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「頂戴いたします」

1. はじめに

 みなさまこんにちは。最近、ガールフレンド(仮)への熱が再燃しているたいちょーです。

 このゲームを初めたの、もう10年近く前になるらしくて戦慄しています。ちなみに僕は上条るいと加賀美茉莉が好きです。

 さて、最近NHKで放映された「チコちゃんに叱られる」に出演した平林都氏が「「いただきます」なんて家で言え」やら「人と一緒にいるときは「頂戴いたします」」やらと発言したしたことが炎上しているらしいです。

 受講者に対して声を荒げて論うのは教育者として失格という話はさておき、今回は「頂戴いたします」の問題点について述べたいと思います。


2. 意味の確認

 まずここで「頂戴」と「いたす」の意味を確認しておきたいと思います。

2-1. ちょう‐だい チャウ‥【頂戴】

〘名〙
[一]
① 敬意を表わして、いただき物などを目より高くささげ、頭を低くさげること。うやうやしくささげること。
※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「新羅恵日、渉二三韓一而頂戴」
※太平記(14C後)三九「黄衣の神人神宝を頂戴(チャウダイ)して」 〔梁武帝‐金剛般若懺文〕
もらうことの謙譲語。賜わること。いただくこと。
※虎明本狂言・政頼(室町末‐近世初)「玉のかんざしいしのおびを、せいらいにあたへたび給へば、かたじけなくも、ちゃうだいいたし」
③ 特に、飲食物をいただくこと。
※重刊改修捷解新語(1781)七「御りゃうりちゃうたいつかまつり、ありかたいしあわせにそんしたてまつりまする」
[二]
① (動詞の命令形のように用いて) 物を与えてくれること、また、売ってくれることを、親しみの気持をこめて促す語。ください。
※咄本・春袋(1777)自慢も相手「けさはいそがしくて、汁をこしらへませぬ。一ぱいてうだい」
② (動詞の連用形に、助詞「て」の付いた形や、動詞の未然形に「ないで(んで)」の付いた形に添え、補助動詞の命令形のように用いて) ある事を親しみの気持をこめて相手に求める語。
※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉六「はばかりだがおめへの傍のフラスコをとっててうだい」
[語誌](1)(一)①の意味の漢語から、そのような動作をして物をもらうことを「頂戴す」「頂戴つかまつる」などと表現するようになり、(一)②の意が生じた。
(2)(二)の用法は、もと、「安愚楽鍋〈仮名垣魯文〉三」の「一番の景物がお酣直しのおとッくりヘイ一寸お酌二番がお猪口を頂戴(テウダイ)かネ」のように、手で物をいただくしぐさとともに「頂戴つかまつる」の省略形として用いられたのに始まると思われる。明治以後現代では主として婦人幼児語として用いられる。

