引っ越しが終わったあと、泣いた。

最近、修士論文を書き終えてから、あまりにもめまぐるしくここ2ヶ月ほどが過ぎ去って行き、noteを書いたり、本を読んだりできないことが、なかなかにつらい。
私は春から、「社会人」になる。企業のお勤め人になるのだ。
そのため、引っ越しの準備をしたり、その間に「思い出づくり」のために欧州旅行に行ったりしていた。

しかし、「思い出づくり」という名目ではあるが、旅行に行く前のもやもやは、帰国後、はっきりと確信になった。自分の中では、「この先も旅行をしたり新しい場所に行くことを続けていないと、自分は自分ではなくなる」と気付いてしまった。旅行について、また、このことについては、また別の記事として投稿したい。

引っ越しの日、両親ともにインフルエンザになったため、私はひとりで引っ越し業者と連絡をとり、新居で荷ほどきをし、新しい部屋をもくもくと作っていった。
まだ今の部屋を引き払っていないため、作業後は今の部屋に戻ってきた。

がらんどうになり、着替えと布団と電気ポットのみを残している今の部屋に戻ってきた途端、私は部屋に向かって話しかけ、号泣した。部屋への愛着と、毎日すごした過去の日々への感傷が、私を涙させた。時に春の「不安と期待」にくるまれた季節のせいでもあるかもしれない。

卒論を書き、修論を書き、留学のことについて考えた、友だちと電話をした、私のほとんど全てが、この部屋にあったと思い知らされた。同時に、ここを離れることは、新しい生活が、働くことが、始まっていくことを意味する。私は不安で時々張り裂けそうだ。仕事への期待があまりないせいだと思う。

私が私として生きていくこと、そのためにどうしたらいいのか、これからも考えていきたいと思う。まとまらないけれど、自分の言葉を綴る訓練として、投稿しておく。

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