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酒と鯖の日々 三、

   三、


 次の朝、鮭でも焼いて食べようかと思ったが止めにして、いつもより早いめに家を出た私は、オフィスとは別のフロアにあるカフェで、最近ちょっと話題になっているらしいオリジナル手作りサンドイッチとコーヒーを注文し、ゆるゆる考えを巡らせていた。どんな質問を投げようか……。高層階から見下ろす地上では、水の中を進むミニチュアのように滑らかに、ゆっくりとクルマの列が動いている。
 今日は朝から、中途採用の面接が入っており、現場の管理職のほかに、私も立ち会うことになっていた。

 人事部に配置替えになったときは、本当に辞めてやろうかと思った。
「特技を活かせるチャンスが巡ってきたじゃん」
 私の妙な《趣味》や、学生時代古着屋でバイトしていたことなどを中途半端に知る同期の一人が、そう言いながら肩を叩いてきた。鈍感過ぎて私の気持など察しもつかなかったのか、それとも、わかった上で肩を落としている同期を元気づけてくれたのか。
 服装や持ちものから、その人物の人となりを読む。それは古着限定……とまでは言わずともカジュアルなものに限られたので、ビジネススーツで来られるとさっぱり歯が立たなかった。いや、歯が立つとか立たないとかの問題ではなく。人の内面を読むことは少なからず面白かったが、それを数値化して評価を下すことには抵抗があった。もちろん、面接は人事の仕事のほんの一部に過ぎない。畑違いとは言え、それぐらいは承知していた。承知はしていても、同時に動転していた私には、もう何を考えても会社を辞めるための口実探しでしかないように思えた。でも結局、天邪鬼な私は、そんな自分が嫌で、よし続けてやろう、と。乱暴過ぎるまとめ方だが、大筋はその程度の話だ。
 多少大袈裟な言い方をお許し願いたいのだが、私はいつも、二つに引き裂かれたような居心地悪さを抱えながら生きてきた。多かれ少なかれ、誰だってそうだろう? あるいは、そうかも知れない。《痩せたい/食べたい》など、ベタな例ならすぐに幾つか思い浮かべることができる。だが、私の場合そこで必要な選択ができず、引き裂かれたままの状態が続いてしまうのだった。
 大学時代を振り返ってみる。四年の間に、私が《二つに引き裂かれたような居心地悪さ》を感じることなくすんなり《選択》できたのは、古着屋のアルバイトぐらいのものだ。
 私は、古着が好きだった。正確に言うと、古着を採り入れたコーディネートが好きだった。古着を着るということは、自分の中に複数の時間軸を持つということだ。それは、私がどこまで感じることができているのか今一つ自信のないポリリズムのごときもので。ズレながらソロっている、あるいは、各自が勝手気ままに演奏しているようでいて全体として見事に調和している、あの感じに似ていた。ただし、《それ》を感じ取るには、軽やかに、思いっ切って跳躍し一段高いところから全体を俯瞰する必要があった。これができないことには《全体》がわからないから、《全体としての調和》など享受しようもなく。せせこましく、世知辛く淀んだこの世界に縛り付けられ、強制労働を課されている私などには、いたるところで自由に《それ》を見ることなど、所詮は叶わないのだろうか。
ありふれた新品の服と、何点かの異なる時代に生産された古着を合わせること。それは、無理にAかBかのどちらかに決めなくても、決して引き裂かれることのない魔法だった。

「ボロ屋とかサルベ、サルベーション・アーミーね、そんなとこを片っ端から回って集める訳よ」
と、一九七〇年代に古着屋をはじめたという社長が、教えてくれたことがある。ボロを、ですか。
「ボロというか、ヒッピーベールね。服から毛布から何でもかんでも布もん丸めて固めて圧縮して、ワイヤーで縛ったやつが倉庫に山積みになってて、それをヒッピーベール言うんです。古着やから当然タイムラグがあってね、七〇年代になってから六〇年代、更には五〇年代の服がざくざく出てくるという流れ」

