葛藤を抱える人生こそ上々かもしれない
今朝からカロリーヌ夫人エリアは、蒸し暑い雨。
同じ雨でも、昨日まで、滞在していた富士山の麓の山中湖の別荘周辺は、寒かった。
薪ストーブ焚いてました。
ろんもち、わたくしの別荘ではございません。
霧雨の山中湖は、朝晩問わず冷え込みました。
だからか、コロナ余波なのか、連休明けの平日だからかわかりませんが、レストランも休業が多く、シーズンオフ感が半端なし。
静かな湖畔は、軽井沢のような上品なところで、すっごく落ち着きました。
なーんて、のんびりばかりでなく、研修だったので、真夜中まで、地獄のブレーンストーミング。
お酒も飲まず、真剣に、仲間のライフストーリーを聞く。
あー、この人のこの性格特性は、ここから来ているのね!
とか、ついつい、心理学者のサガで、パーソナリティ分析してました。
この自分年表を書くワークは、この秋から始まるPWM講座でもやります。
あのね、人って、ちゃーんと、今の行動に繋がる過去の行動の積み重ねでできています。
今は、過去の出来事の連続でできているから、どれ1つ無駄なことがないんです。
あなたの人生に、全部必要なこと。
だから、起こってもいない未来から、今の出来事が繋がるとも言える。
わかりにくい?
うーんと、過去も未来も、変えられるってこと。
もっと言うと、書き換えられます。
心理学用語で、時間的展望と言います。
時間的展望はね、子どもはできません。
時間という概念が植え付けられていないから。
心理学の親玉である物理学では、時間という概念は人間が作った便宜的なくものとされます。
そうじゃないと、
「明日、朝9時待ち合わせね」
って、約束しても、時間の概念がなければ、いつのことなのか、みんな勝手に決めちゃうから、2日後の9時の人と思う人も、今すぐって思う人もいて、永遠に会えない(笑)。
本当は、時間なんてないんです。
今、今、今の連続が時間の流れを作っていて、始まりと終わりを決めて、切り取ります。
それを時間と言います。
いつ何をしていたか、この時期という共通ルールで定義するから、時系列に思い出せますし、人に語れます。
じゃなかったら、過去の出来事の記憶なんて、語れないです。
何言ってるのか、わからない。
だって、共通ルールないんだもん、説明できない!
そして、もう1つ大事なことは、例え、自分が経験してきた出来事の記憶でも、自分で都合よく、ねつ造しています。
脳内で、書き換えて覚えるし、思い出すたびに書き換え更新するんです。
だから、過去も未来も変えられるのです。
魔法みたい?
そうですね、わたしたちは、本当はみんな魔法使いなんですよね。
自分で自分に都合よく魔法をかけられ、思いのままに生きられる、なんて、お得な生き物なんだ!
自分の思うように生きることができることに気づけると、ほんと生きるのが楽です。
わたしたちは、過去の経験から、自分のルールや共通ルールを作り、やがて、それが自分で自分を縛っているのです。
自縛かい!(笑)
共通ルールがないと、社会がめちゃくちゃ、勝手な人ばかりになりますから。
人間は、群れを作らないと、外的に襲われ、生き残れないという、サバンナルールで生き延びてきたので、仕方ないのです。
社会性がないと生きづらい、だけども、その社会性を慮り過ぎて、また、生きづらい。
あぁ、どこまでも、自縛ジレンマ。
人は、ジレンマを内抱えて生き、このホールディング力が高いほど、生きやすく、深みが出るのでしょう。
葛藤こそが人を人たらしめるのかもしれません。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。