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ワイオミング州で出会った、ラッセルさんという人の話

先日、ワイオミング州を旅行してきた。ラッセルさんと出会ったのは、シェリダンという、カウボーイで有名な街のビアホールだ。金曜日の午後、彼は友人とビールを飲んでいた。私と夫は隣のテーブルに席を取り、何を飲もうか、壁に書かれたメニュー表を見ながら少しぼーっとしていた。すると彼が我々のテーブルに近づいてきて、「この店は忙しいから店員は来てくれない。自分でカウンターでオーダーしなくちゃいけない」と教えてくれた。さらに、カウンターの脇の、従業員が出入りするところまで連れてってくれて、馴染みの店員さんに取り次いでくれた。…日本人の引っ込み思案なところを知ってる人なのかな?と思いつつ(アメリカを旅行していると、結構な割合で「日本の基地にいた」と話しかけてくれる人に出会ったりする)、「Thank you」と言って、また別々の席に別れた。

少しして、ラッセルさんはまた私たちのテーブルに来た。今度は彼は、自分の友達の息子が沖縄の基地にいて、日本の話を聞かせてもらったこと、シェリダンの街はとても美しいことなどを話してくれた。日本人に会うのは初めてだそうだが、見かけない人を見ると興味津々になって話しかけたくなるのだそうだ。さっきも、日本人がシャイなのを知ってて教えてくれたのではなく、私たちを観察していて、オーダーできなそうだったから助けてくれたのだそう。ひとしきり、話したいことを話して、彼はまた隣のテーブルに戻っていった。『田舎の気さくなおじさん』なんだろうな、と思った。

更にまた少したってから、ラッセルさんは私たちの所に来た。今度は「シェリダンのきれいな風景を見せてあげるよ。俺の車に乗って、一緒に行こう」ということだった。…さすがにちょっとびっくりしたが、我々には断る理由も急ぐ予定もなく(こういうところ、自分が ”The 日本人” だとつくづく感じる)、素直に誘いに乗ってしまった。…後から考えると、夫と二人とはいえ、知らないところに連れていかれ、惨殺される可能性もあっただろうが、結論から先に言うと、ラッセルさんは楽しい時間を提供してくれた、純粋な善人だった。

ラッセルさんはF-150という、フォードのピックアップに我々を乗せてくれた。フロントガラスにはヒビが入っていた。開け放たれた窓からは心地よい夕方の空気が流れこんできた。もう午後7時になっていたが、夏のワイオミングの夕方は長い。日暮れまで2時間以上あり、空はまだ青い。
途中、ラッセルさんの家も見せてくれた。広大な土地の中にポツンと、2,3軒のお隣さんと一緒に住んでいた。お隣さんが馬を飼っていたので、すかさず「ワイオミングでは馬を飼っているのをよく見るけど、ビジネスとして成り立つの?」と聞いてみた。「いい馬を育てれば大きなビジネスになるだろうけど、観光客を乗せる馬のようなのじゃ、あまりいいビジネスにはならないだろうね。もしかしたら楽しみとして飼ってるだけかもしれない」と言っていた。…そうだとしたらワイオミング人としての誇りか。(ワイオミング州の車のナンバープレートにはロデオの馬と人が描かれている)実際、今まで見てきた車窓の風景では、1つの牧場と思しき大きな区画に2,3頭しか見かけないのが常だった。高尚な趣味だな、と思った。…そんな他愛のない話をしているうちに、気が付くと未舗装道路に入っていた。