 ゲームも好きだった。だからゲームクリエイターに……は冗談だが、多少できたプログラミングを生業にと考えていた時期はあった。最初はどこかのメーカーやソフトハウスなどに勤めるとしても、いずれは自分で起業したいとも。学生らしい夢? らしいと言えばらしいのかも知れない。だが、結局私は銀行を選んだ。金融とITは親和性が高い? 高いと言えば高いのかも知れない。でもそんなものは、ごく最近になってからの話だ。当時は《フィンテック》などというワードもまだ聞かなかったし、サトシと言えばナカモトではなくポケモンマスターに憧れる少年だった。

 面接は、オフィスの外にある会議室で行われた。誰のこだわりなのか、正式に入社が決まった者以外、絶対に中に入れてはいけないという不文律があったからだ。
 第二新卒とまでは言えなかったが、若手社員の中途採用で。昼食を挟んで三名の面接が予定されている。現場の担当者は、いつも単刀直入に本題へと切り込み、矢継早に率直な、時に厳しい質問を投げかけるタイプの人なので、私は場を和ませる路線でいこうとしていた。というより、気の利いた質問を一つも思いつけなかった言い訳のロジックを、そのように組み立てていた。

 当行での最初の給料、あ、もらうようになったらの話ですけどね。最初の給料は、どんなふうに使われますか。具体的な予定とかはまだないかも知れません。てか、そんなもんもらってみんとわからんわって話ですが……。よろしければ聞かせてください。
「弟の学費です」
 一人目は即答だった。
「……兄弟が多くて、両親の教育費負担が大きいので、せめて一番下の弟だけでも、私が面倒を見てやれたらと思っています」
 せっかく円満で無難な着地点を用意してやったのに、何を言ってくれるのか。私は、頭を抱え込みたい気持だった。心情的には、なかなか感心な若者と思える回答かも知れなかったが、それ、銀行の採用面接では言ってはいけないことだ。カネが要る。用途が何であろうと、それだけでマイナス評価につながってしまうのだから。

 抱え込みたい頭の中で、大学時代のアルバイトの面接シーンが再生される。夏だった。その日、私は精一杯見栄を張り、古いキモノをほどいて仕立て直したという高価なアロハシャツを着て臨んだ。今ここ、私が面接官として座っている会議室には、当然ながらお香や芳香剤の類はなく、ビジネスホテルの客室さながらに《ニオイノンノ》が置かれていたが、私が面接を受ける側として座っていた部屋、すなわち古着店の二階の事務所では、インセンスコーンが焚かれていた。
 六帖ほどの、小さな事務所らしくない事務所は、ココナッツの甘い香りと木のぬくもりに包まれ、何かがはじまる予感に満ちていた。
 印象的なフローリングは、よくある長方形の床材を横方向に真っ直ぐ貼り合わせたものではなく、もっと小さいピースをタテ/ヨコ/タテ/ヨコ交互に直角に、波のように張り合わせたもので。当時私が気に入って着ていた冬物ジャケットのヘリンボーンという生地に似ていた。
 その上に、ほとんど保護色のような長方形の木のテーブルが置かれていて。テーブルの天板もまた、タテ/ヨコ/タテ/ヨコ……のヘリンボーン貼りだが、一枚一枚の幅が床とは微妙に違った。わざとか偶然か波模様の向きも同様、床とは微妙にズレていた。何だかクラクラしてくる。

 お洒落なのか悪趣味なのか、微妙なストライプ・オン・ストライプのコーディネートを目にして同じようにクラクラ、というよりも目がチカチカした記憶がある。ストライプのシャツに、縞の向きも幅もそれとはぜんぜん違うストライプのネクタイを締め、更にぜんぜん違う種類のストライプのジャケット。見たことのない、出鱈目スレスレの不思議な調和……。

