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記事がまーーーったく書けない

久々にnoteを開き、自分が書いた記事を見返した。
正直な話、noteを開くのは約1年ぶりくらい。
久しぶりすぎて、3歳くらいに撮られた写真を大人になって見返す感覚。

思い出に浸りながら「よし、今日から書いていくぞ」と意気込んでみた。
しかし、10分、20分、30分と時間が経っても頭の整理ができていない。
どうやら「書く」という動作を忘れたようだ。

逆上がりや、あやとり、けん玉といった身体で覚えたことは10年、20年経ってやっても意外とかんたんに出来てしまったりするけれど、思考方法に関してはちょっと別物らしい。

とりあえず、書こうと思って殴り書きした文章を下にまとめておく。

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・今日は「隣の芝は青すぎる」お話。
・皆さんは目標にしている人や、あこがれている人はいるだろうか。
・隣の芝は青い。
・青いどころかエメラルドグリーンに輝く沖縄の海のように輝いて見える。
・そう、旅行の広告で見る白いビーチとエメラルドグリーンに輝く海だ。
・確かに、広告のイメージのようにキラキラ輝いている時間はある。
・いつでも輝いていると勘違いする。
・台風の日には海は荒れ、雨の日には濁ることがあるのに
・いつ行っても、いつ見ても広告のような海を想像してしまう。
・この感覚、何かと似ているなぁ・・・
・と思っていたらSNSでキラキラ輝いている人ではないか
・成功している「ふう」(実際に成功しているのかもしれない)人たちが
・人は誰しも失敗を繰り返しながら生きている
・台風の海のように荒れる辛い経験
・雨の日のように濁る日々の小さな苦痛。
・そういった苦痛がなければキラキラ輝くことができない。
・隣の芝は見ずに、自分と向き合っていくことが大切。

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「隣の芝は青く見えるから、自分だけの芝を見て、丹念に手入れして行こうぜ!」って青春気取りながら書きたかったのだと思う。

なんというか、書くことが目的になってしまっている悪い例だ。
本来あるべきは「思考を整理するために書く」「誰かに伝えたいから書く」が正しい書き方だろう。

まぁ、こんな感じで消化不良の代名詞とも思われる記事の公開を復活の儀として、またnoteを再開しようと思う。

みなさん、どうぞ今後ともよろしくお願いします。

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