見出し画像

区切りをつけるということ

「こんな思いをするくらいならAqoursを深追いするのはやめよう」

これは2016年4月2日。
μ'sのファイナルライブを終え、連番者たちと朝まで飲んで
始発電車で帰っている時に思ったことである。

あれから8年。
性懲りもなく、あの時と同じ思いをすることになってしまった。


■当時のμ'sとAqours

あえて詳細に書く必要は無いと思いますし、
書きたくもないので簡潔に表現すると
当時のμ'sとAqoursを取り巻く環境は
非常に最悪でした。
それこそAqoursキャストはそういう負の感情を
直接的に受けていたと思います。
(実際色々なところでそんな話もしてきた)

で、僕はどうだったかというと
特にマイナスな感情は持っていなかったですし、
そもそも最初にサンシャインの企画が
電撃G'sマガジンに掲載された辺りの頃は、
「μ'sの妹分をよろしくね」
みたいな紹介のされかただったはず。
なので僕の中では、ミルキィホームズでいうところの
フェザーズみたいなもんだと思っていました。
全然違ったけどね。

だから君ここはリリース日に買ってたし、
そもそもその頃はμ'sのファイナルライブなんて露ほども想像してなかった。
μ's7割Aqours3割くらいの感覚で追っていたと思います。

そして迎えた運命の12.5
「μ'sのこれまでとこれから」
そこで発表されたμ'sのファイナルライブ。
リーク?知らん

そこからはμ'sの事しか考えてなかったです。
でも周りの悪い人たちのように
Aqoursが~という感情は芽生えなかった。
というかそんな余裕も無かった。
だからμ'sがファイナルライブを終えて、
その後に自分がどう立ち回っていくのかなんて
その時は全く考えもしてなかったです。

実際に迎えたμ'sのファイナルライブ。
運良く現地参加出来たので、
「いまが最高!」
と叫ぶことが出来ました。
特にDay2は
「今日聴く曲は今後ライブで聴くことはもうないんだろうな」
そう思いながらまるで蝋燭の火を1本ずつ消していくかのように
1曲1曲を噛み締めながら受け取っていました。
だからね、ファイナルライブってのは
やっぱり寂しいし喪失感も大きいんですよ。
入れ込んでいればいるほど。
それでも前向きになれたのは、
劇場版で穂乃果ちゃんが言っていた

「限られた時間の中で、精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き」

「ラブライブ!The School Idol Movie」より

という台詞があったから。
そしてそれは自分がμ'sにハマった頃から
ずっと念頭に置いていたことにも近い言葉でした。

終わりがあるからこそ、全てを懸けれる。
でも終わってしまうのはやっぱり寂しい。
そこで冒頭の考え。
僕はこの時点でAqoursもちゃんと追っていこうと決めていた。
CDも買ってたし、別にAqoursに対してどうこうもなかったし。
ただ、どーせAqoursも5年くらい経ったら
ファイナルライブを迎えるんだろうなとは思っていたし、その時にまたこんな感情を抱くのは本当に嫌だった。
だからAqoursはかる~く追いかけて
適当なタイミングで「やーめた!」
ってするくらいの距離感がちょうどいい。
深追いして、どっぷりハマって、ファイナルを迎えた時に
どうしようもない虚無感に襲われるのはこれっきりにしよう。
電車の窓の外に広がる、朝焼けに染まった秋葉原の町並みを見ながら
そう心に決めたことを今でも覚えている。

■今だから言える懺悔

ところがどっこい、人は単純なもので
僕は「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品に普通にハマってしまう。
結局キャラが可愛くて曲が自分の琴線に触れまくればコロッと落ちてしまうのだ。
そういう意味では僕はラブライブ!という魔物に、その時既に取り憑かれていたのだと思う。
ちなみに最初は曜ちゃんかわいいな~
って感じだったんですけど9話のラスト、
砂浜にウキウキしながら
「Aqours」
と書いているダイヤちゃんが可愛すぎて
そこからダイヤちゃん推しになりました。
聞いてないですね。

