力がうかがえる。
空っぽになった、と

元やくざとその情婦とのドタバタを描くギャグ漫画だったが、途中から様子がおかしくなる。生きるということ、幸せを願うということ、その本質的なおかしさと欺瞞性に、登場人物たちが反逆を始める。キャラが、作者の手を離れた。mojoが降りてきたのだ。ラストシーン、文字どおり、物理的に、泣いてしまった。


外国文学

11冊目:『カラマーゾフの兄弟 第一巻~第四巻』ドストエフスキー、米川正夫訳/岩波書店(岩波文庫)

カラマーゾフを読まないで死ぬのもなんだかな
大人はいい。なんの罪もない動物が、子供が、なぜ虐待されるのか。苦しむのか。そんな犠牲が必要というなら、おれは世界など、神などほしくない――イワンとアリョーシャのこの有名な対話までたどりつけたら、その人の人生は変わる。イワンをナイーブと嘲る人間がいたとしたら、その幼稚さにつける薬はない。あっち行って。


12冊目:『コサック 1852年のコーカサス物語』乗松亨平訳/光文社(光文社古典新訳文庫)

恋をして、幸せになる以外、人生になんの意味があるものか
野原に身を横たえ、主人公は突然気付く。自分の体を覆い、血を吸うヤブ蚊ども、しかしこいつらも、生きている。「彼らの一匹一匹が、このおれと同じように、万物から独立した特殊の存在なのだ」。ラストシーン、老コサックと主人公の別れに感動する。感動的でないことに、感動する。ほんとうのさよならは、こうしたものだ。


13冊目:『大尉の娘』プーシキン、神西清訳/岩波書店(岩波文庫)

名誉を守り、決闘に倒れる……。
かっこよすぎることは、かっこ悪いことなのに

「おろしたてから着物は惜しめ。若いうちから名は惜しめ」「田舎に流されたとて嘆くことがあるものか。あんたが最初じゃないし、最後でもない、住めば都ですよ」「あとは野となれ山となれとさ」。この本の、芝居めいた名台詞には救われたものだった。救われなかったのが、作者のプーシキン。若くして、くだらん決闘で死んだ。


14冊目:『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ、神西清訳/新潮社(新潮文庫)より、「ワーニャ伯父さん」

生きているあいだは、生き生きと、生きるのだ
「生きて行きましょう。運命が与える試練に耐えて、今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働き続けましょう」。ラストシーンのソーニャの言葉に「他の人たちのため? 偽善者なの?」という人はこのブックレットを読んでいる人にはいなかろう。チェーホフは、全集買って読むがいい。生きて、行きましょう。


15冊目:『われらの時代・男だけの世界 ヘミングウェイ全短編⑴』ヘミングウェイ、高見浩/新潮社(新潮文庫)

「あの」アメリカ料理がおいしく思える稀有な本
食べ物、飲み物を書かせてヘミングウェイの上をいく作家はいない。単に、料理名を書いているだけなのに。本短編集では「殺し屋」がベスト。「アップル・ソースとマッシュ・ポテト添えのロースト・ポーク・テンダーロイン」を食べたくて、アメリカ中のダイナーを車で回ったものだった。


16冊目:『夜の果てへの旅 上・下』セリーヌ、生田耕作訳/中央公論新社(中公文庫)

「世界は常に醜い」 だからこそ、善く、生きる
「世界は常に醜く、人生は生きるに値しない」。わたしが呪文のように唱えているのは、みな、セリーヌの影響。じゃあ、死ぬのか? それが、死なないんだな。世界が醜悪であればこそなのだ、自分が善く、生きるのは。文中に出てくるパリの揚げ芋って、フレンチフライのことだろうか。ベルモットだけ飲むのが粋だとか。


17冊目:『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス、鼓直訳/新潮社

よそ者を供応せよ!
革命家アウレリャノ大佐より、その母ウルスラこそ長大な物語の主人公である。革命だかなんだか知らないが、親をないがしろにするものはズボンを下げてお尻をぶつんだからね。魚や肉を買い、よそ者をどんどん呼んで、食事を振る舞うのよ、という肝っ玉母さん。饗宴、贈与しか、家(世界)が荒れるのを防ぐ手立てはない。


18冊目:『嘔吐』J‐P・サルトル、白井浩司訳/人文書院

文章を、書こう。自分を受け入れるために
若くして金利収入で生きていこうとする主人公。「死を前に尻込みしていた自分」を変えたのはなんだったか。レコード、そして本だった。一冊の本を、書こう。そうすれば、自分は書いたものを通して、嫌悪感なしに自分の生涯を思い出すことができるだろう。書こう。自分を受け入れるために。すべてのくずどものために。


19冊目:『供述によるとペレイラは』アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳
/白水社(白水uブックス)

「あの」ポルトガル料理がもっとおいしく思える稀有な本
第2次大戦前、ファシスト政権下のリスボンでひとりの新聞記者が小さな抵抗を始める――と、それはそうなんだが、わたしはポルトガル料理の本として何度も繰り返し読むのである。鯛の網焼き、ガスパッチョ、魚介のパエージャ、ヒメマスのアーモンドソース。ヒラメのムニエルにニンジンのバター煮。切れそうに冷えた白ワイン。


20冊目:『ボブ・ディラン自伝』ボブ・ディラン、菅野ヘッケル訳/SBクリエイティブ

転がる石に、なってやる
無反応に打ちのめされて、崩れてしまいそうなとき。書くのをやめたくなったとき。ディランの自伝を読む。やりたいことを、やる。表現したいことを、表現する。難しい。だからこそ一生をかけるに足る。あのディランにしてさえが、ミュージシャンなんかやめて、投資(!)で食っていこうとしていたのだ。


