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僕とスニーカーのお付き合い

初めての本格的スポーツ・スニーカー
nike Waffle Trainer

47年たっても凛としたたたずまいで。


とはいえ、かなりくたびれてます、、、
土踏まずにフィットさせるための革のパーツ

そして、シュータンの裏には なんと made in Japan の文字が、
made in U.S.A.と思っていたので。。
学生で大人の事情はわからず、かなりショックでした。。。
Lee の101J に 左袖に Tweety  のワッペン、葉っぱのワッペン、
SCENE from VAN のイングランド・タイプ、パネルボーダーの7分袖のラガーシャツに
ブッシュパンツとともに2年くらいまで、一緒に通学していました。



ワッフルソールがパテント取ってるって、なんかすごい!と感動しました。

Season 1 Episode 1

DATA (2011年 NIKE CHRONICLE 枻出版 より)
nike  Waffle Trainer   1976~1977
Electric Blue x Gold
made in Japan
1977年に購入したもの 箱はその頃に処分したのでありません。

1977年、大学に入学した当時はPOPEYE が紹介してくれたアメリカ、西海岸の大学のキャンパスが憧れで、、リアルタイムにスタートしたキャンパスライフに毎日が楽しくて、わくわくして、、
そんな頃、阪急に乗って、POPEYE を見ていたら、UCLA の記事だったか、nike  のスニーカーの事が書いてありました。Runner’s World という雑誌の広告? パテントを取ったワッフルソールの事、底の張替え修理を大学の生協?でやっているとか、、そのブルーのボディにイエローのスウォッシュがアメリカ西海岸のキャンパスで。今まで愛してきたCONVERSE  とも、国産のスポーツシューズとは全く違う感じで、、ランナーが履いている写真、
カッコよくて、めちゃくちゃ欲しくなりました。そう、アメリカの西海岸のキャンパスが見えました。( もちろん行ったことないので、POPEYEの写真ですが )
しかし、財布にはお金はなく、、、どうすれば手に入れれるか、考えて、とてもいい案が浮かびました。
学校行きはとりあえず中止して、途中の三宮駅で降りて、K 女子大学の校門の前に行きました。高校の時の仲良かった友人が行っていたのを思い出して。待っていれば、出てくるのではないかと。それから数時間、2限分くらい、マイルドセブン吸いながら待っていたら、HSさんが出てきました。
ああ、、、彼女は自由の女神のように気高く、崇高に、輝いて見えました。
そして、ゆっくりと近づいていくと、僕に気がついて、、、
「TM君!こんなとこで何してんの?」と、こんにちは!もなく、、
「HS!2万円貸して!」
ちなみに1977年度の大卒の初任給が10万1000円 だったそうです。
「ええ!? なんで私がTM君に2万円貸さなあかんの!」と、当たり前のリアクションで。
「めちゃ、欲しいスニーカーあるんやけど、ちょうど今お金なくて、、」
「ええ、、、そんなん私、知らんやん、、うーん、どうしようかな、、」
少し、考えていて
「ほんま、カッコええねん、、アメリカのスニーカーで、、」と熱い思いをぶつけて。。。
そしたら、ニコって笑って、
「ふーん、、、なんか、ようわからへんけど、貸したげるわ。。」と、
お願いを聞いてくれました。そして、お財布から2万円だしてくれました。
今思うとHS、よく持っていたなぁ。。。
「ええーーーーーーーほんま、ありがとう!!!」(^o^)/ 
「ほな、お礼にお茶おごるわ!さんちかのコトブキ行こか!」
「ほんま!嬉しいぃ。行こ、行こ!」 (⋈◍>◡<◍)✧♡、
なぜか、えらい喜んでくれて、借りた2万円からご馳走しました。
「TM君、ご馳走様!またねーーー!」
なぜか、笑顔でお礼言われると少し胸がチクチクと。
とても感謝して、、、バイトしていた医学書専門店でばりばり働いて翌月末にお返ししました。。
その感謝の気持ちは47年たった今もこの waffle trainer とともに。。

蛇足  
 当時、UCLA、nike の読み方がわからず、友達と話すときみんな、
「ウクラの  Tシャツ、熊ついててめちゃあか抜けてるなぁ!
それにこの ニケのスニーカーなぁ、、俺も欲しいなぁ、、」
ニケは本来のブランドの由来だから、良かったですが、ウクラは
恥ずかしい、、、、


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