にんじんの成長の歴史
97%かわむーのnoteに影響を受けているきゃろってぃーです。
→かわむーの自己紹介note
#残りの3%は磁力
今まで関わってくれている方への今の自分の活動報告と、ここ最近新しくご縁をいただいた皆さんへの自己紹介を兼ねて、このnoteを書いています。
まず簡単に、愛知県岡崎市出身 2001年4月23日生まれの20歳。
通称"山本"こと きゃろってぃーです。
#下の名前は凜太朗 #来年成人式
現在は福岡県那珂川市にあるeスポーツを扱う会社 CS entertainmentというところで働いています。
岡崎市のゆるキャラ”オカザえもん”
語りはじめは高校1年生。
まだピチピチだったこの頃、部活の先輩に「好きな食べ物は🥕です」と自己紹介したことによって『きゃろってぃー』は生誕しました。
#ちなみに吹奏楽部 #高校1年生終了
自分の中で何かの歯車が動いたのは高校3年生の夏。
ある一冊の本を読んでからです。
県内でまずまずの進学校に通っていたので受験シーズン真っ只中だったんですが、そんな時に限って読書にハマってしまった僕が出会ったのが『メモの魔力』という本でした。
これを読んでからというものの、読み終わったその日の塾の面談で「先生。2年間医学部志望だったんですけど、とりあえずそれやめます」と言い放ち、学校の担任の先生には「大学ってなんでみんな行くんですかね?今あんまり行く気がしないんですけど」と言ったり(※受験期)、Twitterで「大学に行く意味ってなんですか?」と聞きまくったり...。
とにかく「ただ大学を目指す高校生活」とは違う環境に変化し始めました。
#そういうことを教える本ではありません #メモについての本です
そこからは本を参考に、自己分析のためにメモを取り続ける日々。
メモ帳を授業中にも、トイレにも、塾にも持ち歩き、毎日2ページ以上「将来何したいんだろう」「自分は何に面白さを感じるんだろう」「大学って自分にとって必要なんだろうか」「幸せってどういうことなんだろう」みたいなことを考えては、悩み、書き続けていました。
そんなこんなで半年が過ぎ、大学に行くべきか迷っていた僕は「まだなんとかいきたいと思える大学一校だけを受験しよう」と決めて受験を迎えました。
が、結果としてはその大学に落ち、「浪人はせずにとりあえずどうにかする」とこのタイミングで決意しました。
(落ちた時、自分も含め知り合いみんなで笑いまくっていたのが懐かしい笑)
進学校ではなかなか前例のない「浪人しないニート」になった僕の高校卒業後はどんな感じだったのかと言いますと、まず卒業から3日後に『愛知から東京までママチャリで行く旅』をスタートしました。#話が急展開すぎる
ときには人の家に泊めてもらい(知らない人)、ときには外やお店で夜を過ごし、ときには大豪雨で精神に大ダメージを負ったり、ときには高速道路のような道を爆速の貨物トラックと並走したり。
なんだかんだがありすぎながら5日間かけて東京まで行ってきました。
(詳細は聞いてください笑)
東京から帰った後は初めてヒッチハイクをやってみたくなり、愛知から大阪までヒッチハイクで遊びに行こう、みたいなこともしてました。
ちなみに人生初めてのヒッチハイクで、1人目に声をかけたお兄さんたちに乗せてもらうことができて、九州に行く予定だったそうで大阪まで乗り継ぎなしで行けてしまいました。#形容しがたい奇跡
その後3ヶ月くらいも、仙台の芋煮会に誘われて遊びに行ったり、姫路に月一で遊びに行ったり、「フェスがあるからおいでよ!」で香川に行ったり、「ちょっと一緒にうなぎ食わへん?」で香川に行ったり...。
とにかく動き回っていた時期でした。
#うなぎは声かけられたの5日前とか #フッ軽すぎた時代
姫路と香川
余談ですが、この時期は「アフリカ」にハマっていました。
たまたまインスタで『アフリカで働く日本人の講演会』の広告を見て参加したのをきっかけに、文化の違いやアフリカ各国独特の民族性に興味が湧き、3ヶ月近くアフリカに関するイベントに参加しまくっていました。
『AYINA』というNPO法人でも、少し活動をさせていただいてました。
