人糞を肥料に使ってはいけない

私が小学生の時に小学校の校長先生からこんなことを言われたことがあるし、twitterなどでも似たような言説を見ることがある。

江戸時代の日本では大便も売り物になった。大便も肥料として利用することで非常に清潔な社会を構築できており、究極のリサイクル社会を実現していた。

究極のリサイクル社会というのが最近の世界的潮流ともあっており、現在でも参考にするべきという言説も聞くことがある。

知識がなければこれらの言説には一理あるように見えるし、化学肥料を使っている農業は悪だと思ってしまうかもしれない。

しかし世の中というのはそんなに単純ではないし、真面目に農業をやっている人達はそんなにバカではない。本当に人糞が現在でも肥料として有効ならば利用されているはずだし、利用されていないのは合理的な理由があるはずだ。しかし小学生の時になぜ現在では利用されなくなってしまったのかを説明された記憶はないし、教科書などにも明確に載っていた記憶はない。

私と同世代の人であれば小学生の時にギョウ虫検査というのをやらされた記憶があると思う。肛門にテープのようなものを貼り付けて、ギョウ虫の卵がないかを見る検査だ。現在の日本ではギョウ虫に感染している人はほとんどいないため、現在ではほとんど行われていないようだが、昔はギョウ虫に感染している人が多数いたために導入された仕組みである。

昔の日本人の多くがギョウ虫に感染していた理由は人糞を肥料に利用することで、農作物にギョウ虫の卵が付着していたからである。現在の日本で見られなくなったのは人糞を肥料に利用していないからである。人糞を肥料に利用する限り、ギョウ虫の卵が野菜に混入することは避けられない。だから人糞を肥料に使われることは避けられるようになったのだ。

この話をするときは大体江戸時代のことが例に挙げられるが、人糞の肥料利用が忌避されるようになったのは戦後のGHQの政策によるもので、根絶されるのもしばらく時間を要している。つまり昭和までは普通に行われていたことである。

しかし人糞には人間の身体に元々あったものなので、ギョウ虫以外にも様々な病原菌を持っている可能性がある。それらの病原菌は人間と親和性の高い病原菌である可能性が高いので、人間にとっては非常に危険なものといえる。

私達は自分自身が出した大便を見てなんとも思わないし、人間以外の動物の糞を見てもそこまで忌避はしない。しかし他人の出した大便を見ることは非常に忌避感が強い。これは他人の出した大便は本能的に避けるべきだと知っているからである。匂いも自分の大便や他の動物の大便よりも、他人の大便に対して一番忌避感を感じるはずだ。

他の動物の糞に含まれる病原菌は人間にとって親和性の高い病原菌でない可能性が高い。もちろん例外はある。有名な病原菌は大体他の動物が元々持っていた病原菌がたまたま人間と親和性が高く、そういった病原菌がパンデミックを引き起こしてきた。しかしまず間違いなく人間と親和性が高い病原菌を持っている他人の大便に比べたら危険性はかなり低い。

同じことは死体に対しても言える。科学的な根拠があるのかは知らないが、俗に人間にとって最も不快な匂いは人間の死体の腐臭であるという話がある。これは他人の大便を忌避する理由と全く同じ理由で人間は不快に感じるようにできていると考えられる。

今後肥料の値段がドンドン上がっていけば、人糞の肥料利用が大真面目に議論されるかもしれない。ここまで来ると映画の世界だが、大戦争なりが起こって文明が後退したり、石油などの化石燃料が完全に枯渇するようなことがあれば、人糞を肥料に利用せざるを得ない状況に我々は追い込まれるかもしれない。そうなったときはまたギョウ虫などの寄生虫が日本でも大流行することになるはずだ。もしかしたらリスクが高い農作物は安く、リスクが低い農作物は高く売られており、金持ちは感染せずに貧乏人が寄生虫に感染するというような社会になるかもしれない。そこまで行ったらディストピアだろう。

繰り返すが、社会はそんなに単純ではないし、真面目に農業をやっている人達はそんなにバカではない。人糞を使った農業のデメリットを知らずに礼賛するような人の言うことを信用すべきではない。そんなに素晴らしい農法がなぜ現在使われなくなったのかまでちゃんと調べるべきだし、小学生に対してもちゃんとそこまで説明するべきだ。中途半端な教育は害をもたらす。


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