好き嫌いせず食べなさい
という、一般的に親が子供にしつけるセリフについて考えてみる。言葉の意味はその通りなのだが、何を根拠に何を主張しているのであろう?
単純に、子供が嫌がっているのに食べるのを強制させるのは如何なものかって思う。パワハラじゃないのこれ?
もちろんこれは教育的配慮でやってる事も、その先に素敵な未来が待っている可能性が高いことも分かっている。未熟な子供が嫌いを克服するケースはよくある話で、良い方向に導く親の教育である。
しかしながら、100%教育のためになっているとは思えない。中には本当に嫌で嫌でただただ最悪な思い出になることもあるだろう。そもそも食べず嫌いはともかく、ちゃんとチャレンジした末に出した結論が嫌いならば、味覚が変わらない限り克服不可能である。不味いものは不味い。
そもそもこれなんで子供限定なの?って話である。大人は好き嫌いしないのか。答えはNOである。しかし食べ物を嫌いと言う大人は少ない。
大人は「○○は苦手」「私、○○はダメ」という表現を使う。これに対して好き嫌いするなとつっこまれることは少ない。こういう表現を覚えると大人になったと言えるってことなのだろうか。少し話が脱線した。
つまり大人は好き嫌いしているのである。子供だけなぜダメなのか。
ここにはもはや教育的指導の要素しか存在しない。子供は、親に思いやられているからこそ、好き嫌いするなと言って貰えるのである。ある程度成熟して大人になると、もう誰も思いやってくれないから好き嫌いし放題になる訳である。
だから好き嫌いしてはいけない訳では無い。大人は沢山やっている。
ただ、比較的経験の浅い君の人生において食べたことの無いものを嫌いと言って食べないのは、この先の長い人生を考えると損だよって話である。食わず嫌いが良くないのは大人も子供も関係ないし、不味いと感じるならば嫌いと言って良いのである。
前の気持ち悪さの正体にも通じる話だが、不味いと感じる物は、身体が摂取したくないと言っているのだ。無理に摂取する必要があるのだろうか。むしろ不健康である。
ということを子供の頃に聞いていれば、もう少し納得感があったのかと思う。もっとも、幸い私にはこれと言って嫌いなものがないのだが。
いずれにせよ、ずっと子供が嫌いだと言っているものを、継続して食べることを強制する事は、力関係を利用したパワハラと大差ない事を是非認識していて欲しい。
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