人文・科学

21冊目:『世界史の構造』柄谷行人/岩波書店(岩波現代文庫)

世界の外を想像することは可能だし、それは倫理でもある
生産様式ではなく、交換様式に着目して世界史を書き直すという、著者畢生の力業を発揮した大著。ではあるものの、論理の運びは平易で、予想に反して読みやすい。ネーション=国家が世界中を覆っていて、その手から抜け出すのは不可能だと、わたしたちは思い込まされている。しかし、世界の外を想像するのは可能だ。イマジン。


22冊目:『存在と時間 (一)~(四)』ハイデガー、熊野純彦訳/岩波書店(岩波文庫)

決意した人間存在は他者に対する良心ともなり得る
20世紀哲学を代表する著作は難解。読了に3年かかった。それだけの価値はある。人間存在とは、死という「追い越し不可能性に向かっておのれを自由に解放する」とか、しびれるフレーズ満載。しかしこの痺れる感じから、ナチスに利用されたし、著者もナチスに一時傾倒していったのだということを忘れてはならない。劇薬。


■23冊目:『武藤徹の高校数学読本 1 数と計算のはなし 【 代数篇 】』『武藤徹の高校数学読本 2 図形のはなし 【 幾何編 】』武藤徹/日本評論社 

数学とは、世界を認知する「ものさし=言語」である
代数学はなぜ生まれたか。人が狩猟を始めたから。獲物を数える必要が「数」という抽象概念を生む。最古の数は狼の骨に刻まれた「線」であった。幾何学はなぜ生まれたか。人が、農耕を始めたから。面積を測り、穀物の容積を量る必要があった。そこから「権力」も生まれた。高校数学で人類と文明を語る、驚くべき思想書。


■24冊目:『考えるヒント2』小林秀雄/文藝春秋 (文春文庫)

食、スポーツ、骨董、絵画、音楽……。批評のというより、ナラティブ(叙述)の神様
収録の「蟹まんじゅう」は「めっぽううまい酒を、書けばくれるというので書くのである」と始めるエッセイ。こんな啖呵、いちど言ってみたい。戦時下の中国でのんきなことをしている。それなのに、人間を、国を描いて過不足なし。文章の名手とはこういう人を言う。いま読み返して、たまらなくなった。蟹まんじゅう食いたい。


■25冊目:『人新生の「資本論」』斎藤幸平/集英社 (集英社新書)

清貧ではない。潤沢なコミュニズムはあり得る。若き俊英、革命のアジテーション
俊英による「革命」のアジテーション。地球温暖化は、SDGsでもグリーン・ニューディールでも止まらない。資本主義を終わらせ、脱成長コミュニズムに移行するほかない。でもどうやって? 一発勝負の暴力革命ではない。いわば「とろ火で焼き上げるような」(プルードン)社会運動によって、個人の覚醒によってなのだ。


26冊目:『志ん生の食卓』美濃部美津子/新潮社 (新潮文庫)

大名人、起きたらとりあえず一杯、飲むそうで
大酒飲みだった落語の大名人、その食卓を愛娘が語る。納豆や湯豆腐で酒をおいしそうに飲み、「締めはタラコかなんかと一緒にお茶漬けサラサラッでおしまい」。つましい食卓だったが、じつになんとものどが鳴る。うまそう。粋。美食だグルメだ語るな。それは恥ずかしいことなんだ。うまく食え。〈命〉に、そう言われている。


■27冊目:『優しい経済学 ゼロ成長を豊かに生きる』高橋伸彰/筑摩書房(ちくま新書)

経済学は「人にやさしく」するための武器だ
経済学はなんのためにあるのか? 資源の最適配分のため? 成長を続けるため? そうじゃない。人に「優しく」あるためだ。学問の根本をはずさない、日本にまれな経済学者。強くありたい。わたしそうも願う。しかしそれは、他者を蹴落とすためではない。「人にやさしく」(byブルーハーツ)あるための、強さなのだ。


28冊目:『これは水です』デヴィッド・フォスター・ウォレス、阿部重夫訳/田畑書店

自分をコントロールする。自分が自由であるために
〈どういうふうに〉考えるか。〈なにを〉考えるか。それがほんとうに「考える」という意味だ。思考をコントロールしろ。市場と大資本と国家とネットに取り囲まれ、逃げ場がない。息が詰まる。もしあなたがそう思うなら、考えろ。〈どう〉ずらすか。〈なにを〉バックれるか。自分をコントロールすることが、自由になることだ。


■29冊目:『いのちへの礼儀 国家・資本・家族の変容と動物たち』生田武志/筑摩書房

スーパーで買ったその肉は、どう処理されたのか、知っているか
猟師は残酷だと人は言う。肉はスーパーで買えとののしられる。では、スーパーであなたが買っている、きれいにパッケージされた商品である鶏、豚、牛は、どう飼育され、どう処分されているのか、知っているか? それを知るのが、最低限の、いのちへの礼儀だろう。著者の静かな筆致は、しかし、だれを裁いているのでもない。


■30冊目:『近代世界システム 農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立』I・ウォーラーステイン、川北稔訳/名古屋大学出版会

Get Up, Stand Up! 知とは、反逆への覚醒
年貢を取り立てられる領民や農奴→サラリーと引き換えに労働力を差し出す労働者。封建主義から資本主義へ。世界の歴史はなぜこのように変化したのか。社会が進歩したから? 民主的になったから? 違うって。そっちのほうが〈搾取〉しやすくなったからだ。わたしたちは、無意識に奴隷である。Stand Up For Your Right!


著者プロフィール

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