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教えることから離れる

この年度をもって「教えること」をやめる決心をした。

たのしくも、くるしい1年だった。
コロナのせいで台無しになった上半期、人員不足でばたばたした下半期、胃も腸も、そして心も、たくさん壊した。

講師という仕事はわたしに向いていないんだ、と思ったことも過去1番の頻度だった。初めて、「特進クラス」ではなく「標準クラス」を担当して、子どもたちの学力差を目にした。なぜ、同じ年で、同じクラスで同じ授業を受けているのに、こんなに差が生まれるのか、わからなかった。

10人に1人いると言われる、発達障害の子たち。ちゃんと10人に1人いるんだ。彼らはなにも悪くないのに、怒られる。

知的障害を持っている子も担当した。毎週責任感で半年続けた補習も、成果は出なかった。時間はみなに平等に与えられていて、彼も受験生になる。

もちろん、生徒たちの可能性や成長もたくさん見せてもらった。子どもは本当に素敵で、どの子も本当にその子なりの優しさや考え、能力を持っている。バスケが上手な子、アメフトで年上相手に攻めまくる子、水泳終わりの濡れた髪のまま登塾する子、聞き上手な子、社長になる夢を持った子。わたしの病気を打ち明けて話した子もいる。優しい言葉をかけてくれる子もたくさんたくさんいる。その子達と話すたび、優しさに触れるたび、わたしは彼らと出会えて本当によかったと思った。

でも、わたしは指導の中で、なぜここで出会ってしまったの。と思うようになってしまった。わたしは勉強が嫌いではない子だったけれど、彼らにとっては苦痛以外の何物でもないものなんだ。どれだけ価値を説いても、効率的な方法を教えても、勉強は勉強だ。苦痛なことをやらせているのだ。それがわたしの仕事だ。仕事だから、何度同じ説明をすることになっても、教えることからは逃げなかった。でも、勉強と向き合った彼らからは痛みを感じた。その痛みはわたしのなかに蓄積して、週末の2日の休みでは癒やしきれない、取りきれないくらい大きくなった。

痛みには敏感になったこの心は、ちょっとした事故の知らせや鳥インフルエンザで殺された鳥たちのニュースで苦しくなってしまうくらいにもろくなってしまった。人と話したくない、と上司を遠ざけ、彼とも話さなかった週もあった。

教えること、人と話すこと、考えること、大好きだ。でも、来年度新しく教科書、進む英語教育改革、高まるニーズ、こんなものに応える自信は燃え尽きてしまった。今は薬で心がぼうっとしている間に仕事をしている。といっても、指導や授業は普通にできるし、入ってしまえばあっという間に終わる。ただ、不安でたまらない。こんなわたしの授業でいいのだろうか、と。

先日、受験生の受験前日、応援メッセージカードを渡した。わたしの拙い(そしてオンライン授業でさらに質が下がった)授業を熱心に聞いて、メモを取り、教えたこと以上に学んで成長してくれた優秀な受験生たち。明日出勤したら、結果が入ってくるはずだ。

あとは今月末に控えた学年末テストですんばらしい結果を残せるよう中1・2年生のサポートをすること、来月頭に控えた新年度開講までの間にたっぷりと引き継ぎをすること、そして短くてもいいから、50名分メッセージカードを書ききること。

生涯で最後になるかもしれない、「生徒」への手紙。ぜったいにやりとげる。これがわたしの2月の最大のToDo。

まだ先は見えないけれど、「教えること」に関わった7年間を納得する形で締めくくりたい。


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