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きみどり色

彼は檸檬色の弓子先生とはまるで違う。彼はいつでも優しい声をしている。色でいうと、きいろ寄りのきみどり。わたしのなかできみどりは、「パワーの黄色」と「平和の緑」。

2019年11月6日の1限おわり、職員室に戻る途中、誰もいない通路で、涙が止まらなくなった。やっとの思いでたどり着いた職員室でも涙は止まらず、同期に諭されて移動した休憩室で2時間泣き続けた。なにも話せなかった。自分の気持ちがわからなくて、どこから話していいかわからなかった。お手上げの教頭先生に体を支えられてカウンセリングルームに通され、ぽつぽつと、点と点がつながらない話をした。その日の受診を勧められたが、その夜病院へは行けなかった。「ここで病院へ行ったら、本当に終わってしまう。受験生の指導は、1年生のしつけは、2年生のノートチェックは。」涙は止まらなかったのに、そんな思いはあった。次の日朝起きてから考えよう、そう思った。翌朝起きて、「行けない」と思った。母に「行きたくない。」とラインを打って、有給消化という名目で、2日休みをもらった。水だけを飲んで、あとは部屋から出ず、泣き続けた。でも、週末は祖父母と叔母、それに両親+妹で旅行だから、それを終えたらいつもみたいに行けるはず。

月曜日、いつも通り登校した。でも、職員室に入った瞬間、机に散らばったチェックしかけの生徒のノートと指導手帳を見た瞬間、また涙が溢れてきた。教頭先生に、「もう無理です。」と言った。副担任をしているクラスの少し年上の担任の先生にだけ、「ごめんなさい。またお話します。」と声をかけて学校を出た。その足で行った病院への道のり、自転車に乗っている間さえ、涙は止まらず、病院の待合室でもひとりで泣いて、小学校の時からわたしを知っている、かかりつけ医の田中先生だけが笑ってくれた。「パンクしたか。感情の海で溺れてるなぁ。可哀想に。」と。その場で心療内科に電話、予約、紹介状の手配をしてくれた。あれから、毎日通った学校へつながる大通りやその後に通る小道は普段より呼吸が浅く早くなるし、涙なしには通れない。未だにだ。

この話を病院の先生以外にしたのは、彼がはじめてだった。家族にもちゃんとはできていない。休職中といえど、外との接触はあるので、便宜上「休職中であること」は話すが、中身は相手も知りたがらないだろうし、話しても楽しくないので、話さなかった。人と会えるようになったのも最近だし、人と会った翌日に人には会わない。心のキャパがいっぱいいっぱいになって、翌日動けなくなるから。これが「マイルール」だった。

年末、友人を囲んで行った天橋立のユースホステルの一室。友人は運転と、前日までの仕事の疲れで、泥のように眠っていた。彼とわたしは、二段ベッドのひとつで、次の旅行の行き先を話していた。当時わたしは、彼に他の友人と同じように、「休職していること」だけを話し、マイルールを適応して距離をとっていた。でも、山ほど飲んだ日本酒のせいもあって、横になって、互いの身体に触れた。ここで、「初めて」泣いたのだ。悲しいからではなく、悔しいからでもなく、「安心して」涙を流した。それから、ひとには決してしなかった話を、ぽつぽつと、今度は少し点と点がつながった話を、とぎれとぎれにしたように思う。彼はずっとわたしを胸におさめて、時々背中をさすりながら、「うんうん。」と、ぷつぷつと切れ切れな話を丁寧に聴いてくれた。

年明けは長岡天満宮へ初詣に行った。「計画を立てないことをおぼえるトレーニングをしよう。」という提案で、彼がひとりでその日のプランを考えてくれたので、わたしはひたすら、長身で歩くのも早い彼のうしろを、短い足をばたつかせてついていった。ある阪急の駅まで歩いたのだが、それがあの大通り。学校への小道との交差点ではさすがに感情の波が来て、泣きそうになった。でも、もうひとりではなかった。4月1日も、うまくいかなくて泣いて帰った真夏の日も、11月6日も、あの月曜の朝も、休職願を出しに行った日も、ひとりだったのに。(その翌日には、なんとデスクの片付けで8時間も学校居る決断ができて、実際に居れたし、それも彼のおかげだ。)同期と食べて飲んだお店を笑顔で紹介した。わたし、ここで笑えるんだ。いちばんあの日々を思い出す、ここで。ちなみに、「うちの学校では日々を『にちにち』って読むんやで。」と話したのもこの日、駅前のドトールでだっけ。

最近は休職当初よりは泣かなくなった。でも、彼の大切にしてくれる気持ちに応えたくて、少し背伸びをするけど、余裕のない心から本音がぽろりする時がある。とっさに言う「ごめんね」とともに、実はほろりと涙も流している。彼が書いてくれた手紙を読んだら、自分はなんて書いたっけ、と確認したくなった。手紙の下書きを見てみたら「ごめんね」ばかりで、今もちょっと涙腺が緩い。確かに、「ごめんなさい」は言うのも言われるのも昔から弱いけれど、この気持ちはなんなのか、ぴったりな言葉が見つからないでいるから、だれかこの気持ちの正体を知っていたらぜひ教えてほしい。

ひとにはひとりひとり、長けたところがある。
あるひとには、ひとの思いを引くこと。またあるひとには、ひとを夢中にすること。わたしはそんなひとを好きになっていた。弓子先生曰く、わたしの長所は「ひとの気持ちがわかること」だから、その夢中にしたい思いが伝わるのだろうと思う。でも、夢中にされたあとは、いつも自分が傷ついていた。

彼が持っている長けたところ、それは「ひとを落ち着かせること」だとおもう。彼はひとを夢中にしようとはしない。その代わり、「いつでもあなたの味方だ」とたしかな声で伝えることができる強さが、そしてやさしさがある。(才能なのか、努力なのか、これは確認したい。)

2020年1月20日に書かれた便箋5枚にわたる彼の手紙には、たくさんの「ありがとう」と2つの「もしも」があった。読んでいて、彼の心にわたしがいることが、ちゃんと残っていることがわかる手紙。10分で便箋1枚を書ききったと言っていたのに、書きなぐったような強さはなくて、思慮深く、思いやりのある彼のあたたかい文章がそこにはあった。5枚のボリュームは一切感じられなくて、わたしの文章とはちがう、「あとを引く」趣すら感じられた。

郵便屋さんがみたら、「白い手紙」と映るだけの、なんの変哲もない青みがかったシンプルな封筒。便箋にほんのすこし黄みがかかっているだけで、ペンはいつも使っているSARASAの黒なのに、わたしの目にはきみどり色に映った手紙だった。


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