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震災の日によせて 忘れられない記憶

感情を激しく揺さぶって今でもまざまざと鮮明にその記憶を思い出すような体験をお持ちだろうか。

それは、心理学用語で自伝的記憶と言うのだけど、それはその人そのものを作るとされている。

わたしがわたしであるための大事なパーツ。

こういう体験を語る力は3歳くらいからあるとされているので、人は誰しもそのようなパーツを持っていると言える。

それは、新聞やテレビ、本を通しての見聞きした体験ではなく、がっつりと自分で体験しなくてはならない。

25年前の今日、1月17日は、震度7の阪神・淡路大震災が起きた日。

25年という四半世紀の区切りのためか、地元紙だから、新聞にはこの震災の特集が組まれている。

いや、よく行く図書館でも、こちらに越して来てから、しょっちゅう、震災の写真展を見かけるし、町を歩いていても、慰霊碑がさりげなくあるから、日常のヒトコマなのかもしれない。

正直、わたしはこの地震は体験していないし、身内もみんな関東人なので、その衝撃もわからないし、被災した親族もいない。

だけど、友人や地域の人と、ふとした時に「あの地震で家が潰れた」という話が出たり、25年前の体験であっても、すぐにその時に戻って話してくれる人に出会う。

みんなそういう思いを内に抱えて生きていて、ポンっと、何かの拍子に思い出し、思いが溢れ出すのだろう。

その体験は、間違いなく、自伝的記憶で、その人を形作るパーツの1つ。

なんて、距離がある書き方をしているけれど、わたしにもそんなパーツがたくさんあって、それを集めてわたしを作っている。

わたしも9年前の3月11日の東日本大震災の震度5強という大きな地震を経験した。

生まれたばかりの子どもの母親になって初めての育児に初めての大きな自然災害が重なり、かなり不安定に揺さぶられたことは確実。

自然災害に人的災害も重なり、移住のきっかけになったのだから、わたしにとってのわたしという大きなパズルの大切な記憶のパーツだ。

その記憶は、不快であるし、また、不快を抱えて生きて行くことへの耐性をつけてくれた、大切な体験である。

こうして、人は語ることで、自らを癒して行く。

忘れないし、忘れられない、大事な記憶のかけらだ。


論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。