「まず、志望理由を聞かせてください」
 テーブルを挟んで正面に座っている、長い黒髪の女性店長がそう尋ねてきた。え、希望の曜日とか時間の調整じゃなくてそこから? とは声に出さず、古着が好きだからです。と私は、自慢のアロハシャツの胸を張った。
「なるほど」
 ここぞと思い、夢中で古着愛を語った。だんだん舌の回りが良くなりかけて赤耳リーバイスなどヴィンテージジーンズの下りに差し掛かったところで、店長は両手をひらひらさせて話を止めた。
「古着店って、今いっぱいありますよね。それに、ウチはヴィンテージジーンズ……まあ、置いてないことはないんだけど、そんなに力入れてる訳じゃないですし……」
 よそへ行ったらどうか。と言わんばかりの口調だった。いえ、ヴィンテージジーンズに限らず何つーか、僕は古着文化そのものを愛してるんです。
「スゴイね」
 生半可な蘊蓄は通用しない。半ば破れかぶれになった私は、気がつくと、少々恥ずかしい経験をカミングアウトしていた。
 何軒かの古着屋に出入りしていることは両親も知っています。てか、そのことを知った両親は、そんなにカネがないのならもっと早く言えと。彼らのアタマでは、古着屋って新品を買えない貧乏な人が行くところなんです。お洒落着としての古着というアタマはないんですよね。そんな常識を変えていかないと……。再び、店長が両手をひらひらさせた。
「当店は大学前通りの古着屋ですから、おかげさまで上の世代の常識とかそういうのとは関係なく商売できています。それに、貧乏な人はお洒落しちゃいけないのかな? あと、仮にも接客業のアルバイトをするつもりだったら、その上から目線はヤメないと……」
「まあまあ、そこまで言わんでも」
 横で話を聞いていた社長が苦笑しながら助け舟を出してくれた。
「キミの古着愛についてはよくわかりました。いつから入れそうですか」
 え? 意外な言葉だった。
「商品知識とか、こまかい接客の基本……ンな大層なもんでもないけど、ウチのやり方とかはちゃんと研修しますから安心してください。あ、でもね、一つおぼえといてほしいのはウチは低価格でやってるってことです。あまりおカネに余裕のない下宿生の子らとかにもね、好きなお洒落を楽しんでもらえるように」
 
 当行での最初の給料をどう使うか。一人目の返答はあの日の自分のようだったが、あとの二人は無難に答えてくれた。積立NISAをはじめます、両親にささやかなプレゼントを贈り自分は焼肉が食べたい、どちらもOKだ。笑いも取れていたし。

 展望デッキを横目に見ながら、喫煙室へ。面接後の会議も何とか無事終了したし、あとは定時までゆるゆる過ごして、退勤後はいつもの居酒屋に立ち寄り、例の男に訊きたいことを訊く。……はて、私が訊きたいことって、何だったのだろう。
 焼肉屋のロースターのように煙を吸い込む大きなテーブルをぐるっと囲んで、喫煙者たちは黙って時々手を動かし、ゆっくり呼吸している。考えてみれば、相当に変な光景だ。新入社員も、嘱託も、管理職も、喫煙者たちはみんな当たり前のようにそうしている。
 正面で、フライトジャケットを着たハタチ過ぎぐらいの女性がラッキーストライクを吸っていた。アイスブルーのジッポーを扱う手つきも、乱暴すぎず、しとやか過ぎず。どこかで見たことがあるな、と思っていると視線が合って、向こうから軽く頭を下げた。朝、レジカウンターで舌打ちしていたカフェの店員だ。
彼女は、私より先に煙草を吸い終わると、軽く一礼して喫煙室から出て行った。一瞬見えたボトムスに胸が高鳴る。少し破れたジーンズは、間違いない、国産ブランドの新品ダメージドなどではなく、赤耳リーバイスだった。


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