で、その後はいつもの流れというか
円盤買ってチケを当てるという修行をして
無事に1stライブに参加出来たわけですが、
ちょっと白状したいことがあります。
SNSで書いたこともないし仲良いオタク友達に
1回くらいは話したことがあるかな?
もう時効だと思うので懺悔の意味も込めて書いちゃいますけど、
今でこそ
「Aqoursちゃんうおおおおーー!!!」
ってやってるわけですが、
1stライブの時にですね、
顔と名前が一致してるキャストほぼ居ませんでした。
辛うじて小宮さんを認識出来てるか出来てないかくらい。
なのである意味まだ1stライブの頃は
Aqoursのことをかる~く追いかけようのレベルだったんだと思います。
でもやっぱり、ライブに参加して意識が変わるというか。
「これが1stライブってマジ!?」
ってものを見せられたわけですよ。
全てを懸けてパフォーマンスしてくれている人たちに全力で応えてあげたい。
それは自分の持論でもあるし、
そう思わせてくれるだけのものを1stライブで見せつけられたと思う。
その後はもうご覧の通りというか。
2ndも行ったし、ファンミも行ったし、函館UCも行ったし、
3rdに4thに5thに6th、ユニット対抗戦やユニットライブにEXライブ、
沼津にもたくさん行ってもう数え切れない程の思い出をAqoursと一緒に作ってきました。
適当なタイミングで「やーめた!」なんて出来るわけないじゃん。
もうすっかり後戻り出来ないところまで来ていたのです。

■9周年プロジェクト

そんなこんなでAqoursの活動も今年の6月30日で9周年を迎えることに。
μ'sがファイナルライブを迎えた頃の活動歴を遥かに超えています。
5thライブの頃は正直μ'sと同じく、
劇場版をひっさげたライブが1つの区切りになるのかなと、そう思うこともありました。
「何かあるとすぐに解散とかファイナルとか言わないで!」
というようなことをキャスト側から
釘を刺されたこともあったり(ごめんなさい)
でも6年目7年目くらいからは
“それ”を考える事が段々と少なくなっていき、
(コロナでそれどころじゃなかったのもある)
漠然と心の何処かでAqoursはファイナルとかやらないんじゃないか、
というようなある種楽観的な考えを持つようになっていました。
終わりがあるからこそ、熱中出来る。
自分がμ'sにハマった頃に思っていた
行動原理を否定するような考え。
それくらい自分にとってAqoursはかけがえのないものになっていたし、
終わらないでほしい、ずっと続いてほしい。
そう願うようなグループになっていたのです。

そして、2024年6月24日。
Aqoursの9周年プロジェクト発表会の告知が行われました。

TLがにわかに盛り上がる中、僕は
「あぁ、来たか…」
という感情に支配されていました。
それは決してポジティブな感情ではなく、
焦燥感にも似た感情。
9人揃っての事前収録での特番は
まるで9年前の12.5をなぞるかのようだった。

その後も、配信が決まってから
RPはするけどコメントは控えて、
やっと触れたかと思えば、
「絶対に見てほしい。見れば分かる」
というスタンスなキャスト陣。
リリースまで数日だというのに
試聴動画どころか楽曲の解禁もされなかった
「僕らの海でまた会おう」
そんな異例尽くしとも言える数日間を経て、
6月28日に発表された
9周年プロジェクトのプロジェクト名、
「永久hours Project」

ここで僕の覚悟は決まったと思う。

■9人で駆け抜けた奇跡

9周年プロジェクトで発表された内容は、
取り立ててここに書く必要は無いでしょう。
9周年プロジェクト発表会の告知がされてからの約1週間。
真綿で首を絞められるとはこういうことを言うのかと思うくらい
しんどかったし、怖かったし、生きた心地もしなかった。
全部が杞憂に終わって、ネガっていた自分を殴ってやる展開になれば良い。
そんな淡い期待もありつつ、
やっぱりこの1週間は気持ちの整理をして、
どんな発表をされても受け止めれるだけの
覚悟を決める為に必要な時間だったと思う。
だから“それ”が発表された時、
不思議と冷静に受け止めている自分が居ました。
それはちゃんと覚悟を決めてたからというのもあるけど、
何よりも彼女たちの口から、
この決断に至った経緯を聞けたから。
それに、逢田さんも言っていたけど、
9人が誰一人欠けることなく元気な状態で
9周年まで走り続けることが出来たのは
本当に奇跡です。
実際、転換点になりかねないポイントも過去にあったと思う。
だからこそ、9人が9人であるうちに
集大成のライブを見せてくれるというのは
ファンとしてとても幸せなことなのではないだろうか。
アイドルをはじめとしたグループ活動をしている人たちは星の数ほど居て、
その中には大人の事情だったり、のっぴきならない事情で
ファンと一緒に区切りとなる時間を過ごせないまま最後を迎えてしまった人たちだって居ます。
アイドルの世界では当たり前のようになっている卒業や新加入も無く、
オリジナルメンバーの9人でずっと一緒に9年間駆け抜けた。
「この9人でAqoursです!」
何度も聞いたこの言葉を、
9年間変わることのないまま、フィナーレライブでも会場に轟かせてくれる。
その意義深さは何ものにも代え難い。

