キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事講座(53)キャリア・カウンセリングはベンチ理論

 私事で恐縮ですが、ゴールデンウイークもほぼ最終というころになって、うちの娘が小学校の校庭に遊びに行っていて、登り棒から落ちて右足首を骨折するという事件がありました。本人が言うには「早く滑り降りすぎた」そうですが。その日、私は仕事にでていたのですが、玄関を入って、松葉杖をみて包帯でぐるぐる巻きの足を見て、
「!!」。
 一体何が起きたのか分かりませんでした。もともと牛乳の好きな子なので、骨折なんて考えたこともありませんでしたし、家の中では一番生きのいい奴だったのが、いまやお風呂には入れないわ、トイレに行くのも大変という状況になり、家の中の様子は一変してしまいました。考えてもいなかった事件が起こり、たった今からこれまでの延長線上に生活が成り立たなくなった・・・。大げさすぎるかもしれませんが、いつものことがいつまでも続くわけではないのだということを実感しました。

★ 多忙は怠惰の隠れ蓑

 多忙は怠惰の隠れ蓑
 糸井重里さんが高校時代に現代国語の先生に教わった言葉だそうな。忙しい、忙しいといっているうちに、本当に考えておかなければならないこと、知っておかなければならないこと、感じておかなければならないことをやり過ごしているかもしれません。
 忙しいというのは、立心偏に亡くなる、つまり心を亡くすと書くんだからね、とはよく言われることですが、その通りで、明日もあさっても、しあさっても、さのあさっても(4日後のことをこのようにいうんですけどうちの田舎では・・)、ずっとず~っと、同じような日々が‥‥というわけではないのです。家に帰ると
「お父さんお帰り~、な~んだおみやげないじゃん」
「普通に仕事行っているだけなのに毎日おみやげあるわけないだろ~」
「買ってきてくれてもいいじゃん」
「じゃぁ、買わなくったっていいじゃん」・・・
というあほみたいな会話が続くと思ったら、決してそんなわけはないんですよね。
「あ~面倒くさ~い、あしたでいいか、いやもういっそのこと日曜日にやろう、日曜日」
と思ってついつい先に延ばすのも、日曜日になってもこれまでと変わらず朝が来て日が昇ると思いこんでいるからなんですよね。
 だから毎日を一生懸命生きましょう−と言いたいわけではないんです。忙しい中で、それこそ忙殺される中で、何が大切で、何が大切でないのかということを考えるということ自体を忘れてしまっているということはありませんか?
ということを考えてみたいのです。

★キャリア・カウンセリングは公園のベンチかも

 キャリア・カウンセリングの意味の一つに、多忙から一歩自分をおいてみるというのがあるのではないかと思います。あたかも出かける途中の公園でベンチに座って、ちょっとくつろいでみるといったような、あるいはデスクワークしている最中に、ちょっと外に目をやって若葉の蒼さをめでてみるとといったような・・・。毎日毎日、忙しい。忙しくっていやんなっちゃう。このままいつまで忙しいのかと思うと不安・・・。そんな方に、カウンセリングは効果的でしょう。
 でも、別に不満はない。いやむしろ毎日楽しい、楽しくって楽しくって、もう一日があっという間なんです。そんな人にも、その忙しい自分から一歩離れてみて、今の自分を振り返ってみたり、これからのことを考えてみたりする時間というのがとても大切なのではないでしょうか? 本人は意識していなくても、多忙であるということにかまけて、考えなければならないこと、見ていなければならないことをそのままにしておいていないでしょうか?
 キャリア・カウンセリングは、いわゆる治療的なカウンセリングとは異なっていて、普通に生活して普通に仕事をしている、いわゆる健常な人もその対象になります。充実して仕事をしている人は「カウンセリングなんて」と思うかもしれませんが、自分のことを確認するという意味で「カウンセリングしてみる」こともありかもしれません。


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