162.さかなのこ(2022)
調査方法や当事者意識によって幅があるが,LGBTQの割合は日本においては3~10%であるらしい。多く見積もると左利きの人と同確率ということになるが,カミングアウト率は高くない。不寛容と無理解により,性的少数者たちが生きづらさを抱えている証拠である。しかし,数年前まで聞かれなかったLGBTQという単語がニュースやSNSで頻繁に飛び交うようになり,確実に人々の意識は変わっているとはいえそうである。まず言葉ありき。意味はあとから付いてくる。さて,その言葉を広める役割を担っているのがメディアである。SNS,音楽,映画。さまざまなコンテナに乗って,言葉は運ばれる。しかし,累積到達度を超えると,バックラッシュが起こる。たとえば「多様性」という考え方に対して『ミッドサマー』(2019)のような作品が撮られたように(『ミッドサマー』は多様性が伝統と相容れない考え方であることを明るい画面で表現し,大ヒットを記録した)。本作は「おさかな博士」として知られる「さかなクン」の半自伝映画である。魚好きな子供がさまざまな挫折を経験しながら,「博士」になるまでの数奇な人生を描いている。大きな特徴は,男性である「さかなクン」を演じているのがのんという「女優」である点だろう。観客はのんが女性であることを知っているが,映画内では「ミー坊」(のん)の性別に特に言及がなく,ジェンダーの判断は宙づりになる。小学生時代のミー坊が女の子のモモ(増田美桜)と話しているのを同級生にからかわれるシーンや,大人になったモモ(夏帆)といたら,老婦人から夫婦に間違えられるシーンがあることから男性性を感じるが,おそらくどちらでもよいのだ。ミー坊の性別はストーリーに副次的な意味しかもたらさない。それに,子供を連れた女性2人が,老夫婦に「夫婦」だと思われたのだとしたらなんとすてきなことだろう。映画は理想を映像に託すことができるということを改めて感じさせられた。ラストシーンには,博士となったミー坊を小学生たちが追いかけていくショットが配置されているが,彼らの背負うランドセルは赤黒の2色だけでなく,様々な色に溢れている。ミー坊=さかなクンという多様性の象徴を,追いかける子供たち。それは希望に満ちた美しいワンシーンであり,思わず目頭が熱くなった。好きなことをして生きていくことは困難である。特に,ミー坊のような人たちは,旧態依然とした社会の価値基準の前に挫折することもあるだろう。幸運なことにミー坊は,その都度,優しい人たちから手を差し伸べてもらうことで,博士となることができた。それは社会のあるべき姿を映し出しているように思える。好きなものを突き詰めた一人の人間の成長譚。そのひたむきさは観客たちの背中をそっと押す。なにかを好きでいること。それに勝る幸福は一つもないのである。
監督*沖田修一
主演*のん
2023年
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