日本の古代

✡はじめに

最近、ポータルサイトの検索エンジンを利用して検索すると次の画面では検索項目の広告やPRと称する画面が目につくようになる。煩わしさを感じるばかりでなく、性能の低い我がPCでは次の画面に移動する時間が長く、時折、移動したと思いイラッとしてクリックなどをすると当該広告やPRのページが出てくることがある。検索するのが古代史の項目が多いためか、邪馬台国の内容が多いようである。曰く「中国にバカにされる卑弥呼」とか「邪馬台国とか卑弥呼とか、変な漢字」とか。そのHPのさわりの部分を見てみると、

1.「魏志倭人伝」に記された、日本史初の女王・卑弥呼。「邪馬台国」を支配し、中国皇帝からも認められた「倭国の王」である。しかし不可解なことに、、卑弥呼に関する記録も、お墓も、日本では全く見つかっていない。

2.“邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”と「魏志倭人伝」には書かれているが、当時の遺跡や遺物をいくら調べてみても、刺青をしているような痕跡はほとんど確認されていない。

3.著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。つまり“フィクション小説”として、この作品を記したようだが、、。

4.長い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげ。明らかに、日本人とはかけ離れた風貌の「埴輪」が、千葉県や茨城県など関東地域で出土されている。実は、これらの埴輪は、日本から遠く離れた場所にいたはずの、「古代ユダヤ人」に酷似しているのだ…。

5.「君が代」「ソーラン節」「相撲」など…実は、ユダヤ人の言語と日本語には、似たような共通点が多数存在。伝統・習慣でも類似点があるなど、両者には何らかの関係性があると見ることもできる。

6.最新のDNA分析によって、日本人のルーツとされる縄文人のDNAが、周辺アジアの民族とは“ほとんど一致しない”という事実が明らかにされた。

7.日本最初の国家「ヤマト政権」よりも、卑弥呼がいたとされる時代よりも遥か昔から、日本では高度な文明が栄えていた。その中心は、関東・東北であり、そこには大きな”国”があったのです…”、など。

全体的に見て「お説ごもっとも」ではあるが、内容を検討させてもらうと、

✡卑弥呼に関する記録も、お墓も、日本では全く見つかっていない。

記録に関して言うと、第十代崇神天皇、第十一代垂仁天皇のイリ王朝が卑弥呼女王と台与女王に相当するのではないか。おそらく、『記紀』の原書には崇神、垂仁の名はなく第十代には豊鍬入姫命が、第十一代には倭姫命があったのではないか。但し、『魏志倭人伝』には、卑弥呼(倭姫命)、台与(豊鍬入姫命)の順になっており、両者の順序は定かではない。この改ざん者は改ざんの痕跡は残そうと倭姫命や豊鍬入姫命の名前を残したのではないか。これに対し、神功皇后関係は徹底した証拠隠滅を図っており、改ざん者は大伴武日、景行天皇、応神天皇、後はどんと時代が下って舎人親王などが考えられるか。応神天皇は景行天皇と神功皇后の皇子と考える説がありそのために、一項をもうける必要があったか、明治時代までは⼀部史書(『常陸国風土記』『扶桑略記』『神皇正統記』)で第15代天皇、初の女帝(女性天皇)とされていた。大正15(1926)年の皇統譜令(大正15年皇室令第6号)に基づく皇統譜より正式に歴代天皇から外された。
お墓については、卑弥呼の墓として奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳(はしはかこふん)、箸中山古墳(はしなかやまこふん)が、著名古墳である。但し、この古墳は宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定(じじょう)されている。また、台与の古墳としては奈良県天理市にある西殿塚古墳が有力である。但し、この古墳も手白香皇女衾田陵として宮内庁により陵墓管理されている。
残された古墳の数からしてお墓は「ない」ではなく、解らないというのが現実ではないのか。
邪馬台国も「やまたいこく」と読むからそんな国はないと言うことになるのであって、「やまとのくに」と読むと、あちこちに「ヤマト」と言う地名はあり、邪馬台国も大和国城下郡大和郷と肥後国菊池郡山門郷あるいは筑後国山門郡に比定する説もあるが、「音韻学的には「邪馬台」は「ト」(乙類)に対して、「山門」は「ト」(甲類)であるため、専ら否定されている。」と言う。有り体に言うと、邪馬台国九州説は音韻学的にはあり得ないとなる。但し、「『日本書紀』に記された神功皇后が山門県で土蜘蛛田油津媛を討ったとされる山門県に比定される。」と言う見解もある。(『神功皇后摂政前紀 仲哀天皇九年(庚辰二〇〇)三月丙申(二十五)』丙申。転至山門県。則誅土蜘蛛田油津媛。)

✡“邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”

土偶や土器、埴輪などに人体に描かれた刺青のような文様があると言うが、刺青かどうかは定かではない。しかし、漁や狩などの事故死で亡くなった場合人物を特定する意味から刺青が必要だったのではないかという説もある。「伊達や酔狂」で身体に絵を描いたのではないと思う。文字のなかった時代の文字の代わりの絵ではなかったか。

✡著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。

お説の通りだが、“フィクション小説”ではなく、資料に基づいた歴史を綴ったものではないのか。陳寿の言に百発百中の正鵠を得ることを求めるのは無理というものであろう。

✡長い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげ。明らかに、日本人とはかけ離れた風貌の「埴輪」が、千葉県や茨城県など関東地域で出土されている。

