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花束と水晶体(2023.12.31)

2023年が終わろうとしている。「退院した」と前回のnote(「EYEはPOWERだよ」)に書いた直後、再入院となった。検査の結果、あまり経過が順調でなかったからだ。右目を開けると水の中にいるようなぼんやりとした感じがあったけど、それでも光を感じることはできていたから治るのを待っていればいいと思っていた私はなかなか落ち込んだ。なにより再手術である。

「思ったより水が溜まっていてこのままだと見えるようになるまで半年以上かかりますね」とドクターが言った。水中で目を開けているような感覚は間違いではなかったのだ。「順調ですね」と言われることを期待していた自分は気落ちした。
「もう一度、手術が必要です。今度は硝子体手術という白内障が進む手術になりますので、一緒に白内障手術もしてしまいましょう」

日本眼科学会によると「硝子体手術」は「ガムをティッシュペーパーからはがすようなイメージの、とても繊細で難しい手術」だそうである。硝子体は「水晶体と網膜の間にあり、コラーゲン組織と水でできた眼球の大半を占めている透明な組織」のことで、これが網膜を引っ張ることで「網膜剥離」が引き起こされる。網膜を牽引している硝子体を吸引除去したのち、眼内にガスを注入し、浮力で網膜を眼球壁へ接着させるというのが本手術の骨子である。硝子体手術を受けた患者はガスの効果を得るためにしばらく下向きでいなくてはならない。この特殊ガスを用いると白内障が急激に進むため、硝子体手術をする場合は、同時に白内障手術が行われるというわけである。

「いつか白内障になる」とは思っていた。それがどのような症状であるかは具体的には知らなかったものの、漠然といつかはみな歳をとり、白内障手術をするのだと。しかしそれが30代の我が身に起こるとは。白内障手術は、網膜にピントを合わせる役割を持つ水晶体の中身を取り除いてしまうため、それを補完する「眼内レンズ」を挿入する。だから白内障手術後にはレンズによって視力が矯正され、よく見えるようになるのだ。

手術前日に入院したが、前夜は眠れなかった。普段25時くらいに寝ている人間が21時の消灯時間を守れるはずもないのだけど、25時近くになっても一向に眠気が訪れない。暗い廊下でたまたま出会った看護師と交わした他愛のない話を「眠剤」として、26時くらいにようやく眠れた。今回の手術は2時間半に及んだ。心電図や酸素濃度をモニターされながら私は手術台に寝かされた。そんなにはっきり見えるわけではないけど器具の先端が右目の前でちらちらと揺れた。麻酔によって、開いてるのか閉じてるのかすらわからない右目の内側は、まるで黒い絵の具のついた筆を水で洗ったときのように色が混ざり、飛蚊症で見える黒い「蚊」が何匹も飛んでいた。硝子体カッターによる刺激がちくちくと痛いのでその旨を伝えたら、まぶたにそれより痛い麻酔を注射されたときは悶えてしまった。いっそのこと全身麻酔で眠らせてほしかった。聞こえるのは鋭い機械の音と自分の心電が刻む音と執刀医たちの囁き声。否応なしに全身に力が入り、2時間半後の肉体は汗まみれでかなり疲労していた。

「液化した硝子体が網膜を牽引していました。なのでこの硝子体手術でないと完治はしなかったでしょう」と術後にドクターは言った。1回目のオペすなわち「強膜内陥術」の成功率は統計的に見て90%以上らしいが、残念ながら私は残りの10%であったらしい。今回ばかりは多数派でなかったことが悔しい。最初から今回の「硝子体手術」をしていれば、一回で済んだかもしれないけどそれは結果論に過ぎない。硝子体手術のリスクを考えると、過去に戻れても1回目は強膜内陥術を選んでしまうだろう。

下向きであれば読書もスマホも許されるが、片目ではなかなかつらい。入院中は文化的に過ごせるものかと思ったけど、片目が不自由とあってはいろいろと我慢しなくてはいけなかった。音楽は目を閉じていても聴くことができるのでいろんなアルバムを聴きながら目を閉じていた。なにもせずただ音楽を聴くのは久しぶりだった。けれど入院後半になってくると、あまりの見えなさに落ち込み、本を読むことも音楽を聴くこともせずただぼんやりと過ごしていた。

現在このnoteはiPhoneでぽちぽち打っているけど、まだ右目は見えるようにはなっていない。ガスはまだ40%ほど残っているようで、腫れた右目を少しだけ開けると中央にまるで水滴のような黒い「円」が見えて、その先に屈折した光がちらちら揺れている。どうやらこの状態がまだ数週間ほど続くようである。右目からは滲出液や涙が出てきて、まだまともに開けていることができない。寝るときは眼帯をつけて右目を保護し、残ったガスを無駄にしないよう、やや下を向いて寝ている。職場にはもう2週間以上行ってない。仕事納めもせず、忘年会にも参加できなかった。年末感がないまま退院したため、2023年が終わる実感がない。けれど、明日には2024年になるらしい。今年は親知らず抜歯、インフルエンザ、網膜剥離などさまざまなことに苦しめられた。来年はいいことがあればいいなと思っています。

今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。また来年。

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