28歳の時のゴールデンウィークの明け方の

2024.5.3 5:42:22

定期的に会っている彼氏持ちの女の子からタン刺しが食いたいと言われたので昨日の昼に昼飲みに行ってきて、別れ際に少し寂しそうな顔をされたことに気づかないフリをして、別に人目を憚らずにハグくらいしても許されたか、と思いながら電車に揺られ、用事を一つ終えて、その帰り際に帰りたくなくなって、駅のベックスコーヒーで、さすがにもう夜だからコーヒーは飲みたくないか、と思ってココアを頼んで、一応ノートを開いてみたはいいものの、特に筆も頭も進まず、Mリーグを開いて、セミファイナルの最終戦を眺めていたら、ほぼほぼ眠りかけてもいたが、ベックスコーヒーは閉店の時間になり、そのままの足で帰りたくなくなって、カプセルホテル近くのヘルスの出勤を見たりしたけどいまいちピンとこなくて、その近くの個室ビデオ屋さんで気に入ってる女優の作品をいくつか物色して、3時間パックで入店して、適当に用を済まして、時間まで仮眠を取り、ちょっと起きて、たまには、久しぶりにはいいか、と思って歩いて夜中までやっているとんかつ屋に向かって、ちょっと贅沢なメニューを頼んで、結局その足で26時までやってるコーヒー屋に行って、高いコーヒーを一杯飲み、キャッチに紛れて知り合いが立っていたので少し立ち話をして、行きつけのシーシャの吸えるコンカフェに寄って、「今日推しいないけどなんできたの?」っていう恒例の挨拶を受けて、シーシャを吸いながら、いままでやる気を失っていた雑用を少し進めて、2時間半くらい、推しじゃない顔見知りのキャストさんと雑談したりドリンクを出したりしながらMacBookを叩いて、5時に店を出て、歩いてカプセルホテルまで戻ってきて、着替えたり荷物を整理したりして、風呂に入るか少し迷ったりしながら、結局Apple Musicで、最近聴いていなかったヒトリエとかをふと思い出して聴いてみたり、卒業してしまったコンカフェ嬢がやっているバンドのオルタナティブロックバンドの曲を聴いてみたりして感傷に耽ったりしながら、ノートを開いたら、俺の指が勝手に

自分が何を求めているのか

って言い出したから、noteを久しぶりに開いて、今の気持ちとかを久しぶりに書き留めてもいいかなって思って今に至る。

前回のnoteでは、なんか仲間を集めていていい感じだって言っていた気がしていて、それがちょうど半年前くらいの話だった。

自分が何を求めているのか。
目指しているのか。何もよくわからなくなっている
本当はもっと崇高な理念とか 信念とか
そういうものを持っていたような 気がするけど
どんどんそういうものが腐り落ちていくような気がしている

現状は、たぶん、そんなに不幸がない。渇望するものも、欠乏しているものもない。
借金があるけど、まあ、それは遊び過ぎただけのお金であって仕方がないことで、そこに何も憂うこととか、哀しむこととか、そんな尊いものや慮られるようなことはまあ何もなくて、あと、それなりに収入があるからまあ、ぜんぜん気に病まれるようなことではない。(額は額ではあるけど)

集めた仲間たちと、何かをするという準備を一通り終えられたかなと思っていて、俺は、倫理観を無視さえすれば、自由に仕事をできる状態と、自由に遊べる収入と、自分を縛り付ける渇望の外での自由を既に手にしているような気がする。

相変わらず、俺には何かをしたいという明確で強い動機はなく、結婚していく大学の同期たちや、今も変わらず麻雀卓を囲んでバカな話をする小中の同期たちや、そんなものと関わりながらも、結局、強いコンプレックスや強い衝動を持つこともできず(いや、持ちそうになればそれを切り捨て続けていて)、そうやって形作られた俺自身に、欠けていた自己肯定感とか、他者と関わる現実の経験とか、友達の存在(を認識すること)とか、そういうものがだんだんと実感として俺の中に押し上げられてくる

そういう体験を通して、なんだ、お前って結構恵まれてるじゃん、って思えるようになってきた時に、改めて、自分が何を求めているのか。目指しているのか。何もよくわからなくなっている。

俺が俺自身に期待する「俺らしさ」、俺とは何か、そういう厨二病的な人生の一生の課題に、折り合いではない形の実感としての結論を一つ得られた時、もはやそこに期待はなく、ただ現実として俺自身がいるという状況下において、俺がすることってなんなんだ?

俺は恵まれていて、俺は愛されていて、俺はよく現実が見えていて、俺にしかできなかったことや俺にしか築けなかったものがあって、俺という存在が愛する人たちと世界に刻まれていて、俺という存在を世界に刻む方法を再現性のある形で理解していて、そういう結論の先に、俺がすることってなんなんだ?

