令和2年2月2日
わたしは彼に愛を感じている。一緒に生きていきたいと思っている。
今まで、誰かに対してこんな気持ちを持ったことは、ない。以前結婚を考えたひともいたけれど、流れ的に同棲をしていただけで、「この人と結婚するのかなぁ。このひとのために家事するの、苦じゃないしなぁ。」くらいの気持ちだったし、あのとき大学院進学を押し進め、流れで結婚なんてしなくてよかった(実際は落ちたけど)と心から思う。確かにあの同棲解消とお別れは、つらかった。でも、今はこのひとと出逢うまでの道のりにあったちっさい石ころだったのだ、と思えてしまえるくらいに、彼と出逢って、暖色の気持ちを伝えられることはしあわせで溢れている。
話がそれてしまった。きょうは、この前また彼を好きになった話をしたい。
先日の東京滞在で、わたしたちは太巻き寿司をつくった。それも、こんなにたくさん。5000円弱もの材料費をかけて、サーモンやまぐろや、ぶりなどの海鮮、彼の大好きな玉子(今回は彼の要望でちょっとあまめにした)、かんぴょう、しいたけの甘辛煮、高野豆腐(うちの母からもらって、キャリーケースで500キロ旅行した苦労人)、桜でんぶ(これヒット作)をぐるんと巻いた。彼が用事で外出している間に、ある程度の下ごしらえをして待った。ひとり暮らし1年目の昨年、ひとりで節分を迎えたという彼は、ひとりででも太巻きを大量につくったツワモノで、買い物の手際も、下ごしらえの指示も、巻きすの使い方も、すし飯の塩梅も完璧だった。すべてが完璧であるということは、買い物の時点で薄々気づいていたのだけれど、わたしが尊敬したのは彼に"It's your turn!"と言われたときのこと。最近ECCのホームルームティーチャーの研修に言っているわたしはよく英語で話す。それがちょっとしたブームになっていたのだった。巻きすをテーブルに乗せ、海苔、すし酢、具をそのうえに乗っけていく。「イギリス留学のとき以来だから、7年ぶりかぁ。」なんて思いながら。イギリスではホームシック末期であったので、毎週水曜日、授業が早く終わったら速攻家に帰ってかっぱ巻を作って至福のひとときを過ごしていた。あのとき、わたしは言語ができても、美しい教会がどんなにたくさんあっても海外には住まない!と決めたのだった。
いざ、巻くぞ!…あれ?なんかうまく行かへんねんけど。
「押すんちゃうで、引くんやで。こ…うして!」こ…のところで、さりげなく手が重なった。天国に行きそうな気分だった。歩いているときに手をつなぐのが嫌いな彼と日常生活で手を重ねることはあまりないから、余計に感動した。ちなみに、彼の嫌なところは?と聞かれたとしたら、「手をつないで歩いてくれないところ。」と答えるだろう。手をつないで歩くのが好きなわたしは、「この人と結婚したら人と手をつないで歩くことがなくなるのかぁ。」と少し残念な気持ちになってしまう。でもまぁ、あとは皆無である、ふふふ。
2本くらい巻いたあと、やはりうまくできないので、替わって〜。とギブアップした。「そこは"It's your turn!"ちゃうんかい。」、とつっこみが入ってしまいそうだけど。
だって、彼はわたしよりも何倍も、何十倍も、器用なんだもん。彼はケーキの箱から貯金箱を作ってしまうくらい、器用で、その器用さにも惹かれている。
交代してもちゃんと仕事はある。端をきれいに揃えて、切りはなした端にちょっとお醤油をつけて彼の口に放り込むお仕事。わたしの実家から包丁研ぎ器をもっていくのをわすれて、包丁は切れ味が悪かったけれど、母にお寿司の切り方を教わっただけあって、ちゃんと切れた。
彩りは鮮やかだけれどお店で買ったものほど整ってはいない、わたしたちの太巻き。直後に送られてきた彼のお母さん作の太巻きの写真。太巻きを巻く彼の姿。いっしょにアイデアを出しながらひとつのものを作り出すときの気持ち。彼の、お母さんとのあったかいやりとり。これらすべてを、わたしはしあわせのかけらたちと呼びたい。
彼の苗字、降ってこないかな。いまはまだ早いのかもしれないけれど、いつか、正式に彼や彼のご家族と同じ名前になって、彼のご家族にいつか仲間入りをしたいな、と心の底から思っている。だって、彼のおうちは「しあわせは成果や完成品そのものではなくて、それをつくりあげた過程のこと」を体現しているように見えるから。いっしょに笑って、しあわせのかけらたちをたくさんたくさん一緒に作って、見つけていきたい。
P.S. でも、ゆっくり。ついつい急いでしまいそうになるけれど、別の苗字で、離れて暮らしている今だからこそみえるものがたくさんあるはずだから。