ちなみに今でもアフリカ自体には興味はあって、小物にアフリカ布の製品を選んでいたり、いつかアフリカのどこか行ってみたいなーと思ってます。
そんな感じで高校卒業後に暴れ回っていたのに少し疲れて、とうとうバイトを始めた🥕だったんですが、「思考の少ない作業をして一日過ごすだけでお金がもらえる」という環境の中にい続けることに対して「これに慣れてしまうと自分(個性)が腐る」という恐怖に苛まれ、3ヶ月でやめることになりました。(人間関係とか組織体制に耐えれなかった部分もある)
#いらないと思うけどこの時期の趣味は俳句
そしてこのタイミングで、僕の環境が一気に変わることになりました。
本当にちょうどバイトを辞める2021年の10月頃、もともと仲良くしてもらっていた稜さん(@RyoHappyMan1)という方から突然「esports興味ない?」と連絡がきました。
その後なんじゃかんじゃあり、なんの経験もないのに「esports特化型のビジネスコンテスト」の企画・運営を丸投げされて、それの運営団体がCS entertainmentだということを知り、いつの間にか会社の社長と面談することになり、「せっかくなら正社員なっちゃいなYO 福岡来ちゃいなYO」と話が進み、正社員になることが決まってから2週間で福岡に引っ越しました。 #進みすぎ #フッ軽再発 #かわむーは声かけてから1週間くらい
弊社 取締役社長
入社してもう半年が経った今ですが、この半年で2年分くらいは成長したんじゃないかという充実感を記事に書いて改めて感じています。
高卒で社会の知識も何もない状態で設立半年の会社で働くことになり
イベントってどうやって進めるの、ビジネスってなに、プロ選手のマネジメントって何が正解なの、スポンサー営業ってどうやるの、資料作成とかやったことない、会社の収益ってどうやって立てるんだ、会社ってどうやって成り立ってるの...etc
本当に様々な課題に直面し、現在進行形で戦い続けています。
そしてその度に新たな知識と視点を得て、日々成長をしています。
それもこのCSという会社が柔軟であり、機会を与えてくれる方々が揃っているからであり、今の日本の状況をざっとみたときに「とてもありがたい環境だなぁ」としみじみ感じます。
柔軟性だけでなく、「自分が幸せになるには、そして人を幸せにするには」という視点をいつも与えてくれ、ただ純粋な温かさで活動を見守ってくださる 親会社の「愛しとーと」の皆さんにはとにかく感謝しかありません。
どんな時でも明るくて、ポジティブで、人のため・人を幸せにするために一生懸命で、みんなが幸せでありながら日本中に幸せを振りまく芯のある温かみにいつも助けられているなぁと感じます。
子どもが遊びに来る会社
関西弁でボケてもスルーされる代表がいて
博多弁でボケてもスルーされる上に、Twitterに写真をあげられる社長がいて
ポジティブ102%純金で笑顔を生みまくる取締役がいて
常に新しい視点と知識と思考を与えてくれる結構ゲーム課金勢の顧問がいて
運よく本当に素敵な方々とのご縁があって今があります。
ただ「運」とはいうものの、高校の時にたとえ周りと合わなくても、自分自身のために将来や自分のことについてひたすら悩んで考え続け、動きまくってきたからこそのご縁だとも思っています。
esportsの界隈には、同世代の方でも桁違いにすごい人がうじゃうじゃいます。
1年後、2年後の自分はあれを超えるような存在になれるのか。
そんな焦りも感じながら、現状の幸せを噛み締めて、すごい人になる過程を存分に楽しんで努力していこうと思います。
そして今、自分がCSで働く1番の理念は
『愛しとーとという素晴らしい会社のあり方・理念をesportsの文脈から若者・人々へと届け、一人一人が個性ある生き方をしながら、それぞれが日々幸せを感じられる世の中を作ること』
会社という小さな規模だけではなく、常に世界や社会という大きなものを見て、どうにかいい感じにやっていこうと思います。
20歳、🥕、ここから頑張ります。
またときどき会社の活動報告ができたらいいなと思います。
読んでいただきありがとうございましたー!
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