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十年

 つくづく大人になりたいと思います。今日で10年経ちますが、あの頃は見た目からガキでしたが私がなんだかんだ22歳までピンピンとして生きているのも、謎に他の部屋より少しだけ家賃の安い部屋に住んでいて何事も無いのも、都合よく理由をあやかっています。だから気に掛けてくれてるのだろうと勝手に思っていますが、どうでしょうか。私は素敵な人たちに恵まれ学ぶことが沢山あって、荒波に揉まれながらもなんだかんだ少しずつ大人になれてるかなと思いたいところですが、同時にわかることや見えるものが増えて、正直つらいと感じることもあります。
 今でも、誰か代わりに私の人生生きてくれよと思う程には現実が全然手加減してくれないと感じ、打ちのめされることが多くて私は強くないので修行を積むほかありません。

 人にはそれぞれ事情があることは然り、その事情も相対的なものとして認識すべきではないと思っていますが、つらいかもしれないと感じるようなことを何とも思わず通り抜けていきたいと考えている私にとっては、周りを見て、自分は生きるのがへたくそだなと反省しながら茶番を消費するだけの一生の中で不必要な負の感情に苛まれるのは、つらいです。そんな気持ちさえコントロール・対処できないということは、というか生まれてしまう時点できっとまだまだ大人になれていないので、どうにか仏のようになりたいという気持ちはあります。

 10年経つ今でも実際私は全然変われてないかもしれませんが、一つだけ変化がありました。高校の時から知っていた友達と久々に会ってお酒を嗜み、そのおかげで今まで自分しか自分の人生を生きていない気でいましたが、なんか肩の荷が降りたというか、抱えていたものが半分減った気になりました。つまり本当の意味で何でも言える存在を知った、くらいのことですが、歳を重ねるにつれて、頼れたらなと思う場面を色々クリアしていく事によって、その度に大人になり、少しずつ荷が降りていくのかなと感じております。確か、私のお母さんはは何事もひけらかさず謙虚で、当時の私は自分のこと位しか考えきれていないタイプだったため、お母さんが考えていたことの1割も聞けていないと思います(私が小学校低学年の時将来の夢の話をしていて、『公務員がいいと思う』って言われたことはうっすら衝撃的で唯一覚えてる)。mbtiも予想がつきません。ですが、私は生きていて様々な経験を積んでいくうちに、記憶の中のぼんやりとした人物像に徐々に近づいていっている感覚があります。なので、ずっと私の灯台であって欲しいと思います。その限りはどんなに弱くても、真っ当に生きていきたいと思っています。いつもありがとう。

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