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私的ファッション史+いろいろ

PART2.     1973~77年  ( 昭和48~52年 )

高等学校期 2 (2~3年生 )
1975年、ベトナム戦争が終結しました。それは実質、アメリカの敗戦であり、共産主義との闘いに民主主義が敗れたという結果になりました。
しかし、このイデオロギー戦争はエコノミック戦争というカタチを変えたもの、資本主義というカタチでアメリカがその経済力で、軍事力で、世界最強になり、現在に至るまで続いています。しかし、経済的な勝利は戦争によって人々の心に深く刻まれた傷を癒すことはなかったのでは、、と。
日本は1973年の第一次オイルショック、翌年、公共料金の値上げ、等で高度成長期から初めての不況にみまわれていました。
しかし、僕たち、子供たちにはそういう社会環境の変化はほどんど感じることはありませんでした。
1年生の時は制服の関係もあり、アメリカン・トラッドIVY が主流でした。しかし、2年生の秋くらいに、テレビドラマで ” 傷だらけの天使 ”の放映が始まったり、” SOUL TRAIN "、" おかまの恐竜 空飛ぶモンティ・パイソ "等、面白い番組がどんどん始まっていました。ほぼ、22時以降の深夜に近い時間帯で、何か大人になったような気分で、とてもカッコいい番組でした。
ファッションにも大きな影響を与え、新しいムーヴメントが生まれました。
そういう意味では、テレビというメディアがサブカルチャーを動かしていたと時代だと思います。
また、僕は1940年代から50年代の映画に興味を持ち、テレビで放送があれば観ていました。日曜洋画劇場は両親とテレビの前で座って、淀川長治さんの解説で始まり、さよなら、さよなら、という挨拶で終わりました。
この辺は ” いろいろ "で詳しく書きたいので。。

ファッション 夜明け2

テレビ、映画、お兄さん、お姉さんたちの影響で2年生に入った頃から、ファッションが変わっていきました。ファッション雑誌を読み始めてのもこの頃でした。

夏頃から、サーフ・ファッションが、僕たちの間で盛り上がってきました。
スケボーが入ってきて、ブームになり始めたのもこの頃だったと思います。
トップスは、Hang Tenのサーフ・プリント、ハワイアン・プリント、VANのアメリカン・イメージのプリントTシャツ、パンツはLeeの太めの200番のデニムか、ブリーチアウトしたBig Johnの太目のストレートのジーパン( 29インチくらいのウエストだったですが、31インチくらいのオーバーサイズを腰履き、裾は5㎝くらいロールアップ )、スニーカーはコンバースのゴールド(最近、マスタードとか、ゴールドというカラーでALL STARが売られて

これは当時のものではなく、1990年代中くらいに復刻されたゴールドの
ALL STARです。

いますが、少し色が濃いいような気がします。90年代中頃に復刻、販売されたU.S. Madeの色は学生の頃の色でした。これは、ローカット、ハイカットは今も大事にしています。)、腰にはインチ幅のビーズベルト、首にはプカシェル。この辺のものも古くて画像がなくてすみません。
お小遣いの都合でアロハ・シャツは買えませんでした (T_T)
秋になると、僕の中でウェスタン・ファッションが盛り上がってきました。
テレビではNHKで ” 警部マクロード ”というドラマが始まりました。
主役のマクロード警部はニューメキシコ州タオスからニューヨーク市警に研修に来て、なんか無茶苦茶やりながら、事件を解決するというアメリカのドラマの定番の話でした。
その時のマクロードはウェスタン・スーツ、ウェスタン・シャツ、ウェスタン・タイかボロー・タイ、テンガロンハット、ウェスタン・ブーツ、オーバルバックルのウェスタン・ベルト、、シープスキンのランチコートとうスタイルでした。そんな、マクロードのスタイルは今でも好きで、僕のファッションのベースです。
当時、神戸にはトアロードから路地を少し西に入った所に” TEXAS ”という小さいけど、めちゃくちゃカッコいいウェスタン・ショップがありました。
そこにはマクロードの世界がありました。
ヒゲの社長さんはいつもホワイトのPanhadle SlimかKarmanのウエスタン・


私物ですが、参考写真で。 Panhadle Slimのウエスタン・シャツ
ドレスシャツでマウントはありません。
ウエスタン・タイ
スターリング・シルバーのチーフリング(Sunset Trails )
ウエスタン・タイ+チーフリング
スターリング・シルバーの3ピースバックル( Sunset Trails )+カービングベルト ( FUNNY )

