自分について

ずっと、自分は何者なのか、考えて生きてきた。

自分のエゴ、自分の自我、自分の好きなこと、自分の幸福、自分の人生、ずっと考えている。ずっとわからない。ずっと悩んでいる。

ここ最近は特に、自分のできること、自分のコミュニケーションについて考えていた。1ヶ月くらい、Twitterで好き勝手に吐き出すなどしていたので、そろそろまとめようかな、という気持ちになっているらしい。

だから今回は簡単に真善美に触れて、エゴという視点で切り出してまとめるつもりでいる。昔は、自我なんかの言葉で自分のことを考えていた。

俺は元々、自我が分からなくて困っていた(自分の持つエゴを信じられなくて困っていた)のだから、エゴを見つけられたら一つゲームがクリアできるみたいなところがある。

エゴは、自我以外にも、他人(自分以外)への期待とか、正義とか言い換えてもいいと思う。

結論から言うと、俺は多分、「人は、人と関わる時にエゴを持つべきではない」というエゴを持って人と関わっているんだと思う。でも、それはエゴであり、醜い呪いだ。いくら俺がどれだけ清く、美しく呪いを洗練して生きてきたのだとしても、この「エゴを持つべきでない」というエゴとは向き合わなければならないと感じている、なぜなら、俺は「エゴを持つべきではない」というエゴを持っているから。


白紙、と名乗るに至ったことについて改めて考える。

自分のことを、ここに全部書いておこうと思う。

「記しておこうと思う」と書こうとしたけど、やっぱかっこつけすぎてると思ってやめて、「書いておこうと思う」に書き直した俺のいまのことを、ここに全ておいておこうと思う。


真善美について


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