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ひっくり返ってリキテンスタイン

フォローさせていただいている梅熊大介さんが先日ペンで描かれた「夫婦岩」の記事。

その見事な描写にたくさんの賞賛のコメントが入りました。で、どうしても誉め言葉として、絵画のようだ、版画のようだ。と言いたくなっちゃうのが人情。
だって見事ですものね。
(例えれば、写実的な絵を「写真のようだ!」って言っちゃう感覚ですね)

ですが、梅熊さんは漫画家。漫画を心から愛して活動されていらっしゃるので、少し違和感を持たれたようなんです。岩だけに。

↑の記事を拝見して、なるほどー!と思うと同時に思い出したのが、ポップアートの画家、ロイ・リキテンスタインです。


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ネットで見ちゃうとわかんないんですが、これ、すっごい大きいんです。1.5メートル四方以上はあるんです。

リキテンスタインがこういった作品を作るようになったきっかけは、お子さんにミッキーマウスの絵を描いてあげたときに、いわゆる芸術としての絵画よりも、漫画の方が強烈なインパクトと表現力を持っていることに気が付いたからだそうなんですね。

他にポップアートで有名な作家のアンディ・ウォーホルのこれまた有名な「ブリロボックス」。
日本で言ったら有名な「アタック」などの洗剤のパッケージをただ積み上げてると思ってください。

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「ポップアート」って、語感から「なんかはじけちゃって楽しいアート」って勘違いされちゃってますが、主にアメリカで興った現代美術の芸術運動のひとつで、大量生産・大量消費社会をテーマとした表現です。
雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱っていて、「ポップアート」の「ポップ」はいわゆる「ポピュラー(大衆向き)」という意味ですね。

さて、わかりやすそうに見えて、すごく難解な「ポップアート」とはなんであるのか、様々な解説が飛び交います。

漫画や大量生産品を画題にすることでアメリカの豊かさを賛美する芸術であったのか。

大量生産品や大衆文化の悪趣味さや、商品を大量に消費することへの批判であったのか。

さて。


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私はリキテンスタインについては、純粋にコミックス作品に美を見出していたのかなぁと思っております。手書きでスクリーントーンの点々描いたりしてますしね。

「格好いいでしょ!これ僕が好きなコミックスなんだ!大きくしたからじっくり見てね!!!」

…そんなわけないかwとは思うんですが、この作品を見たら、今一度、大量生産印刷物であるコミックスをじっくり見てみたくなりません?


話を戻しますと、ポップアートは「ポップ(大衆)」をテーマにしているにも関わらず、その作品は皮肉?なことに高価なものとなっていきます。少なくとも大衆には全く手が届きません。

ここらへんで芸術とは誰の物だ…と考えてしまうのですね。やはり美術館やお金持ちにコレクションされるためのものなのか。
リキテンスタインが描いたコミックスは大衆の物では無くなってしまったのか。

そもそもポップアートは何を目指していたのか。芸術とはなんなのか。


が。

実際のポップアートの起こりから70年は経ちましたが、おそらく当事者たちでさえ想像もつかなかった形で、ポップアートは大衆に還元されています。

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UNIQLOなどのアパレル製品となって大衆的な価格で流通しています。


70年の時を経て、ひっくり返って本当に大衆の芸術になったポップアート。それは元々の作品の完成度の高さ・親しみやすさがあってこそのことだと思います。






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