ワーママ狂想曲 午前6時
「7時まではママの時間だよ。だから、あなたも自分の時間だよ」
わたしが午後9時台には寝かしつけで寝落ちし、翌朝の5時に目覚めた朝、子どもも朝の6時には起きてくる。
他の子どもたちは、朝の7時過ぎまで寝ているが、この長子だけは小さい頃からショートスリーパーだし、よく起きる子どもだった。
寝かしつけに成功して、そろりそろりと玉ねぎの薄皮を剥がすように子どもから離れる。
が、0歳の子どもは母親との肌の接触に敏感ですぐに気づいて泣き出す。
または、やっと寝付いた頃に父親が帰宅して、ガチャっと、玄関の鍵を開けて入ってくる物音に気付いて起き出して、元の木阿弥。
そんな敏感な子どもが2歳を過ぎたら、入眠してすぐにわたしが離れてもそのまま寝るようになった。
だから、寝かしつけに成功しそのまま寝落ちしないで起きられた奇跡のチャンスに、自分の仕事をしていた。
でも、そうは問屋が卸さない。
「ママ?」
と、わたしの不在に気付いて、2時間後にはまたわたしは布団の中に戻り、仕事は諦めた。
じゃぁ、朝方に起きればいいじゃん!
と、朝の4時に起きた。
だいたい、1時間半過ぎる頃には、足音をカタカタ立てて、子どもが起きてくる。
そして、冒頭のママの時間宣言をすることになったのだ。
子育てと自分の時間の捻出は、わたしの大きなテーマだ。
子育てはとても大事な業務で、子どもとのやりとりはわたしにとって実験だ。
こういうストロークを使うとこう返ってくるという生の参与的観察ができるなんて貴重だ。
仕事先で関わる子どもたちとは、ここまで、がつちりと四つに組んでは遊べない。
24時間観察し放題、関わり放題!
ヒャッホーウ!!
そんな訳がない。
母親だって人間なので、疲れるのだ。
仕事なら、1時間のセッションで終わる。または、6時間くらいの勤務でも、交代や休みがあるし、他のスタッフもいる。
だけど、母親はそうはいかない。
生身の人間で、発達途上の生き物を相手に24時間を保安員としてケアする。
例え、子どもが寝ている間でも子どもの安全を見守っているから、寝ているようで寝ていない。
(イギリスの育児調査でも、この寝ている間のつきそいを見守りとしてカウントしている)
ケアすることは容易いことではない上に、しつけて教育することも子育てだ。
母親業務って、割に合わない仕事だよなぁ。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。