8日目
不思議な感じだ。
「没頭」という状態の存在を認知しながら没頭したことがある人がどれ程いるだろうか?
「直感」という感覚の存在を認知しながら直感したことがある人がどれ程いるだろうか?
俺は今日、没頭してぇ〜って思いながら没頭してみたょ♡そのことを振り返りながら書くょ♡書いてたら、没頭しちゃったょ♡
今日は、俺の周囲に漂っていた「やらなきゃいけない」が片付いた日だった。
そして、言うなれば「暇」な状態を得ることができて、かつ没頭すべきことがあったし没頭することを求められている状態だった。
なので、とりあえずボーッとしてたら眠ってしまった。
起き出して、飯食って、尿意を感じて、「おしっこを我慢することと人生ってなんか似てるな〜」ジョボボボボ
とか考えながら、眼鏡が邪魔に感じたのでコンタクトに変えて、とりあえず雨が降ってる外の景色を眺めたりして、カフェインを摂りたいけど我慢したりして、ホワイトボードにもたれ掛かって、「考える」ということをした。
ハッキリ言って、研究には、答えがない。ある特定の分野の仕事もそうかもしれない。
答えのない問いに向き合って、あーでもないこーでもないと言いながら、答えっぽいものを閃き、それを言語化した後に形にする必要がある。
俺は別に研究なんて好きじゃねえー。
研究で金を貰ってはいるし研究を仕事にして生きていくつもりだが、何が楽しくてこんな苦しいことやらなくちゃいけねえんだと思うし、別に得意じゃねえし、知識もねえし、研究のことだけ考えるような変態じゃねえ。
でもなんか研究しかやることねーからやってる、、、
そんで、研究って、さっきも言ったけど答えがなくて、なんか急に閃くもんな気がする(少なくとも俺がやっている研究の分野はそうだ)。
だから、閃くまで頭を捻るということをするんだけど、合間に音楽聴いたりAV観たり、踊ったりして、没頭ってどうやるんだろう、なんて座禅のことを考えながら思ったわけです。
そして閃いた!
もしかして、研究って、note書いている時の感覚に似てね・・・?
これって、俺の内省してる時の感覚に似てね・・・?
薄々、鬱々感づいてはいたのだけれど、没頭のためには考えずに考えること、つまり直感のような何か、ゾーンに入るということが大切で、そのためには弛まぬ努力か優れた才能か狂った環境が必要な気がしています。ずっと同じことをし続けた結果、無心でそれができるようになった時に、その実力が開花するのだと思うのですね。
そして、ゾーンに入ることができれば、大抵のことはできるわけですよ。何てったってゾーンに入ってるからね。
でも、大抵のことでゾーンに入ることは難しいから、座禅をして基礎ゾーン力を上げたり、一つのことをどんどん極めていくことになるんじゃないかと思うんですよね。
俺、何の能力も何の没頭できることもねえなー。まあ辛うじて研究はできるからやっとくかー、って感じだった。
違った。内省しまくってた。たぶん、短い人生でやってきたことの睡眠の次に入るのが内省だと思う。小学生くらいまではゲームばっかしてたけど、その時間が全部内省になっちゃったんじゃないか、ってくらい内省ばっかしてる。
睡眠、ゲーム、内省、おかず探し、学校生活、食事
くらいのレベルで内省が関わってる。三大欲求と衣食住とゲームと内省の男?!
やばいやつじゃん。
ここ何年かは、内省することなんて意味がないなあ、なんて内省していて、息を潜めていたのだけれど、改めて「内省し切ったらいいんじゃん?」って思ってこれを引っ張り出してきて、挙句の果てに最初の村にいたこいつが最強の助っ人だったのかよ、みたいな気持ちになっている。
で、俺は内省が仮に得意だということにしよう。そうすると、内省している間に、無心になることができる。何を言ってるんだ?
内省している間にゾーンに入る。
普通の人は、たぶんだけど、ゾーンに入って内省する。
俺は、内省すること自体がゾーンだから、内省する。
そうすると、暇なんだな。
頭が「もう内省してるよー」ってなる。お腹も頭もいっぱいだよー って言うから、内省しながら内省以外のことができるようになる。例えば、研究とか。
逆に考えよう。俺は、内省しようとすれば、そのとき集中モードに入ることができる。
まさにこのnote、集中の極みだ。
ずっと没頭して書いている。
何時間だって書いていられるような気がする。実際に、5日目の記事は2時間半ノンストップで書いたが、まあ、つまりそういうことだ。
え?
note書きながら研究したらよくない?
