優しくないと伝わらない

このところ、
過剰なくらい優しい言葉を優しいトーンで、
さらに正義であり、正しく、そして
かっこ良くないと、何も伝わらないどころか
拒否をされる。こういう傾向がどんどん強くなってきている気がする。

これまでも話の中身では無く「誰」が言っているかが大事にされることは多かったと思うけれど、言葉にもクリーンさと優しさ、親切すぎるほど丁寧な説明とか、配慮が求められ、内容よりも、どんな風に言われているかが大切になっている気がする。

簡潔だったり、冷たい論理的な文章や、
難しすぎて答えが出ないような哲学的な文章は読まれない。
ましてや乱暴だったり、突き放すような表現は拒否される。

読む側が試されるような文章は読者を
「こういう文章が理解出来るようにもっと勉強しよう」と思わせる事は出来なくなり、
噛み砕いて、わかり易く、簡単な言葉でないと即却下だ。

1回読んだり、聞いてわからないものは
難しいものとして捨てられ、書き方が、言い方が悪いという事になる。

良く言えば、こうであるべきに縛られず、
悪く言えば、受け身で何でも人のせいにしているとも見える。

アカデミー賞の授賞式のスピーチとか、ハリウッドスターがインタビューに答えてるような、ああいう感じが受ける話し方だ。
誰も否定せず、誰も非難せず、配慮された言葉でなおかつ、クスッと笑えたり、ほっこりしたりするエピソードを交えて、アメリカっぽいスマートな感じ。

ああいうのは何だか作られた言葉の感じがする。本音に聞こえない。という人は、年齢層が上の方かもしれない。

政治もエコロジーも、学校の授業も。
事実を論理的に説明するだけでは
もう誰にも伝わらないところへ来てしまっているのかもしれない。



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