精選版 日本国語大辞典
※太字は筆者による。

 上記の[一]②のとおり、「頂戴」は「もらうこと」の謙譲語です。「先日は結構なお品を頂戴し、誠にありがとうございました。」というように使用します。


2-2. いた・す【致】

[1] 〘他サ五(四)〙 (動詞「いたる(至)」に対する他動詞形という)
[一]
① 届くようにする。至らせる。
※書紀(720)持統四年一〇月(北野本訓)「其の水田は曾孫(ひひこ)に及至(イタセ)」
② 全力をあげて事を行なう。
(イ) (おもに「心」に関係のある語に付いて) 誠意を尽くす。できる限りの事をする。
※伊勢物語(10C前)四一「心ざしはいたしけれど」
※今昔(1120頃か)六「其後、彌(いよい)よ信を至して」
(ロ) (命、身などの語を伴って) 命を差し出す。身を捧げて事を行なう。
※書紀(720)雄略九年三月(前田本訓)「身を対馬の外に投(イタシ)」 〔論語‐学而〕
③ (①の意から) ある状熊にたち至らせる。多く、よくない結果を引き起こすことをいう。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「おほやけの御ためにさまたげをいたし」
※平家(13C前)灌頂「世をも人をも憚かられざりしがいたす所なり」
④ (「富を致す」などのかたちで) 獲得する。手に入れる。
※小学入門(甲号)(1874)〈民間版〉「家業を励めば富を致(イタ)す」
話相手に対し自分や自分の側の者を下位に置く場合や、目下の者に重々しく言う改まった場面などで、「(物事を)する・なす」の意に用いる。動詞の連用形に助詞「は・も」などの付いた形を受けるときは補助動詞的な働きになる。
※虎明本狂言・引敷聟(室町末‐近世初)「今日ひもよふござる程に、むこいりを致す」
※洒落本・婦美車紫●(=鹿に子)(1774)高輪茶屋の段「わるじゃれをいったりしたりいたしますゆへ」
⑥ (隠語のように用いて) 男性が女性と関係を結ぶ。
[二] 補助動詞として用いられる。(一)の⑤と同意。
(イ) 動作性の名詞、主として漢語名詞に付く。
※玉塵抄(1563)四一「赤心を下れたほどに返報いたさいでは」
※歌舞伎・怪談月笠森(笠森お仙)(1865)序幕「留立(とめだ)て致(イタ)すな」
(ロ) 敬語名詞(動詞の連用形に敬意の接頭語「お」を冠したものを含む)に付く。
※虎明本狂言・筑紫奥(室町末‐近世初)「都までおともいたさう」
※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二「ちと拝見いたしたうございます」
[2] 〘自サ五(四)〙 改まった場面で用いる「する」の意の丁重な、いくらか堅苦しい表現。
※虎明本狂言・乞聟(室町末‐近世初)「うちにござらぬと仰らるるが、声がいたす」
※塩原多助一代記(1885)〈三遊亭円朝〉一五「母の姿を視て喫驚(びっくり)致しましたが」
[語誌](1)上代・中古では、漢文訓読語として現われるのがほとんどで、「行為をなす」「尽くす」「結果としてある事態を招く」などの意で用いられている。
(2)中古の後半から記録体漢文や「今昔物語集」などに見えるようになる。語義上は、後世の「なす」「する」に転化していく兆しを見せながらも、前代からの漢文的・文章語的性格を多分に残していた。
(3)室町時代頃から「なす」「する」の謙譲語として用いられるようになる。
(4)江戸時代には、「いたす」「…いたす」は話し手(主として武士階級)の聞き手に対しての自卑・丁重の表現、「お…いたす」は動作の及ぶ対象への謙譲表現として用いられ、それが現代に及んでいる。
(5)江戸期には二段活用のような語形「いたする」の例がある。
(6)現代語では(一)の(一)⑤、(二)、(二)の場合、ふつう「いたします」の形をとる。また、「お…いたします」の形で、対象への待遇価値が非常に高い表現として用いられている。

精選版 日本国語大辞典
※太字は筆者による。

 上記のとおり、「いたす」は室町時代頃から用いられる「なす」・「する」の謙譲語です。「ただいまから敬語についてご説明いたします」というように使用します。
 ちなみに、「致す」と「いたす」とで2つの表記がありますが、公文書においては、動詞として使用する場合(「思いを致す」など)は「致す」、補助動詞として使用する場合(「失礼いたします」など)は「いたす」と表記するようです。


3. 二重敬語

 さて、「頂戴」も「いたす」も謙譲語であることがわかったところで、「頂戴いたします」の文法的な問題に移りたいと思います。
 文化審議会の答申『敬語の指針』には同じ種類の敬語を二重に使うことは適切ではないとされると述べられています。

 一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったものを「二重敬語」という。例えば,「お読みになられる」は,「読む」を「お読みになる」と尊敬語にした上で,更に尊敬語の「......れる」を加えたもので,二重敬語である。
 「二重敬語」は,一般に適切ではないとされている。ただし,語によっては,習慣として定着しているものもある。

『敬語の指針』(2007)p.30
※太字は筆者による。

 先程確認したとおり、「頂戴」も「いたす」も謙譲語であることから、これらが合体した「頂戴いたします」は二重敬語であることがわかります。
 しかし、誤りとされている二重敬語は古典作品に登場し、天皇などを敬う際に用いられています。

