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奈良の競馬場跡地を調べてみた

これまでのあらすじ

ウマ娘にハマった結果、体験乗馬に行き、乗馬ライセンス5級を取得し、とうとう乗馬クラブに入った。(いつも「スキ(いいね)」押していただきありがとうございます。)

ふるさと奈良にも競馬場があったらしい

私は奈良出身なのだが、奈良にもかつて競馬場があったという話は小さいころからちらほら聞いていた。今回は奈良にあった競馬場について調べて分かったことについて書いてみたいと思う。

奈良競馬場(尼ヶ辻)

奈良にできた最初の競馬場です。
当時の住所としては「生駒郡都跡村」とされていますが、これは現在の三条大路2丁目交差点あたりと思われます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%B7%A1%E6%9D%91

昭和7年の観光ガイドブックにも楕円形のコースが描かれています。

大和ノ名所旧蹟、奈良県、昭和7年より

地方競馬年鑑 昭和14年版(帝国馬匹協会編)によれば、施行許可年月日は昭和4年(1929年)7月2日、最初の開催年月日は昭和4年10月19日より3日間開催だったようです。
主催者は奈良縣馬匹畜産組合で、昭和4年は変則的に秋2回開催し、その後は春秋それぞれ1回、年2回開催で秋篠競馬場へ移転し廃止となる1938年まで開催されていたようです。

昭和12年の春は4日開催で登録馬数150頭、入場馬数(出走頭数のことか?)150頭、入場者数77491人、秋は4日開催で登録馬数150頭、入場馬数150頭、入場者数68046人だったようです。1日何頭立てのレースを何回行ったのかまではわかりませんが1日あたりだと約40頭出走というのはやや物足りない気がします。しかし1日の入場者2万人近くというのはそれなりに盛り上ったのでしょうか。

奈良競馬場(尼ヶ辻)の馬の種類と数

地方競馬年鑑 昭和14年版によれば、奈良競馬場の年次別登録頭数は、
昭和9年 31頭
昭和10年 9頭
昭和11年 26頭
昭和12年 28頭
昭和13年 23頭
となっています。年間30頭近く補充していたようです。
昭和13年12月31日時点での登録頭数は、
総数 85
牡  37
騙  27
牝  21
となっています。(数が合わないのは移転したり亡くなったりするからと思われます。)

昭和13年に新たに登録された馬は
総数 23
ですが、性別でみると、
牡  4
騙  12
牝  7
種類でみると、
サラ(サラブレッド)系    5
アラ(アラブ)系       1
アノ(アングロノルマン)系  1
内洋(内国産洋種)系     1
サラ雑          2
アア(アングロアラブ)雑   2
トロ(トロッター)雑     1
ハク(ハクニー)雑      1
雑            9
産地別でみると、
北海道  3
青森   2
兵庫   1
徳島   1
高知   1
熊本   2
宮崎   5
鹿児島  8
年齢別(おそらく数え年)でみると、
3歳 9
4歳 9
5歳 4
7歳 1
となっています。

当時の競馬は種類はサラブレッドやアラブ種以外にもかなりの種類があったようです。雑種であってもレースに出れるとは驚きです。また、生産牧場も各都道府県にあったようです。当時の競馬開催の目的の一つが軍馬の生産であり、「強い馬をたくさん作る」ことが奨励されていたため、全国各地に馬に関する産業のすそ野が広がっていたことがうかがい知れると思います。

奈良競馬場(秋篠)

1939年に上記の尼ヶ辻から近鉄平城駅の近くへ移転してできた競馬場です。現在でいう中央競馬にも対応できる一周1,600m規模のトラックでしたが、太平洋戦争やら戦後の競輪ブームなどがあり、1950年に休止、1954年に廃止されてしまったようです。今でも残っていたら…とは思うのですが、かつて全国各地にあった地方競馬がポツポツと消えていったことを考えると、たとえ戦後もやる気を出して維持されていても廃止は時間の問題だったかもしれません。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより

さて、この競馬場跡の近くには神功皇后陵や佐紀石塚山古墳、佐紀陵山古墳等、宮内庁管轄のお堀付きの大規模な古墳がたくさんあります。この地域の航空写真を見て奈良競馬場のトラック跡を「古墳ではないか!?」と”発見”した人のタレコミが奈良県立橿原考古学研究所に年に数回あるとかないとか…というのが、私が幼少の頃よりこの競馬場跡を知っていた理由です。

実際に走ってみた

かつてのスタンド前は現在の奈良競輪場、トラックは生活道路になっています。実際にスタンド前から右回り1,600mを走ってみましょう。

現在の奈良競輪場の駐車場が正面スタンド前

スタンドや厩舎だった箇所は現在の奈良競輪場になっています。

第1コーナー

幹線道路を渡って住宅地に入ります。

第2コーナー

トラックの幅員は30メートルあったと言われていますが、今は住宅がたっています。

向こう正面
第3コーナー

第3コーナーから第4コーナーまでは短い直線があるため、全体としてはオニギリのような形になっています。

第4コーナー

秋篠川を渡って第4コーナーです。川を渡るコースというのは珍しいと思うのですが、どのような橋がかかっていたのでしょうか?

第4コーナー抜けて最終直線

再び奈良競輪場に戻ってきます。高低差はありませんでしたので、最終直線の駆け引きを盛り上げるためには盛土等でコースの改良が必要かもしれません。

今回はかつて奈良にあった競馬場について調べてみました。機会があれば他の競馬場跡地も巡ってみたいと思います。

さて、乗馬の方はいよいよ4級ライセンス取得が目前に迫ってきました。次回からまた乗馬レッスンについても書いていきたいと思います。お楽しみに。

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