シャツ、ウエスタン・タイ、シルバーのチーフリング、着こんで艶のでたダークブラウンのレザーの襟付きのウェスタン・ベストSunset Trails のシルバーのスリーピース・バックルPanhadle Slim ポリエステルギャバのブーツカットのウェスタン・パンツダークブラウンのX-Toeウェスタンのウェスタン・ブーツ ( メーカー教えてもらったと思うのですが、忘れてしまいました )、指にはNabajoのターコイズのリング、だっと思います。そして、寒い日にはムートンのランチコートを着られていました。( ただ、48年前の話なので、記憶があいまいな部分もあるので、間違えていたらごめんなさい。)
そんな” TEXAS ”によく行くようになるのは大学に入ってからでした。
高校の時はお店の商品は全てアメリカの本物だったので、プライスも高くて、なかなか手が届きませんでした。Miller のダークグリーン系オンブレイのレーヨンのウェスタンシャツとバンダナを買ったくらいでした。
ベルトは Chambersのカービングのナチュラルのを近所のジーンズショップで買いました。当時、2万円近くしたような、、。エッジには白い革のステッチ、バックルは同じナチュラルのレザーにバッファローのカービング、ベルトはArabesque  Patternのカービング。いつ頃からか、Chambersのベルトは型押しになっていますが、当時はハンドカービングだったような気がしますが、。。。

その頃、文化祭でバンドやっていて、上に書いたウエスタン・スタイルをしてました。
しかし、ブーツではなくコンバースのゴールドです (;^_^A

ファッション 急に眩しい太陽が、

この年の冬に” 傷だらけの天使 " というとんでもないドラマが始まりました。この番組でどれだけのガキたちがバギースーツ( 後に若き日の菊池武夫さんの会社、BIGI の洋服だと知りました。)に憧れたか。。。
きっと YVES SAINT LAURENT RIVE GAUCHE のイメージだったんだと思います。Concaved Shoulderで、襟は大きく、ウエストはシェイプしていて、ノーベントでウエストから、ヒップが身体のラインに沿っていて、とてもエレガントでした。そういうスタイルを当時はアメリカン・トラッド、IVY に対して、ヨーロピアンと言っていました。
”傷だらけの天使”で、番組の最後のシーンでのショーケン。
トレンチコートを着て、襟を立てて、ウエストをベルトで縛って、ポケットに手を入れて、”♫ たまらん、たまらん、たまらんで~♫ たまらん、こけたら、皆こけた、たまたまらん、、♫” だったと思いますが、友達と真似して下校してました。ちなみに” 傷だらけの天使 ”はYOU TUBEで有料配信されてるようです。僕たちの時代のカッコいい男性像でしたから、興味があれば観てください。女優さんの服もBIGIのデザインですごく素敵です。
BIGI はまだ高校生だったので、全然知らなくて、でも、あんなカッコがしたくて。。ちょうどその頃、放送が始まった ” SOUL TRAIN " という番組が
あって、その提供が JUN でした。CMもめちゃくちゃカッコよくて、あの当時よくあんな凄いCMを作り、放送できたなぁ、、、と。本当にリスペクトします。そして、日本のModeを作った会社の一つだと思います。
JUN Classical Elegance、 今聞いてもすごくインパクトの強い言葉です。
洋服も日本のヨーロピアン・スタイルのトップブランドでした。(他にはEDWARD’S、Chelsea?というブランドもありました。)とにかく、欲しくて、頼み込んで買ってもらいました。
JUNのウールギャバのベージュのシングルのブレザー、ダークブラウンのツータックのバギーパンツ、HERMÈS みたいなプリントのシャツ、OPELKAのウィングチップのシューズ、ベースがベージュで、チップがダーク・ブラウンのコンビのシューズ、サスペンダーはクラッシックなボタン留めのもので。( この頃の洋服は資料もあまりなく、文字から想像してください。)
木暮修役のショーケンみたいにシャツの下に白いクルーネックのTシャツ
( 僕たちは、ラジオのCMがカッコ良かったGUNZE YGでした。)を着て、シャツの襟はジャケットの上衿の上に出して着てました。

トレンチコートも JUNのちょっとマキシ丈くらいの長めで、ウエストがシェイプしたウールギャバのものを買ってもらいました。
手はコートのポケットに入れて、ちょっと外股で歩く、、、

この頃には自分のファッションの基本の構築が始まっていたと思います。
1つが、アメリカン・ファッションの基本、Western、Military、Work、Sports、といったアメリカの基本的なスタイルVillege Peopleはそれを象徴するファッションでした。