伸びた髭、豊かなもみあげはアイヌ人の特徴を表していると思うが、長い帽子はあまり日本では一般的ではない。アイヌ人も帽子はなかったと思われ古い写真などでははちまき状のものを額(ひたい)の位置で巻いている。但し、寒冷地出身の人とおぼしき人は防寒のためか帽子の縁を耳や肩まで足らし、帽子の頭頂部の部分も暖を取るためか中に綿などを入れて盛り上げているように見える。後世の烏帽子(えぼし)に発展したか。但し、烏帽子は天武(てんむ)天皇11年(682)に漆紗冠(しっしゃかん)、13年に圭冠(はしばこうぶり)の制定があり、前者が平安時代の冠(かんむり)となり、後者が烏帽子になったといわれている、とある。元々は縄文人の防寒着だったのではないか。山高帽子は乗馬用の帽子だったようで、時代は下るが元朝時代に色目人と呼ばれていた西域出
自の遊牧騎馬民族も同じような服装をしている。千葉県や茨城県の山高帽子の人物は馬とともに日本列島にやって来た人物あるいはその子孫でたくさんいるように見えるのは埴輪製作の親方がマスターピースを作成しその弟子や孫弟子がそれをお手本にしてコピーを作成したものが多く、多人数のように見えるのではないか。現代流に言うと親方が珍しい人物として記念撮影したものを弟子が焼き回しをしたと言うことか。馬文化に関して言うと追分節は東日本に多く大陸の馬子唄は日本の追分節に似ているという説もある。また、日本在来馬も東日本の馬と西日本の馬とでは少しばかり体型が異なり東日本に馬を連れてきた人と西日本に馬を連れてきた人とは人種的にも違うと思う。すでに縄文・弥生の時代にユダヤ人ばかりが日本にやって来たと言うのはいかがなものか。そもそもユダヤ人のY-DNAと日本人のY-DNAには類似性があるのか。

✡「君が代」「ソーラン節」「相撲」など…実は、ユダヤ人の言語と日本語には、似たような共通点が多数存在。

いくら旧石器時代とか縄文時代とか言っても、日本が全く世界から孤立した没交渉の国とは考えづらく、例えば「北海道の「湯の里4遺跡」、「柏台1遺跡」出土の琥珀玉(穴があり、加工されている)はいずれも2万年前の遺物とされ、アジア最古の出土(使用)例となっている(ゆえに真珠や翡翠と並び「人類が最初に使用した宝石」とも言われる)。」(Wiki琥珀)とあり、食べる物にも事欠いたであろう2万年前に遙か彼方から食べられない琥珀を日本に運んでいる。「君が代」「ソーラン節」は解らないが、「相撲」は発祥がエジプトや中近東方面らしく、エジプトのピラミッドの壁画には「エジプト ベニ・ハッサン。ここにあるバケト3世の岩窟墓には壁画がある。紀元前2000年頃に描かれたもので、様々な組手で戦う人々の姿が描かれていた。この壁画と日本の相撲の関係はわかっていないが、相撲の決まり手のようにみえるものが数多く記されている。」(TBS「世界ふしぎ発見!」)と言う。ユダヤ人末裔が中国へやって来て、そのまた末裔が日本へやって来たような話ではないのか。言語もどの時点で分岐したかは解らないが発祥の地の人とユーラシア大陸の最果ての人とで共有して2万年という語彙もあるのではないか。ユダヤ人の言語と日本語には、似たような共通点が多数存在と言うのも「語呂合わせの域を出ない」と言う人もいる。

✡最新のDNA分析によって、日本人のルーツとされる縄文人のDNAが、周辺アジアの民族とは“ほとんど一致しない”という

「DNAはどの生物のどの細胞にも,その生物の全遺伝情報分だけある。」と言うので一致する部分と一致しない部分があると思うが、例として、日本人の人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)・Y-DNAはDが主力であって、東アジア及び東南アジアで最も一般的に見られる系統(Haplogroup O (Y-DNA))とは違う。

✡日本最初の国家「ヤマト政権」よりも、卑弥呼がいたとされる時代よりも遥か昔から、日本では高度な文明が栄えていた。

おそらく言っていることは縄文文化とか縄文文明のことを言っていると思われるが、縄文時代の三大発明として、「竪穴住居」「土器」「弓矢」があるという説もある。とは言え、こう言う物が我が国だけの発明かと言えば必ずしもそうとは言えず、竪穴式住居や土器、弓矢などは世界中至る所にある。生活に便利な物は発明されるやいなや世界中にあっという間に広まっていくというのが定説である。特に、日本はユーラシア大陸の最果ての国なので先進文化の取り入れには積極的ではなかったか。

✡まとめ

最後に思うことは、この広告、PRをする先生は一流大学の名誉教授という肩書きなのでこんなことをする必要があるのかなと言うことである。どうやら日ユ同祖論に凝り固まっておられるようで、日ユ同祖論はあまた多くの学説があり真偽のほどは確かではない。また、英ユ同祖論等先行する類似の説もあるようだ。日ユ同祖論の歴史は古く、「明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。」という。但し、マクラウドはなんでもイスラエルの失われた10支族と結びつけるいい加減な人物であったと結論する者もいる。そんな古色蒼然とした学説に飛びつく先生もいるものかと感心もするが、この先生までが失礼ながらうさんくさく感じる。
日本列島はユーラシア大陸から見ると最果てかも知れないが、全世界的に見ると中間くらいのところにあり、中庸の道を歩んだのではないかと思われる。二万年前の琥珀も「バルト海の琥珀」と言われ、文物文化は西から東へ流れたようである。「日本では(遙か昔から)高度な文明が栄えていた。」と言うのも、褒めそやしすぎと言うべきか。

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