![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12626727/rectangle_large_type_2_e2850f62bb111927a3b6cb1d553301da.jpg?width=800)
要らない流れ弾に当たらない
少し前に、「子育ては無理ゲーだ」と、書いた。
親側としては育てる個体数、つまり、子どもの数が多いほど、大変さが比例してゆくと感じる。
先日も子どもたち3人を連れてスーパーに立ち寄ったら、エレベーターで一緒になった年配のご婦人に、しみじみと「お3人も!大変だけど、頑張ってね」と、エールを送られた。
こういうエールは頻繁にいただくし、逆に「わたしは子どもが産めなかったわ。」と憎しみの爆弾をやはり年配の夫人に投げつけられたこともある。
エールはありがたくいただき、悲しみの流れ弾は、「だから、どーした。そんなもん、わたしが知るか!」と、スルーする。
ごめん、わたし、あなたの悲しみを無償で拾うほど暇でも善人でもないです。
自分の感情ぐらい自分で処理をして、流れ弾を他人に投げつけるのは勘弁して欲しい。
心理カウンセリングでは、こういった負の感情をカウンセラーに投げつけることは、カウンセリングが進むと起こることがある。
クライエントが過去に経験した出来事で起こった感情が蘇り、その出来事の相手にぶつけたり、ぶつけたかった感情をカウンセラーにぶつけることを精神分析学では「転移」と言う。
カウンセラーは当然、このような転移が起こるだろうことは予測して面接をしているし、対応も訓練されている。
だから、カウンセリング場面で起きても、「来た、来た、来た」と、受け止めて対応する。
だけども、赤子を抱っこして、子どもが乗ったベビーカーを押す妊婦が地下鉄のエレベーターで四苦八苦 している場面に、「わたしは産めなかった」弾を打ち込まれたら、どうだろう。
この時は、このご婦人のお仲間がいて、
「あなた、それはこの方に関係ないでしょう」と、いなしてくださったので、わたしは苦笑いをして、さっさと立ち去った。
ふぅ〜。
たしかに産む、産まない、産める、産めない、
妊娠と出産は女性にとって当事者問題になる、デリケートなことだ。
このご婦人は、言いたくても、言えなかった感情をわたしにぶつけたことで、スッキリしたかもしれないから、お役に立ったのかもしれない。
だけども、人は他人の感情のゴミ箱ではない。
「カウンセラーは、ゴミ箱です。感情を全部吐き出して行ってください」と、言うカウンセラーもいる。
それは、カウンセリング場面という守られたクローズドの秘密の場所だから成立する。
でも、根底には、I am ok, you are okという、相手の尊厳を守る暗黙の知の前提が必要だ。
相手の立場を尊重し、慮るバランスは知性であり、いくらでも伸びる社会性だ。
子どもたちには、丁寧に教えて行きたいと母親として、そして、心理士として思う。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。