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ワーママ狂想曲 お盆帰省明け

今回のお盆実家帰省は、長過ぎた。なんせ9日間も兼業主婦が家を空けて、夫に留守番を託したのだから。

かといって、実家で、わたしが母親業務を放棄して、上げ膳据え膳ライフを送っていたわけでは断じてない。

まぁ、炊事洗濯はちょこちょこと手伝うものの、実家の主たる実力者であり主婦は実母なので、わたしが勝手に手だしをすることもできない。申し訳程度の家事をしたのみ。

代わりに、普段は子ども園や学校にお願いしている日中の託児を一気に母親のわたしが担う。

これは、家庭保育といい、保育園や学童のような保育に欠ける子どものための福祉分野では、親が家庭にいる時は、家庭保育をお願いします、などという。

というわけで、長い帰省であっても、ほぼ毎日、子どもにまみれて過ごしたお盆休みであり、母親業務に休みなんてなかった。

そんなお盆休みを過ごして、家に帰ってきた。子ども3人をわたしだけで引率して新幹線に2時間半乗ることも平気だ。なんせ、長子を連れて次子を妊娠中でも毎月帰省して、通学をしていたから。

さすがに、未子が産まれてからは、毎月の頻度で帰省はできず、2〜3ヶ月の頻度の帰省になった。子どもの数が増えるにつれ、子連れで帰省は体力的に消耗するようになり、間隔が空いたり、滞在期間も短くなった。

なので、今回の9日間は久しぶりにこたえた。なんせ、その間、日中は仕事ができないし、夜は疲れて寝てしまい、全く使い物にならない自分に直面化するのだから。あぁ、仕事がしたい!と、腹の底から思った。

家に戻った時の驚愕の数々

玄関に入ったとたん、異変を察知した、子どもとわたし。何かが足りないのだ。

すぐにわかった。梅雨明け前に出かけた先で寄った道の駅で買い求めた、東条メダカの水槽がない。9日前まで、次々と孵化して増えた稚魚の水槽と親の水槽があった空間だけ、ぽっかりと空虚なのだ。

慌てて、夫にたずねると、
「お盆中に毎日エサをあげていたのに、みんな死んでしまった。強烈な匂いがしたから、排水溝に流した」
と、供述をした。

「おい!仮にも生き物だぞ。排水溝に流すとは何事だ。葬いすらしないのか」
と、オットー先生を責めるも彼は全く悪びれていない。

むしろ、エサを朝晩やったのに死ぬとは何事か?と、偉そうにしているので、癪に触る。

彼は、日本メダカの貴重さを知らないし、ましてや東条メダカなんて知らないらしい。

メダカは10日くらいエサを食べなくても生きていけることすら、調べようとしない。エサの袋に書いてあった通り、朝晩2回を毎日やり続けて、水が腐ったことに思いが至らない。

さらに、幼虫から育て成虫へと完全変態を遂げて産卵を終えたカブト虫のメスも死んでいたことも判明したし、裏庭の庭木も枯れていた。

「飼育員したことないの?」「裏庭の木の存在は知ってるよね?」「わからなかったら、わたしに連絡したり、ググればわかることだよね?」
次々と、追い討ちをかけて行く。

そして、飼育を通して命を育むことは、自らの勘どころを育てることに繋がり、己の健康を自ら管理することに繋がるのだという、発生学から健康増進法、育児観にまで、言及し、オットー先生への白熱講義を終えた。

つまるところ、勘どころ、つまり、育てるセンスがないのだ、君は!と、いうことだ!と、とうとうと述べ、さらには子どもにも文句を言われて、オットー先生は、すごすごと風呂に退散した。

いや、慰謝料を請求したいのは、こっちだわよ!ということで、寝かしつけはオットー先生に押し付けた。

主婦が家を空けても、家がぐちゃぐちゃにならない家を育てて行くには、まだまだ、時間が必要のようだ。

論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。