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ドコドコベリーズ

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「ベリーズってどこ?」から始まった26歳女子の挑戦
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#少年院

感情のログをつけるin少年院

青年海外協力隊として ベリーズに派遣されて11ヶ月。 私の担当するアートクラスでは 感情(エモーション)のログをつける 「Emo-Log(エモログ)」という活動に約半年取り組んできた。対象は12歳から17歳までの少年院に収容されている男子女子生徒だ。 今日はこの活動について, 振り返りも兼ねてじっくり書きたいと思う。————————————————————— エモログの始まりベリーズに限らずだが,少年院に送られる子どもの多くが「感情のコントロール」を課題とする場合が多い

「英語さえできれば、、」なんて嘘

青年海外協力隊として ベリーズの少年院に派遣されて10か月目。 課題は現場に山積みなのに 大した変化も起こせず 時間ばかりが過ぎ、焦り それでも, まあ出来ることを一つ一つ やってやろうじゃないか という覚悟を決めたころ。 ある改革者が配属先にやってきた。ザ キャリアウーマン!って感じの女性で 今まで会ったベリーズ人の中で一番 しっかりしている気がした。 彼女は配属された最初の1か月ほどで, 施設内の問題点を洗い出し, 次の一か月で手際よく改革案を作り上げた。 その

散々もめた上司との”最後の1週間”が終わった。

青年海外協力隊としてベリーズの少年院に派遣されて9か月が経った。この9か月,さんざん頭を悩まされたカウンターパートと呼ばれる上司が退職した。 カウンターパートという存在青年海外協力隊には「カウンターパート」と呼ばれる相方みたいな存在があてがわれることがある。(配属先によってさまざまだけれど)カウンターパートは,隊員が帰国したあとも,隊員の代わりに活動を継続していく存在である場合が多い。 協力隊ボランティアをずっと必要としている状態ではなく,最終的にはボランティアから技術を

日本に逃げ帰ろうと思った日

とにかく日本に帰りたい。 青年海外協力隊としてベリーズに派遣されて200日が経った頃,そんなことを思っていた。 あれから1か月経って,あの時の気持ちを振り返ってみたくなったので,この書きかけだった記事を書き上げてみる。 …………………………………………………… 社会人3年目に入った頃 日本での少年院の教官としてのキャリアをストップして(なんなら結婚やら出産諸々も...チャンスを見送り)27、28という人生の1番華やかな時間を青年海外協力隊として過ごすと決めた。 たい

“先生が生徒を選ぶ“ことへの違和感を失いかけていた。

ベリーズの少年院に派遣され3ヶ月 インストラクターの1人として 正式に授業を持ったのは今月が初めてだ。 今月はsummer campと呼ばれる プログラムが行われている月で 普段とは違う時間割で授業が行われている。 フラワーアレンジメント ドラミング ラップ 家具作り ネイル ペーパークラフト アクセサリー作り クッキングクラス いろんなコースから 子どもたちが興味のあるコースを選択する。 (ここまではなんだか素敵な感じ) 私が任されたのは ペーパークラフト クッキン