ヒビの入った、ラッセルさんの車のフロントガラス越しに撮った風景


ドライブは進み、ラッセルさんは小高い丘の真ん中で止まってくれた。山と草地が果てしなく広がっている。ラッセルさんにとって一番お気に入りの場所なのだそう。心がモヤモヤすると、ここに来て、この景色を眺める。すると、心が段々落ち着いてくるのだ、という。…私は、私みたいな旅行者は山や丘の穏やかな風景を見て「素晴らしい」と思うけれども、住んでいる人たちにとっては、見飽ききった光景で、感動がなくなるものなのかな?どうなのだろう?と密かに思っていた。それをラッセルさんに尋ねてみた。するとラッセルさんは「そんなことはない。毎回来るたびに景色は違う。毎回感動するんだ。ここに住んでいる人たちは皆、同じように考えていると思うよ」と答えてくれた。冬は一面の銀世界、夜は満天の星空だそう。何度も「Beautiful」と繰り返していた。

360度広がる景色、カメラでは捉えきれない…

気をよくしてくれたのか、ラッセルさんはさらに車を進めてくれた。野生のシカを見せてくれるという。ラッセルさんは、秋になると家族を養うために、シカの狩りをするとも言っていた。銃の免許も必要だが、土地の所有者から狩りをする許可も取らなくてはならないそうだ。狩りは寒くなってくる11月頃からするのだそう。年によっては10頭以上獲れる時もあるが、数頭しか獲れない年もあるそうだ。…ラッセルさんは建設関係の仕事をしているとのことだったが、こういう田舎ではそれだけでは賄いきれないんだなぁ、と暗に理解した。(と言ってもシェリダンは他の街に比べたらだいぶ大きな街ではあるのだが。)酪農をやっている人が多いのはビジネスとしてだけでなく、自分たちの食糧確保も兼ねているのだろうな、とさらに思いを馳せる。なお、ワイオミングでは気温が高くなる時期が短すぎて、農業は難しいそうだ。実際、今の時期には昼間が30度以上の猛暑になるが、朝晩は10度台前半になったりで、気温差がとても激しく、農業には不向きそうなことは想像に難くない。

シカがいた。光り輝く草原の中を、シカも光を浴びながら神々しく大地を駆け抜けていた。動画で見直したら、光に満ちた、天国のような光景だった。

絵本に出てきそうな、かわいらしい牧場の風景を抜け、

夕日に照り映えた緑の美しい丘を抜け、ラッセルさんは町はずれのピザ屋さんへと連れて行ってくれて、ご馳走してくれた。…ラッセルさんに尋ねた。「奥様が料理を作って待ってくれてるんじゃない?」すると、彼は言った。「俺がこういう性格なのは彼女も知ってるから大丈夫。今日食べなければ明日食べればいい」と。私は「私たちといた証拠写真を撮っておいた方がいいんじゃない?」と言ってラッセルさんの携帯電話を探したが、なんと彼は携帯電話を持たない主義の人だった。彼の年齢は56歳、スマホを操作できない年齢ではない(むしろ、ニューヨークでは70を過ぎたシニアでも普通に操作している)。…確かに、ワイオミングでは電波の繋がらない場所が多い。人々の住む街であればたとえどんなに小さくても繋がるが、街を出るとまた電波と無縁な土地が(次の街にたどり着くまでずっと)続いている。国立公園内も然りだ。…生きるために狩りをし、自然の中で暮らすラッセルさんみたいな人には携帯電話は必要ないんだろうと思う。彼のスタンスを聞いて、すんなり同意できた。…『ハイテクなアメリカ』『弱肉強食の競争経済』というイメージとは真逆の、スローライフを地で行く生活をしている人も、広大なアメリカの中にはいるのだ。

私はまた尋ねた。「こんなにしてもらって、お返しをしたいのだけど、最初に会ったビアホールでビールを買ったら受け取ってくれる?」ラッセルさんは答えた。「次に日本に行った時、いっぱい世話してもらうからいいよ」と。私が連絡先を聞こうとしても、ろくに答えてくれず、逆に私たちの日本の連絡先を聞こうともしなかった。旅をしていても、地元の人とディープな交流ができることはそうそうない。キツネにつままれたような、あるいは夢のような時間だった。
感謝の気持ちを込めて、ここに記録する。


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