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165.不思議の国の数学者(2022)

数学をテーマにした洋画と言えば『奇蹟がくれた数式』や『ビューティフル・マインド』,『博士の愛した数式』などが挙げられるが,その中でも『グッドウィル・ハンティング』(1997)は多くの人に知られているのではないだろうか。本作のプロットはそれにやや似ていて,学歴社会である韓国の進学校で数学ができずに落ちぶれているハン・ジウ(キム・ドンフィ)と,脱北した天才数学者イ・ハクソン(チェ・ミンシク)が交流していく物語である。自由を求めて脱北し,南で警備員として働くハクソンはヒョンなことからジウと出会い,数学を教えることになる。ジウの通う学校の教師は「出題者の意図を読め」と言い,出題ミスの問題を「なかったこと」にする。それはもちろん受験においては有効だろう。受験数学においては「数字」がすべてだからである。一方,成績に興味のないハクソンは「過程を大事にしろ」と教える。学校内と学校外のどちらが正しいということではない。それぞれの場所にはそれぞれの事情があるというだけの話だ。大切なのはひとつの価値観に馴染まないことではないだろうか。価値観の両極に引き裂かれること。そこにこそ「成熟」への契機がある。進学校の授業は,進度に追われている。本来であれば時間をかけて楽しめる題材が1コマで消費されてしまうこともある。それは非常にもったいないことだが,その先に控える大学受験のことを考えると仕方がない事情でもある。一方,この映画は,数学の楽しみは「考えること」だと観客に伝える。数学というフィールドでは知識さえ持っていれば自由に考えを論述することができる。そこには無限に近いキャンバスがある。長い人生に生きてくるのはインスタントな解の求め方でなく,個々人が脳に汗して考えた過程なのだ。問題を解いたジウが正しいかをハクソンに聞くシーンがある。ハクソンはこう答える。「自分で確かめろ」。非常に教育的な一言である。それを聞いたジウは自分で確かめるために別の解法を探しはじめる。なぜなら,同じ解法を辿っても正誤を確かめることは難しいからだ。別ルートで同じ場所に辿り着くこと。実はそれが「検算」なのであり,物事を多角的に見る態度である。数学は就職の道具でもないし,ましてや推薦を取るための方便でもない。それは古来より「学ばれるべきもの」であり,人と人を繋ぐものである。勧善懲悪で,スカッとするこの王道映画を見れば,数学嫌いが少し治るかもしれない。

監督*パク・ドンフン
主演*チェ・ミンシク
2022年

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