リズムを感じろ!一発ぶちかませ!

 俺は最近、確実にヘラってる。ヘラってるんだぞ。男性読者のみんな、チャンスだぞ。俺がヘラってるぞーー!! がらんがらんがらん!(村の中心の半鐘を鳴らす音)

 「どしたん?」はないの? 俺の話も聞いてくださいよ〜。分け隔てしないでよ〜。
 「なんでもない……🐱」って俺が言うから、「なんでもねえならわけのわかんねえツイートすんなよ」って思ってもそこは飲み込んでいただきまして、飲み込んでいただきまして。そこですかさず「力になりたいんやけど」だ!

 今がチャンスだ男性読者の皆さん。優しくしちゃってくれ。頼むよ。もしさ、もしさ! 付き合うことになったらぁ、記念日とか大切にしてくれる? 記念日とか大切にしようね。あとたまに不機嫌になるけど、そっとしておいてね。でもほっとかれると怒る。

 原因はわかりきっている。休日に予定が入りまくったからだ。俺は友人と遊ぶときには全力を出すから仕事より疲れる。したがって普通に「仕事」と考えている。その計算でいくともう20連勤ぐらいしてる。ゼネコンの施工管理じゃねえか。そうだそうだ、ゼネコンは社員を働かせすぎだ。ちゃんとしろ。

 2022年の年末から23年の年始にかけて、それで90連勤ぐらい行ったことがあった。普通に周りの人から心配されるぐらいゲッソリしていたので、中学からの親友の結婚式を欠席しようとしたら親友の新婦にドン引きされた。初対面なのに「一言も喋らなくていいから出席しろ」とまで言ってきた。ゼネコンじゃねえか。そうだそうだ、ゼネコンはちゃんと働く人のことを考えろ。

 平安時代のみんなのアイドルといえば「和泉式部」なんだけど、彼女はめちゃくちゃモテたらしい。とんだプレイガールで、同時代の紫式部には「浮かれ女(め)」という、今でいう「ビ」で始まる悪口を言われたり、藤原道長にも日記で「遊びすぎ」と苦言を呈されたりしてたみたいだ。当時の貴族の日記は公文書みたいなものなので、そこで名指しで批判されるのはなかなかのことだった。

 「和泉式部日記」という和泉式部本人が書いたとされる日記があって、俺は内容的に和泉式部のファンが書いたんじゃないかと思ってるんだけど、冒頭の話は、まさに和泉式部が色々あってヘラってるところから始まる。

 「和泉式部がヘラってる」という噂は当然みんな気になるので、さっそく皇子から手紙が届く。

 「語らはば なぐさむことも ありやせむ 言ふかひなくは 思はざらなむ」
 (現代語訳:話したら楽になるんじゃない? 俺じゃ力になれない?)

どしたん?

 これを受けて和泉式部も返歌を詠む。

 「なぐさむと 聞けば語らま ほしけれど 身の憂きことぞ 言ふかひもなき 生たる蘆にて かひなくや」
 (現代語訳:楽になるなら話したいけど……、話しても仕方ないし……。泣いちゃうだけだし……)

🐱

 この返歌を受けて皇子は一目散に準備して和泉式部の家に行った。良いよねなんか。昔から人間は変わんねえなあと思うやりとりだ。

 和泉式部は色んなところに登場する。俺の一番好きな物語集『宇治拾遺物語』にもカメオ出演を果たしている。たぶん「美女」のアイコン的な存在だったんだろう。

 『宇治拾遺物語』はどんな本かというと、「宇治大納言」と呼ばれた藤原氏の偉い奴が、夏の間よく宇治の別荘に涼みに来ていて、暇だから通りがかる人を捕まえて「おもしろい話しろ」と地獄のフリをし続けたらしい。それで集まった話のベスト盤が『宇治大納言物語』で、その外伝もしくは別名が『宇治拾遺物語』だ。
 そして『宇治大納言物語』は早々にどこかに無くなってしまったので、現在読めるのは『宇治拾遺』だけである。

 これがめちゃくちゃ面白くて、要するに大昔の人の「エピソードトーク」や「聞いた話」の大集合なのだ。お坊さんは奇妙な術を使うし、神様や幽霊は平気で出てくるし、下ネタもたくさんある。800年前の人間が思う「おもしろい話」や「リアリティ」のラインがわかる最高の書物である。「こぶとり爺さん」も初出はこれなんじゃないかと思う。

 俺が一番好きな話は、エロ坊主が出てくる話で、この坊さんは声が良くてめちゃくちゃモテたらしい。それで例の和泉式部と良い仲になって、家に行ってさんざんエロいことをする。