寂しい気持ちは当然あるし、
悲しい気持ちも当然ある。
もっとAqoursのライブ見たい!
やり残してることまだまだあるよ!
という想いももちろん抱えている。
今でもふと気を緩めるとイベントだったり、生放送だったりでの
Aqoursの思い出が蘇ってきて心がきゅーーってなる。
でも、それ以上に今は自分が人生を懸けて推したと言っても良いグループが、
元気なまま集大成を迎えてくれる事への感謝、
そういうグループになってくれた事への感慨、
そしてそんなグループと出逢えた事への誇らしさや、晴れやかな気持ちの方が強いです。

それだけでなく、集大成を迎えるまでのこの1年間。
一緒に楽しい事をいっぱいしようって時間を、
彼女たちは与えてくれました。
地元愛まつり2024はもちろんのこと、
パ・リーグコラボだったりTIFだったりラブライブ!ダービーだったり。
9人揃ってではないけど、
“Aqours”のメンバーとして彼女たちが表に出てきてくれる機会は
フィナーレライブ前にもまだまだ残されています。
海外ファンミとファイナルライブしか残されていなかったあの時とは違う。
わいわいわいだってあるし、
未発表のものだってきっとあるはず。
メモリアル写真集や展示会、実写PV他諸々だって本当に楽しみなんです。
この先楽しい事がいっぱい待ってるし、
それだけ9人の思い出も増えていくと思うと
これ以上嬉しい事はありません。
この9人が大好きだから。
会えばお喋りが止まらず、隙あらばおふざけを始めようとするのに
大事な所ではちゃんとキメてくれるカッコ良さがあって、
Aqours関係無いイベントで一緒になったら裏で写真撮り合ったり、
個人の活動も気に掛けててお互いにリスペクトもし合ってる。
そんな9人が大好きだから。
9人にはずっと笑っていてほしいし、
楽しい思い出をたくさん作ってほしい。
自分たちにとってもそうなんだけど、
彼女たちにとっても、この1年がそういう1年になってほしいなって。
そう、強く願います。

■この先に待っていること

そういう心境に落ち着けた理由の1つとして、
フィナーレライブの先を明確に示してくれたこと。
これが挙げられます。
μ'sのファイナルライブもあくまで
ワンマンライブが最後である、
ということは強調されていました。
当時はスクフェスもあったし、
声をあてる機会は残っていたからそれはそうって感じでしたが、
マジであの後何も無かった。
スクスタが動き出すまで“μ's”のキャストとしてオフィシャルの場に出てくる事って
本当に無かったんじゃないかな。
まぁそういうところが当時のめんどくさい構図を生み出す要因の一つになったんですけどね…

ところが今回のAqoursは、
フィナーレライブの後にも地元愛まつり2025を開催すると発表しました。
ワンマンライブは最後だけど、
会える機会がもう無くなるわけではない。
それが1番の心の拠り所になっていると思う。
なんならフィナーレライブの翌週くらいに
浦ラジでライブの感想回とかやっててもおかしくない。
それくらいフィナーレライブ後の世界は、
ワンマンライブをもうやらないという事を除いて、それまでのAqoursとの日常と大きく変わることなく
僕たちの毎日に溶け込んでいるのではないだろうかとさえ思ってしまう。
もちろん、形は今までと変わっていくだろうし、地元愛まつり2025の後はどうなるのかも今はまだ分からない。
それでも彼女たちが伝えてくれた言葉に勇気をもらえた。
Aqoursの旅はこれからも続いていくし、
その旅路をこれからも見届ける事が出来る。
今はもうそれだけで胸がいっぱいだし、
前に進む理由としても十分です。

今回の発表で、それぞれがそれぞれの感情を抱いていると思います。
もう前を向いている人。
まだ気持ちの整理をつけられない人。
自分みたいに簡単に受け入れている人を薄情者と思う人もいるかもしれないし、
いつまでも後ろ向きな人を叱咤する人もいるかもしれない。
でもそれで良いと思いますよ。
きっと正解なんてないから。
ただ、時計の針を止めることは出来ません。
黙っていても時間だけは進んでいきます。
彼女たちと過ごす一瞬一瞬に悔いを残さぬように。
それだけはどうか、胸に刻んでいてほしい。

とりあえず、手始めとして僕は楽天コラボ試合のある7/14が晴れることを祈ります。
(まだ先だし怖いしで天気予報は見ていない)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?