キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事講座(52)経営者に求められる資質

★ 経営者とは何者か?

 「経営者」という言葉はまことに不思議なもので、ある時には労働者の対立軸に置かれることもありますし、「会社員の最終目標」であるかのようにいわれることもありますし、あるいは「サラリーマン経営者」などと半ば揶揄気味に使われることもあります。
 またこのところは「株主中心経営」とかで、公開企業だといつ株主に首をすげ替えられるか分からない存在になってみたり、なんらかの事件・事故が発生して頭をたれている場面も多くなってみたり・・・、それだからかは分かりませんが、新入社員の中で「僕は社長になろうと思っているんだー」という人の割合も減ってきているそうですね。
 その社長になるんだったら、むしろ自分で会社を興すんだとか。
 日本の経営者の報酬水準は米国に比べると格段に低い−ということもそれに拍車を掛けているのでしょうか?
 働く人にとっても投資家にとっても会社の経営の舵取りをする経営者には優秀であって欲しいものです。
 「種の保存」的な発想からすれば、できるだけ多くの人が切磋琢磨した方がよい経営者が生まれることになります。
 「ホワイトカラーの昇進構造」(日本労働研究機構、1995。これもいい本ですよ。お勧めです。日本の人事制度は「年功序列」と「終身雇用」と言われますが、単純にそれが実現されているわけではないということが分かります)、によれば日本の年功的な人事制度は、一定の職制につくまでは「徐々に同期の間に格差を付ける」ことを主眼にしていた(それが年功のようにも見える)ため、この切磋琢磨をする期間が非常に長くなるという特長を持っていたとか。
 なかなか差がつかないので、「まだ自分は先頭集団にいる」と思って頑張れる割合が多くなり、また多少の差がついても「頑張ればまだキャッチアップできるかもしれない」と思えるので頑張りを維持できるというのだそうです。
 ちょっと脇道に入りますが、その意味では成果に応じて処遇にメリハリを“だけ”しかいわない成果主義というのは早くに諦めてしまう人を作るという意味であまりよくないシステムだということが分かりますね。
 成果のちょっとした違いなんていつでも起こりうるものですからこれだけで修復不能なまでの差がつくのはあまりよい仕組みとは言えません。
 人間やる気になれば、多くの場合はいつでも追いつけるものですし、そうした敗者復活、何度でもチャレンジできるということ自体は成果主義と矛盾するわけではありません。
 制度構築の際はそうした配慮があってほしいものだと思います。
 複雑なものは困りますけれど、シンプル・イズ・ベスト、分かりやすければそれでいいというものでもありません。
 話を戻しましょう。
 経営者を目指そう、あるいは目指させようとする場合、それではどんな人が経営者に向くのか? あるいは経営者を育て上げることができるのか? ということが問題になります。
 この問題については、実はなかなか答えがでていません。
 答えがあるならどの会社もそうやって経営者を育て、輩出しているでしょうし、教育機関もそのようなカリキュラムを構築するでしょう。
 そもそも人材育成に力を入れている米国のあるコンピューター・メーカーでさえ、鳴り物入りで任命したCEOを更迭したくらいですから。

★ 3つの研究方法

 どんな人がよい経営者なのか−いくつかの研究方法が模索されてきました。
 まず検討されたのが、優れた経営者と言われる人たちはどんな人たちであったか、その心構えや性格、人生哲学を研究するものです。立派な人物であれば立派な経営をするであろうと言うことですね。よく引き合いに出されるのが徳川家康型だとか豊臣秀吉型、織田信長型といったもの。
 「態度モデル」と呼ばれるこの方法、いくら研究してもどうもうまくいかないのです。同じ人物でも場面によって判断や行動が異なるからですし、また心構えということになるとなかなか習得することが難しいと言わざるを得ません。
 次に検討されたのが、共通する特性を探そうというもの。
 マネジリアルグリッドなどがこれに相当しますが、これもなかなかうまくいきません。うまく共通項としてくくれるような、またそれさえあればいつでもうまく行くような特性が見つからないのです。
 では最近はどんなことがいわれているかというと、「状況によってかわるものだ」という考え方です。
 こんな人だったら大丈夫、あるいはこういう特性を持つ人であれば大丈夫という固定的なものではなくて、環境に応じて変化するものであろうというものです。ただ、これは答えのようであって答えになっていないともいわれています。なぜなら変化するといっても、どんな場合にどのように変化すればよいのだろうか−ということに答えていないからです(対人関係やリーダーシップということであれば、状況対応リーダーシップというスキルがありますが)。

