最近の俺

最近の俺。

最近ずーっと考えている。
まあ、最近じゃなくて、ここ20年くらいずっと何かしら考えているかあ。

考えてるって言ったって、別に、何かえらいことがあるわけじゃないんだけど。
どちらかというと、俺がえらくないということへの折り合いを付けるという気持ちに近い。

あんまり、褒められたことではないのかもしれないが、最近は自分の甲斐性のなさとか、無気力さとかを何とかして受け入れる方向で俺の中の首脳会議は話が進んでいるらしい。

最近、女遊びしまくって貯金を使い果たした。それから、また一つ歳をとった。久しぶりに学会に参加した。そんでコロナになった。

コロナになると、予定が吹き飛ぶ。
予定していた約束が10件吹き飛んだ。

39℃の熱が出て、あ〜、俺の脳はどうしてこんなにも働き続けようとするんだ〜、眠ってくれよ〜今正常じゃないんだから〜、とうなされていた。
何も考えていない時は何も辛くないのに、例えるなら、急に疑念が浮かんでバッドに入る感覚に近く、世間のこととか周りの目とか、やらないといけないような気がすることとかが浮かぶと、急に頭痛が激しくなってうなされた。

人間は、周りの人のことを気にしすぎだ。

周りのことばかり気にして、それがストレスになってしまう。
その分、周りのことが気にならない環境で類い稀なる才能を発揮する人もいれば、周りのことが気になりすぎて頭がパンクしてしまうタイプの人だっている。

俺は後者だなあ。
自分を卑下するつもりは全然ない。俺は自分のことをめちゃくちゃすごいと思ってるし、時と状況があれば類い稀なる才能を発揮できると思っている。だけど俺は周りのことをシャットアウトするのがどこまでも苦手なんだなあと思う。
苦手すぎるから、雑音に邪魔されずに集中したいことや熱意・情熱なんて、ぜんぜん持ち得なかったなあ。自分のことと周りのことというのがハッキリ分かれていてこそ、人は周りのことが気にならない環境で類い稀なる才能を発揮できるのであって、自分と周りの区別がハッキリ分かれていなければ、周りが気になるという性質が人格形成に大きく根ざしているのであれば、それはもうどうしようもないことだ。

なんか、もう、ぜ〜んぶだめなんだよな〜。

自分の持ち物、食べ物、居場所、仕事、趣味、娯楽、やらないといけないこと、好きなことと嫌いなことと日常と非日常のぜ〜〜んぶが、「周りのこと」と紐づいちゃってるんだよな〜。

自分の部屋が落ち着くとかいう気持ちもいつからかわからない。だって自分の部屋なら自分で片付けたり自分で整えたりしないといけないじゃん。それってやらなくちゃいけないことだし、いつかどこかのタイミングで突如やってくる可能性のある予め考慮しておくべき事項なのであって、それを認識しながらこの部屋で明日が締め切り課題をやらなければいけないけど、来週中にやらないといけない課題もあってそっちの計画は全くできていないのだから、、、と、なんで俺はそうやって、なんでもかんでも自分の今あるタスクとして脳のリソースを割いてしまいたがるのかわからないが、いや、海馬がもう既に腐っててんのかもしれないが。

これがいわゆる鬱だというなら、俺はもうしばらくずっとそうだし、つらいからもう治したい。
これが別に鬱ではなくて、例えば個性とかの類いであるなら、もうその個性から享受できる人生のありがたみはたくさん受け取ったからもう手放してもいいやと思っている。

学会に行けば、やる気のある若い学生や、優秀な若手研究者が、年配のレジェンド研究者の講演で奮い立っているのが見れる。俺も昔は研究者の話が聞くのが好きだった。でもそれは、ただの言語ゲーム、未知の言語を話す未知のモチベーションの人間と初対面でどこまでコミュニケーションができるかどうかの遊びでしかなかった。俺は漫画が好きだ。有名な漫画なら何でも読んだというほどではないが、お気に入りの作品はあるしそれなりに読み込んで好きな作者もいる。だが、じゃあその作品のシーンを事細かに覚えているかと言われたら何も覚えていない。知らない世界で何かを語っている人間とその人間に巻き起こるドラマがその人間に引き起こさせる感情と、その人間たちにその感情を引き起こさせて語らせようとするその作者とのただの言語ゲーム、どこまでコミュニケーションができるかどうかの遊びでしかなかった。

コミュニケーションが、相手の「感覚」を掴むことが、すごく上手くなった。
だが、しかしそれだけだ。
でもそれのおかげで、人と関わろうとすれば別に何か不都合が生じることはないだろう。
仲良くなりたい人と仲良くすることができるし、認めてもらいたい相手から認めてもらえる関係を築くことができる。
だから、もう別にいいのだが、ずっと「周りのこと」ばかり気にしてしまうのだ。
「自分のこと」なんて言えることは何にもない、いや、「自分のこと」なんて言えることは何にもない、ということしか自分のこととして言えないのだ。それ故に得られたこのコミュニケーションと人格が「自分のことだ」と言ったところで、それは何も「周りのこと」を忘れて自分を突き動かす原動力となるわけではない。


でも俺は「周りのこと」ばかり気にしているから、コロナから快復して元気になったらたぶん何もすることがなくて数学をやり、論文を書き、博士号の予備審査の準備をして、こんな怠惰なことを言いながらいずれ博士号を獲るんだろう。

たぶん、期限的にはギリギリで半年くらい在学が延びるかもしれないが、「まあ、半年くらい延びても仕方ないんじゃね?」みたいな顔を関係各所にしておいたから大丈夫。どうせなんとかするのだろう。



ホテルで暮らしたいな。

毎朝朝食の出る、景色の良いホテルで暮らしてぇ〜。

ちょっと喜ぶ可能性があると思われます