現代日本に絶望シリーズ1

結論だけ言うと、現代の日本という国に住んでいて、本格的に絶望しているわけですが、このシリーズではその原因について書いていこうと思います。
注意点として、「システムとしての日本国及びその結果としての現代日本の文化」を対象としているので、特定の個人の話は出てきません。この話もまた別の記事で書ければ良いですね。

記事の目的としては、反面教師として利用して貰えればと思っています。為になった感はいつもより少ないと思いますが、私が考えることを糧にしてもらえればと思います。


本質を軽視した文化

今回お話したいのは、物事の本質を軽視しがちな文化についてです。といっても抽象的なので、最近の以下の2つを例に挙げたいと思います。

・東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言問題

https://www.jiji.com/sp/article?k=2021021100654&g=spo

・ナイナイ岡村「風俗発言」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/16870

共に女性別視に関して直近で問題となった話題ですが、わかりやすい例として取り上げました。
詳細についてはどちらもお調べ頂くとして、簡単に問題となった発言についてまとめておくと、
森さんは「女性が会議に入ると議論が長引く」、岡村さんは「コロナ下による貧困とセックスワーカーの関係」に関する発言が、それぞれ問題になりました。

確かにこれらは公の場での発言として問題であり、それぞれ謝罪しています。謝罪や辞任によって、問題は鎮火したわけですが、今回私が問題だと思っているのは、これで鎮火してしまった日本の文化です。彼らは発言したことについて謝罪したのであり、発言の内容が間違っていたから謝罪した訳ではありません。内容に関しては一切言及していないわけです。内容に関して十分議論されないまま鎮火してしまい、結局失言があってそれを謝罪しただけで終わってしまっています。これは社会としてマイナスしか産まない結果です。

これらの発言の内容についても議論すべきであり、これをやらないと第二の彼らが産まれてしまいます。根本的にこれらの見解について議論の価値があるわけです。

「女性が会議に入ると議論が長引く」
これは正しいのか正しくないのか。これは興味があります。正しいのであれば女性の社会進出を妨げている原因のひとつが明確になるわけで、みんなでこれを解決しようという方向に持って行けるわけです。
正しくないのであれば、それを共通認識にする事が出来ます。今のままでは本当は女性が会議に入ると議論が長引くと思っている層が少なくないでしょうし、これらの認識を改めることは未来のためになります。

正しい正しくない、もしくは結論を出せない。いずれにしても、議論をすることにより得られるものか多いはずなのに、誰もやらないわけです。

「コロナ下による貧困とセックスワーカーの関係」
個人的にはこっちの方が問題だと思っていて、これらは正しい正しくない以前に、全世界的に今起こっていることなんですよね。去年の4月の時点で発言されているのに、事実に目を瞑り発言だけを追うあまり、現実のものになっているわけです。まさか発言はダメだけど事実になることは問題無い、わけないでしょうし。事実容認ならば岡村さんは本当の事を言ったから謝罪したんですかっていう。

森さんは他に変え難い人材で、降ろしたら誰が代役出来よう?という関係者の声を聞きました。無理やり下ろして何か良いことありました?

岡村さんの発言だって、これを機に去年の時点で十分議論しておけば、対応策について議論出来たんじゃないですかね。


今回は女性別視を例に書きましたが、本質を軽視しているという点に関しては、他の色々な話題についても言えることが多いです。緊急事態宣言とは一体何なのか。オリンピックとはもはや負債でしかないのか。


とはいえ一般人が嘆いても何も変わらないので、この話に救いは無いんですけどね。ちゃんと本質と向き合っている一般人も少なくないので、そういった話が出来る人と付き合いたいですね。


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