★ 経営者をみる2つの視点

 そうした中で、経営者の持つべき特性として神戸大学大学院経営学研究科教授の三品和広さんは経営者としてみるべき二つの側面を取り上げています(労政時報3587号~3592号)。
 それはモティベーターという側面とアーキテクトを描く人という側面です。
 モティベーターとはリーダーシップに長けた人であり、集団や個人に働きかけて困難に立ち向かわせたり、多くの人の心を一つにしたりすることを指します。確かにこうした側面がないと、組織が一丸となって取り組むということができません。
 アーキテクトとはそうして進むべき方向をうまく設定する、方向感覚を指しています。いくら組織が動こうとも、その方向が誤っていては労多くして得るものは少なくなってしまいます。このアーキテクトの中身は「センス・メイキング」と「メンタルシミュレーション」です。
 簡単にいうとセンス・メイキングとはいろいろな事象の中から意味(センス)を創り出す(メイキング)行為といえます。環境の中に散らばっているいろんな形いろんな色のタイルを組み合わせて意味のある像を紡ぎ出す力といっても良いかもしれません。一方のメンタルシミュレーションとはそうして描き出した一つの絵をみて、それがどのように進んでいくかを心の中で想像する能力です。三品教授は、モティベートとアーキテクトのうちどちらも経営者に求められるものであるが、なかでもアーキテクトの出来栄えが業績を左右することにもなることを指摘しています。

★ 福助再生にみる二種類の経営者

 さらに先頃出版された「福助再生」(ダイヤモンド社、2005年。これもお勧め)を読んでいると、経営者にも二通りあると考えた方がよいと思えてきました。「福助再生」は、民事再生法の適用を申請した老舗の「福助」がその後の1年半の間にいかにして生まれ変わり、復活を果たしたかを、カリスマバイヤーという呼び名をほしいままにしていた社長の藤巻幸夫氏と再生ファンドの代表者であり、新生福助の会長でもある川島隆明氏の取材コメントを元に解き明かしたものです。
 藤巻氏も川島氏も一般にいうところの経営者です。
 しかし川島氏は再生ファンドの人であり、ある意味で「福助」そのものを金融上の商品、投資対象として価値があるものなのかどうか、つまり投資は回収され、さらに一定以上の利益を投資家にもたらすかどうかという視点でみています(このように書くととても冷徹に見えるかもしれませんが、投資するかどうかの判断の中には「この会社は日本に残すべきかどうか」といった、信念のようなアナログ的な価値判断が働いており、とても人間的です。信と義の人といった印象です)。
 一方の藤巻氏は、福助というブランドをどのように生かすか、日本から世界に向けて発信できるブランドとしてどのように育成していくかという点に熱意をおいているように感じます。
 川島氏が投資に対するリターンという視点から、つまり前回紹介した岩井克人さんの書籍「会社はこれからどうなるのか」の言葉を引いていうなら「会社」を法人名目説的にみているのに対して、藤巻氏はどのように事業を進めていくかという視点から「会社」を法人会社実在説的にみているという違いがあるように見えます。
 福助の再生を目指し、その具体的な方法として「日本発世界」のブランドづくりを目指している点、そこに意味や意義を見出している点は同じです。しかしその役回りが、藤巻氏が「モティベーター」と「アーキテクト」のうちどちらかというと「モティベーター」の方を、川島氏のほうが「アーキテクト」の方をより強く発揮しているように見えます。敢えていうなら川島氏が「CEO」的に(というよりは取締役会の文字通りの会長として)判断しているのに対して、藤巻氏は「COO」的に判断しているといってよいのではないかと思います。

★ 経営者にも必要なヒューマン・スキル

 福助再生を「読む」とこの両者の持ち味がフルに生かされていたことを感じます。
 これまでさまざまな企業におじゃましてきましたが、たった一人の経営者がすべてを巧く仕切っていたという例にはあまりお目にかかったことがありません。かならず副社長や専務という、同じ経営者としての視点で意見具申ができる人がいたり、あるいは経営者自身が役員層や上級管理職層の話を聞く耳を持っていたりしているケースがほとんどです。つまり当人の資質も大切だけれど、いうべきポイントでは相互に聞く耳を持つ、いう勇気を持つことも必要であることが言えます。経営者にもヒューマン・スキルが求められているという言い方もできるでしょう。

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