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英語講師のわたしが英語に惹かれ続ける理由

きょう、矯正歯科の帰り、本屋さんに寄ったらこんな本を見つけた。(本屋に寄った理由が英語の授業で使うアクティビティのネタ本探しという不思議。)

ぱらぱらとめくってみたけど、本当に様々な感情を形容する言葉が目白押し。日本語でも感情を伝える言葉はたくさんたくさんあって、わたしが知らないものも5万とあるのだろう。(「日本語が下手」と彼にも言われるわたしのことだから、本当に5万とありそう。)

HSPなわたしは、一日にそれはそれはものすごい感情の波を感じて生きている。あたたかい波のことも、つめたい波のことも、激しい波なときも、あったりする。この感情を感じなくなるのは、おそらくボケちゃったときか、星になるとき。それまでの数十年はずっと、この感情の波を感じ続けることになる。

感情というものはわたしにとっては色と同じのようなもので、彩度・明度・輝度みたいな構成要素があったりして、バリエーションは無限。ひとつひとつに名前をつけることはきっとできなくて、既成の言葉がそのうち足りなくなって追いつかないし、と思っていた。

特に感情の波が激しかった留学時代。多感な年頃、高校生だった。そこで出会ったのが、"upset"という言葉。辞書の意味よりもひろいひろい言葉を持っている単語で、涙が出る理由を説明するとき、負の感情の形容をすべて引き受けてくれるような単語だったように思う。ここではじめて、日本語以外に感情を形容できる術を手に入れたのだ。upsetで表す感情は、日本語で表しきれない。決して辞書的な、「取り乱して, うろたえて; あわてふためいて; 腹を立てて, 機嫌が悪い」という別々の概念ではない。この、赤や青、黄色や血色、紫(実際はこんな原色ではないのだけど)といった感情を毒りんごをつくるときに使う大鍋でぐつぐつと煮込んだ、煮物の色だ。それがupset。英語という言語に出会って初めて、日本語ではないこの微妙な色使いで自らの感情を描けた気がして嬉しかった。苦しかった留学生活。でも、新しい言葉にたくさん出会え、たくさんの考え方にも触れられた、わたしにとっては何にも代えがたい経験だ。

感情の類義語辞典に載っていたのは、ちゃんと色の名前がついた感情だった。「嫉妬」とか、「愛情」とか。そしてその感情があることで生じる行動が書かれていた。(たしかにたしかに…と読みふけりそうになったがダッシュしないと仕事に間にあわないくらいの時間感だったので急いで本を閉じた)

「言語は思考」とチョムスキーは言った。
英語には英語の考え方があり、日本語もしかり。
たくさんの言葉を知っていることで、考えの幅が広がり、ひいては感じ方も変わるのかも知れない。
感じやすい、深く考える、そんな特性を持っているからこそ、自分の感情を少しでも元の色と似た形で外に出す術を渇望していたのかも知れない。

わたしの感情の色に合うことばを、これからも探し続けていきたい。



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