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午後18時 子どもの泣きの意味

「あーちゃんがやるの!もう、ママやらないで!」

保育園からの帰り道、3歳の子どもが泣き出して、道の途中で、固まってしまった。

すでに保育園の門を出る前から、それは始まっていて、教室の中で5分ほど軽く泣き始めたので、この後お稽古に他の子どもを連れて行かねばならないわたしは、先を急ぐあまり抱きかかえて教室を後にした。

そもそも、このしくしく泣きの原因は、きょうだいが教室に忘れものを取りに行ったので3歳の子ども以外のわれわれチームカロリーヌ家が教室に一緒に着いていったことが始まりだった。そのことを知らない3歳の子どもが後ろについて来ていると思ったチームカロリーヌの不在に気づき、置いてかれたと思って、泣き出した。

勝手知ったる保育園の中なのに、自分を残してママたちがいない!迷子になった!という不安に駆られての泣き。

幸い、保育者に気づいてもらえて抱っこされて教室に戻って来たけれど、1度火の付いた泣きはなかなか消火しない。

あぁ、また、長い闘いが始まる。と、流石にこの魔の2歳の時期の親業を経験するのも3回目なので、これから先の鎮火までの時間を思うと途方にくれた。

魔の2歳は2歳で終わらない

魔の2歳とは、イヤイヤ期のことだ。それまで、母性的養育者(主に母親)にべったり依存して、母子と一体化していた親子関係から、「わたし」という自己の萌芽が見られる。この時期は、お姉さんお兄さんでありたいという気持ちと赤ちゃんでいたい気持ちで揺れ動く。これは、自己が育って来た証拠である。

この時期は世界共通で、英語圏ではテリブルツー、恐怖の2歳なんて、言われるくらい、普遍的な育ちのメカニズムだ。

わたしはこの魔の2歳を知っていたから、行政の発達相談という育児相談で、イヤイヤ期で困っているママたちを相手に、独身の頃は、ぬけぬけと教科書的な解説をしていた。

けれども、実際に親になってみると、ママたちはイヤイヤ期をどうにかしたくて対処法を聞きたいかもしれないけれど、それより、聞いて共感して欲しい同志のような気持ちの方が強いのではないか?と、思えた。

それくらい、この時期のイヤイヤは強烈なもので、いくら、自立への一歩とはいえ、確実に親をげんなりさせる。

しかも、2歳ちょうどに始まるのではなく、言葉が出て来ておしゃべりが上手になりつつある1歳半くらいから前倒しで始まるし、2歳が終わって3歳になった途端終わるものでもない。

4歳になって気づいたら、なんか言葉が通じて来て、コミュニケーションがスムースなんですけど?あれ、イヤイヤ期終わってた?と、気づくくらい、さりげなく終わる。

2歳の1年というより、2歳前後を含む2年は続くと見ていた方が正解だろう。

加えて、日中の保育園での生活は、慣れた生活の場とはいえ、大人数での集団であり、自宅と違いわがままは通らない。我慢する場面もそれなりにあって、緊張して疲れた気持ちの糸が親に再会した途端にぱちんと跳ねる。

これは、アタッチメント(愛着行動)と呼ばれる健全な対人関係の行動である。なんで、ママはわたしを置いていったの?と、幼児なりに怒っているのだ。すぐに機嫌は治るけれども、健全な怒りなので、ない方が怖い。

ということで、冷静に18時の保育園児の泣きを解説してみた。

もちろん、全ての保育園児の泣きが当てはまるわけではないし、理由のない、意味のない泣きもある。

そう、子どもは、ただ泣きたくて泣く。理由なんていらないのだ。

それは、もはや原因すらわからない。朝のご飯が美味しくなかったかもしれないし、お昼寝の時間が足りなかったかもしれないし、洋服のボタンがうまくはめられない自分への怒りだったかもしれない。特定不能の怒りはたまりにたまって、感情の爆発を生む。

でも、それでいい。理由なんて、子どもにはいらないし、説明ができない。言葉で説明ができるようになったら、感情の爆発は鎮火していく。

それくらい、子どもが言葉を獲得してゆくことは、大きな意味を持つ。


論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。