一つ、挙げるとするならば、それは「仲間たちを救う」「仲間たちを幸せにする」ということなのかもしれないと思う。しかし、俺は、詰まるところ、他者に興味がなく、自分を愛するための道具としてしか見れていないのかもしれない。だからそこに自発的な強い動機が生まれない。
(これには語弊があり、正確には、俺は、他者にとても興味があるが、それは社会性や客観性の担保という位置付けでしかない、という意味。)

努めて務めて、そうやってやってきた先に、自分としての納得感が湧き上がってきたとき、結局、自分のためでしかなく、自分を幸福にすることしかなく、自分自身で自分を慰めてやるしかないと気づいた時、他者に対する強い加害性と嫌悪が思い出されてくる。

世界を愛したり愛さなかったりして、そうやって創ってきた俺自身の世界観が、なんだろう



飽きた



ということかもしれない。


何も面白くなく、何も楽しくなく、じゃあ、どれだけいい女と関係を持てるか?じゃあ、どれだけ金を稼げるか?そういうゲームしかすることがないのだろうか?

自分探しの旅のエンディングを迎えた後に、エンドコンテンツがないことなんてあるのだろうか?

何も考えたくないな、と思う。思える。

何もしなくてもいいや、と思える。

やりたいことがないわけではない。しかし、じゃあそれをやる必要があるのか、と言われると、悔しいほどにどうでもいい。

そうやって、自分自身の意思を蔑ろにしながら生きてきたことのツケが回ってきている。

いっそ、結婚でもしたらいいのだろうか。

俺を繋ぎ止めようとするものを全て破壊して、俺自身を掘り尽くしてきて、何にも繋ぎ止められなくなった時に、そう、発狂しそうなほどの、それはそう。

発狂してもいいのでしょうか?

ダメですよ
もう大人ですから。大事な人がいるでしょう。

発狂してもいいのでしょうか?

ダメですよ
発狂したところで何にもなりませんから。

こないだ、久しぶりに映画館で映画を観た。2時間弱の映画だったが、一人で号泣していた。その後で、一緒に映画を観た子から、「あなたは何に最も愛を感じる?」と聞かれ、悩んだ後で、「お互いに何もせずに一緒にいる時かな」と答えた。

お金だけ払って、何もせず、ただ抱き合って寝息を立てて眠れる女の子が何人かいる。ご飯代とネイル代を払ってあげて、何もせず、ただお酒を飲んで少し手を握って別れる女の子がいる。毎年誕生日にだけメッセージを送り合う女の子が何人かいる。娘の成長祝いを買ってあげて、何もせず、ただ近況を聞くだけの女の子がいる。俺の人生には、俺が小さな頃から探し求めていた愛がいつの間にか満ちていて。

そういや、最近父親が倒れた。くも膜下出血で、一撃で、寝たきりになった。意識はあるらしいけど、言葉を発することはできず、知能も急激に低下しているだろうと思われる。俺は、父親のお見舞いに結局一度しか行けていない。死を覚悟していたが、なんだか元気そうで、まだ生き永らえている。でも、俺にとって、自分自身のこととかすらわからなくなってしまった父親なんて、父親でもなんでもなくて、死んでしまったも同然だと思っていて、でも母や妹はちゃんとお見舞いに行っていて。

家族を大事にしている人は、とても素敵な人だと思うし、いい人だと思う。
家族に問題を抱えている人は、とても頑張っている人だと思うし、えらいと思う。

俺は、そのどっちでもない。

どこかで、家族を大事にするという感情がぶち壊されてしまっている人間が、果たして愛で満たされることがあるのだろうか?

俺の人生には俺が小さな頃から探し求めていた愛がいつの間にか満ちていて、俺の頭脳は、俺の理性が、俺自身に「お前は愛されているよ」「お前は恵まれているよ」と語りかけている。理解できる。俺は愛されていることを理解できるし、俺は恵まれていることを理解できる。でも、結局満たされていない。

発狂してもいいのでしょうか?

ダメですよ。
発狂する理由なんて何もないんですから。


俺は別に前から、どこかに向かっていたわけじゃないと思うけど、ずっと探していたものがあって、自分自身とか、愛とか、そういうものを求めていたはずなのに、それが手に入ってしまっているかもしれないってなった時に、ちょっとの忙しなさにケリを付けたこのゴールデンウィークの空いた余白の早朝の6:38:11の隙間に、途轍もなく空虚が押し寄せて、




























途方もない空虚が押し寄せてくるんだよなあ

なんなんだろうなこれは

まだ持ってないほしいものなんて、いくらでもあるのにね。

もう自分が消えてしまってもいいんだろうな
もう幸せだから

でもどうせ、いつの間にか、気づかずうちに、忙しなさに追われてこの空虚だって忘れてしまうんだ

暇が悪いのか、満ちているのが悪いのか、この頭が悪いのか、人生が悪いのか、生まれたのが悪いのか、睡眠不足が悪いのか、

これが大人になるということなのかもしれない

さようなら尊い自分
さようなら愚かな自分
さようなら下らない自分

愛が満ちているのに満たされないような気がしてる俺のことは忘れて、俺は満たされたフリをして先に向かいます

どこに向かっているかなんてわからないけれど、どこかに向かっているフリをして俺は先に向かいます

ちょっと喜ぶ可能性があると思われます