アメリカの強い男のスタイルをメッセージに


それは、アメリカの強い男性をイメージにしたものです。
2つめが、今や死語となってしまいましたが、 ”エレガント (Elegant )"がもう1つの基本で、それはヨーロピアンと呼ばれた、Yves Saint Laurent RiveGaucheのイメージだと思います。
これは当時テレビで観ていた古い映画、” Casablanca ”のハンフリー・ボガード、 ” 望郷 ”のジャン・ギャバン、” ローマの休日 ” のグレゴリー・ペック、子供の頃から観ていたTVドラマの ” アンタッチャブル " のエリオット・ネスやギャングのボス、フランク・ニティのスタイル( チョークストライプのダブルブレスト、ピークトラペルのスーツ、クレリックのストライプのシャツ、レジメンタル・タイ、真っ白なシルクのスカーフ、シューズはウィングチップでブラックXホワイトのコンビ )がとても渋くて、カッコ良かったので。。未だにカッコいいスタイルの基本です。

意識していたわけでなく、この相反するスタイルが好きなファッションになっていきました。そして、どんなファッションも否定する事なく、なんでもトライしました。( マスクもスタイルも悪いので、なかなか似合いませんでしたが。。)
3つめ、洋服を作るなんてことは想像もしていなかったので、ファッションをスタイルとして楽しむという事。

Yves Saint Laurent Rive Gauche ネット上の画像からお借りしました。
Yves Saint Laurent Rive Gauche ネット上の画像からお借りしました。

高校3年生になると、ジュリー( 沢田研二さん )が、阿久悠さん原作で、僕の大好きな上村一夫さんの漫画の実写版 " 悪魔のようなあいつ " に出演されました。

コミック本 女性誌、ヤングレディに連載
上村一夫さんの絵って本当に素敵です。

ドラマの内容、写真等はリンクを見てくださいね。
その時のスタイルは、ストローのボルサリーノ(?)ホワイトのバンドカラーシャツとか、ストライプのドレスシャツ、ボタン留めのサスペンダー、ベルボトムのジーンズ、キャメルのブーツ

沢田研二さんの番組の中で、歌っていた曲のシングル盤 このスタイルです。

また、クラブで歌っているときは ブラックのワイドカラーのドレスシャツにモノトーンのレジメンタルタイ、ブラックのパンツ、ホワイトのシャツ、ホワイトのバギーパンツ、ハイヒールのシューズ。。
綺麗なドレス・シャツ、バギーパンツとかは、お小遣いでは難しかったので、ホワイトのシャツ、サスペンダー、ジーンズはできたので、頑張っていました。

今、昭和や、昭和の歌謡曲のブームですが、この時代は本当にカッコ良かったです。特にショーケン( 故萩原健一さん )ジュリー( 沢田研二さん )

前略おふくろのドラマの主題歌の入ったアルバム
B面の ”兄貴のブギ” は水谷豊さんがセリフで参加しています。この頃の水谷豊さんは僕的にはすごくカッコ良くて好きでした。
沢田研二さんのベストアルバムです。今でも、ロングヘアがこれほど似合う人は少ないのでは、
と思います。
この歌詞カードがしわしわになっているのは、ギターを弾きながら、歌うのにいつも使っていたのが原因です。このジュリーのスタイルは本当に美しいです。
こんなに中性的で美しい人はいないんじゃないかと
この曲はジュリーの曲では最も好きな曲です。

は僕たちのファッションに大きな影響を与えました。
もう無いと思いますが、12、3年くらい前、YOU TUBEを観ていて、偶然発見した動画で。うる覚えなんですが、多分、20代後半のショーケンとジュリーが丸の内線に乗って、めちゃ悪そうなスタイルでカッコよくて、、すごく、自然な感じで、うだうだ話していて、どこかの駅で降りて、バーに入ってお酒を飲みながら、また、うだうだ話している、という動画があって、、なんか凄すぎる、、、って感動しました。

もうこうなるとIVY スタイルはカッコいいものではなくなっていました。
昼間ではなくて、夜をイメージする、大人のファッションに魅かれていきました。
高校時代は体育系のクラブ活動と、3年生の時には有志で書道部をつくったりしており、時間がそんなに無かったのと、アルバイトは高校では基本的には禁止だったので、お小遣いの範囲と年に2度の父親のボーナスの時期が
学校と関係ない洋服を買ってもらえるくらいだったので、大学までは、
ファッション雑誌、MEN'S CLUB、男子専科とかを見て、楽しんでいました。
また、この時期にPOPEYE が創刊されたので、しっかり飛びつきました。

これは当時のものではなく2016年に発売になった40周年の記念号です。

アメリカン・カレッジ・スタイル これは東海岸の堅い IVY スタイルではなく、西海岸の大学、太陽の降り注ぐキャンパス、のびのびとしたスポーツ系のクラブ、大学の生協、スケートボード、フリスビーといった学生の遊び、生活をどんどん紹介してくれました。各ページにタイトルがあって、その内容がわかりやすく書いてあって、とても斬新なページで、、読んでいるだけで西海岸を感じれる本でした。カタログ、情報誌のような感じでした。
早く大学に行きたいって、、ワクワクしていました。











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