ずっとキーボード打ち続けながら研究したらよくない?
俺が頭を使う活動、全部それでよくない???
勝った。
何かに勝利した気がする。
何より、内省しようとした時に現れるネガティブな気持ちや煩悩を打ち消すことができる。(だって、よーし、内省するぞー。ゾーン入るぞー。と思って内省するんだから。)
そしたら俺は今後、何かネガティブな気持ちになっても、よーし、内省しているぞー、俺は今一番集中できてるぞー、という気持ちになるじゃん。
えーーーー♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
いったいどうしたのーーーーーーー♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
急にそんなのずるいじゃーーーーーーーん♡♡♡♡♡♡♡♡
今まであんなにツンツンしてたのに、えーーーーー♡♡♡♡♡♡♡
そういうことだったのねーーーーー♡♡♡♡♡♡♡♡
もーーーー♡♡♡♡♡♡素直じゃないんだからーーーーーー♡♡♡♡♡♡♡♡♡
そういえば、そうかもしれない。俺が頭を働かせようとするとき(ある意味当然だが、)冷静になる。そして、冷静になる感覚とネガティブになる感覚はとても似ている。そして、この感覚の中にある種の高揚感を共存させれば、それはゾーンということになるだろう。それは、例えばプロゲーマーのゲーム中の心理のようなものだと思う。
ネガティブでいながら、そこにある種のポジティブさを持ち合わせることは難しいことのように感じられる。
でもちょっと待って。
自傷行為ってそもそもそうじゃない?
待って、「俺らはこんな馬鹿なことやってて最高だなー!wwww」ってやつ、全部そうなんじゃない?
冷静さと高揚感を兼ね備えている感じがしない?
普通の人は、高揚感が高くなりやすいから、そこに冷静さを持ち合わせた時にゾーンに辿り着くのだろうか?
俺はたぶん逆だ。
内省しすぎて、冷静でいることが多すぎたから、ちょっとのスイッチでゾーンに辿り着けるんじゃないか?
思えば、そうなんだよ。夜中に突然友達から人間の生き方について相談を持ちかけられて、ノリノリになってしまうんだよ。何かの悩みを解決することに餓えている。カウンセラーになりたいとかコンサルタントになりたいとか思ったこともあったか?そういや。
でもそんなの本質じゃなくて、そこにゾーンがあるだけなんだな。
なんか、わかってきたかもしれん。
冷静さと高揚感の共存が重要だ、ということはなんとなくわかっていた。
俺は高揚感を得にくいが、ネガティブに内省をするだけで冷静さが手に入る。そして、それはいつでも。例えば朝寝坊をしたり、昼までだらだらしたり、夕方まで何もしていなかったり、夜まで起きていたり、夜更かしをしたりすればすぐに手に入る冷静さなのだ。
だからぽちっと、他者からの刺激が継続的にそこに投入されるだけで発火する。対話が続く限り、議論が続く限りゾーンが止まらない。
そのために、俺は内省をしているんだ…。
内省というのは、止まらない自己との対話であり、自傷行為でもあるから…。
内省という自傷行為をして高揚感を感じていることで、議論や研究に対する没頭感を代替していたんだ…。
俺は内省大好き妖怪なんだ…。困ったことになった…。
もう、堂々と内省しちゃうよ…。
明日からもう早速、白昼堂々と仕事をサボって、「俺は一体こんな昼間からなにをやっているんだ……………………☺️」って悩んだフリをしちまうだろう…。
悩んだフリ、悩んだフリでもトリガーが起動する気がする。だって、昼間から怠惰をやっていることには変わりがないのだから、怠惰をやっているという事実で内省できる。内省できたら、もう勝ちだ。あとはそこにほんのちょっとの高揚感を加えるだけ。
カフェインでも、議論の相手でも、なんならnoteでもいい。
永遠に「内省」できるし「没頭」できるし「研究」できるぞ…。
うわーー♡
どうしちゃったんだろ、俺♡
うわーー♡
どうしよ♡
見つけちゃったよ♡
俺の人生の勝ちルートってやつを♡
今まで何に悩んでいたんだ?♡
悩みたくて悩んでいただけじゃん♡
いや、もっとその先にあった、悩んでいたから高揚できるんだ♡
やば♡
変態かよ♡
やば♡
変態じゃん♡
気持ち良すぎる♡
俺の頭、馬鹿やってて最高だなー!!wwwww
ちょっと喜ぶ可能性があると思われます