 真夜中、和泉式部はすやすや寝ていて、そこへ坊さんがふと目を覚ます。そして縁側に突然出ていって、急にお経を読み始める。

 このお経があまりに良い声なので、神様がやってきて「お前いいな」と褒めた。
 という話だ。

 「全体的になんだその話は」と思う話だが、俺が好きなのは全く何の説明もなく急にお経を読み始めるシーンだ。ここは本当に全くなんの説明もない。なんでこの坊さんがお経を読み出したのか誰もわからないのだ。

 小説家の町田康が『宇治拾遺物語』の一部エピソードを町田康風に訳した企画があって、そこではこの部分を「なにかバランス感覚のようなものが働き」と説明してある。これはまさに名訳というべきで、本当にそうとしか思えない。仏教的に禁じられてるはずのエロいことをしちゃったから、お経を読むという尊い行為によってプラマイゼロに持ってこうとしたということだ。

 部外者からすると大昔のお坊さんが仏教的な戒律を守ってたかどうかなんてどうでもいいわけで、それよりこの「バランス感覚」的なものによってなんとなくお経を読んでおこうという気持ちがあったならそれが嬉しい。大昔の人間も今の人間も、そう大差ない感覚で生きてたんだろうかと思うと、なんとなく孤独感が和らぐような気がする。

 数日前キャンプ行ったんだけど、朝から暇だったから「イントロクイズ」をやった。曲のイントロを流して、早押しで何の曲か当てるゲームだ。初めてやったんだけどこれが超面白くて、チェックアウトの時間を過ぎたから別のバーベキュー区画を予約し直してひたすらイントロクイズを続けた。結局夕方前までやって、帰りの車の中でも続けてた。

 みんな同世代だからJUDY AND MARYとかが流れると大喜びだ。ひたすら懐メロと往年の名曲の数々が出題され続けた。

 往年の名曲「あずさ2号」が正解のイントロが流れたんだけど、素早い奴が「あずさ12号」と答えてた。JUDY AND MARYの「くじら12号」とごっちゃになったんだろうか。

 「あずさ2号」は「同じ東京に元恋人が住んでいて、このまま東京にいたら忘れられないから、『始発』の特急あずさで遠くに旅立つんです」という曲だ。だから「2号」なのだ。これが「12号」だと急激にやる気が感じられなくなる。午前中ゆっくりして11時ぐらいのに乗るつもりだろ。始発で行けよ。

 2020年代の曲限定でイントロクイズやったら、「怪獣の花嫁」とかもちろん良い曲なんだけど、なんとなく身が入らなかった。「シャルル」の「バルーン」なる曲に関しては誰もなんの情報も持ってなくて、「藤原」の「道長」? とか言ってごまかしていた。もう最近の曲もよくわからなくなったんだなあと思った。

 俺たちも20代の頃は尖りに尖ってたんだぜ。10年ちょっと前はみんな、京都の学生劇団でエッジの効いたコントとかやってたような人達だ。そして俺はそれをさらに斜に構えて見ていた。マジでみんな「京都で一番面白いのは俺じゃ」というツラで鴨川沿いを闊歩してた。ほんとにほんとに。ちょっとやそっとじゃ笑わないんだから。ややピリピリしたムードの中でボケて、「ふーん」って顔をされるのが日常だった。

 それが今じゃ七福神みたいな笑顔で懐メロ聴いてイントロクイズさ。「シャルル」の「バルーン」と聞いて思わず「どっちがバンド名だかわからん」と言った。昔そっくりそのまま同じことを、歌番組を観ながら親が言っていたセリフだった。

 気づいてはっとした。だめだだめだ。あやうくこのまま丸くなるところだったぜ。まだまだ尖ってないといかん。「東京で一番面白いのは俺じゃ」と思ってないと、いや芸人がしこたまいる街だから無理かさすがに。「板橋区の上板橋よりこっちで一番面白いのは俺じゃ」というツラぐらいして荒川沿いを闊歩してないといかん。かかってこいよ上板橋より西側の板橋区民。やるか? 大喜利か? モノボケか? え、プロもいるの? 杉並に住め!

 JUDY AND MARYの「風に吹かれて」を最後に貼って締めくくるのに向けて書いてたが、いやいかんいかん。めっちゃくちゃ良い曲だけど、まだ俺は永遠に銀河の風に吹かれてる場合じゃない。俺はYUKIさんと違ってまだなんもしてないじゃないか。俺は、俺が生まれた瞬間よりほんのちょっとだけ世界をマシにするために生まれてきた。イントロなんかねえ、どでかい産声を上げて!!

 ヘラってる場合じゃねえ! リズムを感じろ! 一発ぶちかませ! クール・ランニング!! なんだぜ! うおおおおおおお!!!!!

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