世界の入り口は自分で拓く
少し前になるが、大学受験予備校の講師の林先生の言葉が流行語となった。
そう、アレだ。
「いつやるの?今でしょ!」
CMは消費者の購買意欲をくすぐり購入に至らせるために心を砕いているのだから、そりゃ、インパクトのある言葉であることは確かだ。
そして、営利を目的とする予備校であれど生徒の学力向上を目的とした教育機関である。
わたしは、予備校の先生ではないけれど、クライエントの自己成長をサポートする心理職で教育者でもある。
未熟だったり、一時的に休んだり、道半ばの人が対話の相手であり、クライエントの伸びしろが見えるが故に、時と場合を選び、クライエントが受け止められる状況かを鑑み、厳しいことも言わざるを得ない時もある。それは、専門用語で、直面化という。
例えば、クライエントが相談に来た時、そこまでの経緯をスラスラと要約してわかりやすく、話せている時がある。
大抵の場合、その人にとって、その出来事はその人にとって味わい尽くされた語りとなり、消化されたものととらえる。直面化に耐えられる心理状態だ。
まぁ、こんなに物事は単純でないから、これだけが指標ではもちろんないけど。
反対に、ダラダラと終わりの見えない話をして、ぐるぐると同じ話をしている場合は、直面化はまだまだ遠い先だろう。
また、ダラダラと話をしないけれど、「こうなりたいんです。こうしたいんです。でも〇〇〇だからできません。」と、えー?そうくるか?という帰着点に至る話もある。
この〇〇〇には、お金、時間、体の調子の悪さ、家族の世話、家族の反対など、無尽蔵の理由のオンパレードが入る。
そして、わたしは、こう伝える。
「そうなんですね。大変ですね。でも、それだと、いつまで経っても行動できませんね。」
だって、お金、時間、体、家族、全てのカードが揃うパーフェクトな状態なんてありっこない。そんなものを待っているうちに時間だけが過ぎ、出来なかったことを数えてあっという間に、人生が終わるだろう。
心理学は人の感情など心の動きを科学的に検証する学問であり、心は行動に現れるとしたものが行動学派だ。
行動学派は認知行動学派へ繋がり、今の認知行動療法や認知科学を生み出した。
と、心理学のなりたちを持ち出してみたけれど、言いたいのは、「言うは易し行うは難し」だということ。
そして、何より、自己成長とはその人の行動の記録であり、経験の積み重ねから生まれるということ。
経験をした人し見えないが世界がそこにある。世界の入り口は自分で拓くしかない。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。