鐘の声を聞こし召して作らしめ給へる詩ぞかし、
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘聲

「道真左遷」『大鏡』
※太字は筆者による。

そのため、完全な誤りとはいえないのですが、国語審議会は『これからの敬語』の「基本の方針」において、これ以降の敬語がどのようにあるべきかを打ち出しています。

1
 これまでの敬語は,旧時代に発達したままで,必要以上に煩雑な点があった。これからの敬語は,その行きすぎをいましめ,誤用を正し,できるだけ平明・簡素にありたいものである。

2
 これまでの敬語は,主として上下関係に立って発達してきたが,これからの敬語は,各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立たなければならない

3
 女性のことばでは,必要以上に敬語または美称が多く使われている(たとえば「お」のつけすぎなど)。この点,女性の反省・自覚によって,しだいに純化されることが望ましい。

4
 奉仕の精神を取り違えて,不当に高い尊敬語や,不当に低い謙そん語を使うことが特に商業方面などに多かった。そういうことによって,しらずしらず自他の人格的尊厳を見うしなうことがあるのは,はなはだいましむべきことである。この点において国民一般の自覚が望ましい。

国語審議会『これからの敬語』(1952)
※太字は筆者による。

 要は、①これまでの敬語はルールがややこしいので今後はシンプルにしましょう、②これまでの敬語は使う側から使われる側への敬意が際立っていましたがこれからはお互いに敬意を持ちましょう、③なんでもかんでも美化語にするのはやめましょう、④必要以上にへりくだったり相手を持ち上げるのはやめましょう、ということです。
 「頂戴いたします」は上記の1と4に反するので、話題のマナー講師は言葉のマナー違反をしているといえるのではないでしょうか。


4. おわりに -敬語は過剰でなく適度に使う-

 『敬語の指針』に本質情報が掲載されていました。

 慇懃いんぎん無礼と言われるように,言葉は丁寧であるにもかかわらず,態度は無礼であるということがある。敬語をたくさん使えば丁寧になるというわけではない。敬語を使う際に,相手に対する配慮の意識がなく,むしろ見下しているような気持ちがあるとすれば,幾ら敬語を使っていても失礼に感じられてしまうものである。また,表現している内容自体が敬語を使うことに合わないような場合もある。失礼な内容については,敬語を使ったからといって,その失礼さが消えるわけではない。
 ただし,敬語をたくさん使っているから変だ,などと決め付けることはできない。 本当に丁寧な言葉遣いをする人は,そうではない人から見れば,過剰に敬語を使って いるように見えてしまうこともある。自分の基準だけで,相手や第三者の言葉遣いが丁寧過ぎる,あるいは逆に,失礼だなどということは決められない。自分の基準だけが正しいと思い込んで,それを他人に押し付けるようなことは,慎むべきである。

『敬語の指針』(2007)p.35
※太字は筆者による

 敬語というものは二重にすれば丁寧さが増すものではありません。また、「正しい言葉遣い」は時代や地域、人によって異なります。
 あと、これは言葉遣いだけでなくマナーなどにも言えることですが、いわゆるマナー講座は「認定評価(評価者の内的な基準のみに照らして判断する評価)」による講座なので、話題のマナー講師が正しいと言う「マナー」が、他のマナー講師が定める「マナー」上でも正しいとは限りません(花道とか茶道の流派みたいな感じです)。
 マナー講師の言うことを鵜呑みにせず、自分自身でどのような振る舞いが適切か、TPOを踏まえて行動しような!


追記. 食育の観点から

 浄土真宗本願寺派系の学校では「多くのいのち」をいただいているという理由で「いただきます」と言うようです。

 また、文部科学省が作成した『食に関する指導の手引 -第二次改訂版-』でも、食前の挨拶には「いただきます」と言うように定められているそうです。

 食育の観点から見ても「いただきます」が正当な挨拶であるといえますね。
 誤った言葉遣いを公然と放映するなんて、NHKも落ちぶれたなあ……。

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