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第一次コロナ戦争

今宵は、生徒とわたし自身のために、書く。
書き残しておきたい、「みんながんばっているぞ」エピソードを。

コロナとの戦いがはじまって、もう3ヶ月が経とうとしている。
3月に新年度となり、中学に入学するより先に「中学生」になった12歳の彼ら。2月には体験入塾期間として、中学準備講座にも出席して、生き生きした顔を見せてくれた彼ら。新年度が始まって1ヶ月も経たないうちに、「雑談のない世界」、オンライン授業に突入した。

終わりの見えない戦いだった。「東京アラート」が発令され、北九州でクラスターが出た今、また戦いが始まってしまうのかもしれない。でも、でも、わたしたちは頑張った。

人間関係がまだまだ出来ていない中で、雑談もなく、それぞれの自宅から「オンライン会議室」に入り、休憩時間はカメラオフ・ミュート状態でブラック・アウトする。講師である、大人であるわたしでさえ、負けそうだった。実際、授業中に顔が出ていることがわかっていても、笑っていられなかった時は一度や二度ではなかったと思う。出勤予定だったはずが、メンタルブレイクして自宅配信に切り替えたことさえある。場を共有していない、いっしょの空気に居ないことが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。

その中で彼らはたくさんの課題をこなし、たくさんのオンライン授業に出席した。顔も覚えていない学校の先生から郵送されてくる、予習内容が含まれた課題と、ブラックアウトするクラスメイトたち、だんだん難しくなる問題と戦いつづけた。

今週から対面授業を再開したが、きょう「蕁麻疹」で欠席した生徒が居た。5月の後半から、「体調が悪く、特に胃腸が弱り、ふらふら」という生徒もいる。そして、わたしはうつの症状が少しずつだが出始めている。

みんなみんな、よく気が利く、笑顔がかわいい生徒たちだ。授業でもたくさん笑って、空気を明るくしてくれる子たち。

そういう子たちだから、この環境に心底疲れてしまったのかも知れない。ストレスと断定することもできないし、断定したところで、弱い人類に為せることは「自粛」ならぬ「軟禁」くらいだ。育ち盛り、動きた盛りの子どもたちにとって、この3ヶ月は大人による軟禁くらいたちが悪いものだったと思う。大人はなにかといろいろあって外に出られるけれど、子どもたちは「守られる存在」として家の中に匿われ、簡単に外に出ることを許されない。「自粛」しているのは大人だけで、子どもにとっては「軟禁」である。

気づいてあげられなくて、ごめん。といいたい。
次彼女が塾に来たら、たくさんたくさん話したいと思う。
焦ってたくさんの課題を、問題演習をすることで自分を安心させようとするけど、それではだめだ。問題を解くことよりも、オンライン授業の効果や理解度を確認することよりも、大切なことがある。

この期間たくさんは出来なかった、ゲーム(英語をつかったアクティビティー)をやろう。たくさんたくさん、一緒に笑いたい。

昨日は換気のためにと開け広げた大きな窓から大量のカメムシとガが入ってきた事件が起きた。それ自体は良いものではなかったけれど、生徒たちもわーきゃー言っていたくらい大変だったけれど、でも一緒に笑って楽しかった。偶然だけれど、こういう偶然のほうが楽しい。こんな偶然はミュートがデフォルトのオンラインでは起こりにくい。


大人が防げなかったコロナの拡大。これ以上子どもを巻き込むのは、やめにしたい。案外、「子ども」と括ってしまっている彼らのほうが、わたしたちよりも強い「大人」なのかもしれないけれど。


みんなみんな、肩の荷を下ろして、力を抜いて。




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