見出し画像

要らない流れ弾に当たらない

少し前に、「子育ては無理ゲーだ」と、書いた。

親側としては育てる個体数、つまり、子どもの数が多いほど、大変さが比例してゆくと感じる。

先日も子どもたち3人を連れてスーパーに立ち寄ったら、エレベーターで一緒になった年配のご婦人に、しみじみと「お3人も!大変だけど、頑張ってね」と、エールを送られた。

こういうエールは頻繁にいただくし、逆に「わたしは子どもが産めなかったわ。」と憎しみの爆弾をやはり年配の夫人に投げつけられたこともある。

エールはありがたくいただき、悲しみの流れ弾は、「だから、どーした。そんなもん、わたしが知るか!」と、スルーする。

ごめん、わたし、あなたの悲しみを無償で拾うほど暇でも善人でもないです。

自分の感情ぐらい自分で処理をして、流れ弾を他人に投げつけるのは勘弁して欲しい。

心理カウンセリングでは、こういった負の感情をカウンセラーに投げつけることは、カウンセリングが進むと起こることがある。

クライエントが過去に経験した出来事で起こった感情が蘇り、その出来事の相手にぶつけたり、ぶつけたかった感情をカウンセラーにぶつけることを精神分析学では「転移」と言う。

カウンセラーは当然、このような転移が起こるだろうことは予測して面接をしているし、対応も訓練されている。

だから、カウンセリング場面で起きても、「来た、来た、来た」と、受け止めて対応する。

だけども、赤子を抱っこして、子どもが乗ったベビーカーを押す妊婦が地下鉄のエレベーターで四苦八苦 している場面に、「わたしは産めなかった」弾を打ち込まれたら、どうだろう。

この時は、このご婦人のお仲間がいて、
「あなた、それはこの方に関係ないでしょう」と、いなしてくださったので、わたしは苦笑いをして、さっさと立ち去った。

ふぅ〜。

たしかに産む、産まない、産める、産めない、
妊娠と出産は女性にとって当事者問題になる、デリケートなことだ。

このご婦人は、言いたくても、言えなかった感情をわたしにぶつけたことで、スッキリしたかもしれないから、お役に立ったのかもしれない。

だけども、人は他人の感情のゴミ箱ではない。

「カウンセラーは、ゴミ箱です。感情を全部吐き出して行ってください」と、言うカウンセラーもいる。

それは、カウンセリング場面という守られたクローズドの秘密の場所だから成立する。

でも、根底には、I am ok, you are okという、相手の尊厳を守る暗黙の知の前提が必要だ。

相手の立場を尊重し、慮るバランスは知性であり、いくらでも伸びる社会性だ。

子どもたちには、丁寧に教えて行きたいと母親として、そして、心理士として思う。






論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。