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ドコドコベリーズ

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「ベリーズってどこ?」から始まった26歳女子の挑戦
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#海外

「英語さえできれば、、」なんて嘘

青年海外協力隊として ベリーズの少年院に派遣されて10か月目。 課題は現場に山積みなのに 大した変化も起こせず 時間ばかりが過ぎ、焦り それでも, まあ出来ることを一つ一つ やってやろうじゃないか という覚悟を決めたころ。 ある改革者が配属先にやってきた。ザ キャリアウーマン!って感じの女性で 今まで会ったベリーズ人の中で一番 しっかりしている気がした。 彼女は配属された最初の1か月ほどで, 施設内の問題点を洗い出し, 次の一か月で手際よく改革案を作り上げた。 その

散々もめた上司との”最後の1週間”が終わった。

青年海外協力隊としてベリーズの少年院に派遣されて9か月が経った。この9か月,さんざん頭を悩まされたカウンターパートと呼ばれる上司が退職した。 カウンターパートという存在青年海外協力隊には「カウンターパート」と呼ばれる相方みたいな存在があてがわれることがある。(配属先によってさまざまだけれど)カウンターパートは,隊員が帰国したあとも,隊員の代わりに活動を継続していく存在である場合が多い。 協力隊ボランティアをずっと必要としている状態ではなく,最終的にはボランティアから技術を

“先生が生徒を選ぶ“ことへの違和感を失いかけていた。

ベリーズの少年院に派遣され3ヶ月 インストラクターの1人として 正式に授業を持ったのは今月が初めてだ。 今月はsummer campと呼ばれる プログラムが行われている月で 普段とは違う時間割で授業が行われている。 フラワーアレンジメント ドラミング ラップ 家具作り ネイル ペーパークラフト アクセサリー作り クッキングクラス いろんなコースから 子どもたちが興味のあるコースを選択する。 (ここまではなんだか素敵な感じ) 私が任されたのは ペーパークラフト クッキン

台本がないと授業ができない

授業をしている時が一番好きだった。 計画通りに行くことなどほぼないが それがいい。 同じ単元の授業をしていても、 前回とは違う授業が生まれる。 最後に伝えたいことは、 単元ごとにあるのだけれど そこに行き着くまでのプロセスが 生徒の反応によって毎回違う だから授業が好きだった。 「授業は生き物ですね」と前に私に言っていた人がいたけど 本当その通り。 台本をただ読み上げるような 「死んだ授業」はしたくない。 そう思っていた。 でも、訓練所で 英語を使った授業を